ヴァニラで浜中利信収蔵ゴーリー「メランコリー」展、5月に延期

【銀座新聞ニュース=2020年4月15日】ヴァニラ画廊(中央区銀座8-10-7、東成ビル、03-5568-1233)は4月15日から5月17日まで浜中利信さんコレクション「エドワード・ゴーリー没後20年記念展エドワード・ゴーリーの世界展3-Chamber of Melancholy」を開く予定だったが、5月15日から6月17日に延期すると発表した。

ヴァニラ画廊で4月15日から5月17日まで開かれる「エドワード・ゴーリー没後20年記念展エドワード・ゴーリーの世界展3-チャンバー・オブ・メランコリー(Chamber of Melancholy、メランコリーの部屋)」のフライヤー。

アメリカで「大人のための絵本作家」と呼ばれたエドワード・ゴーリー(Edward Gorey、1925-2000)について、2013年12月、2014年12月に続いて3回目の作品展を開く。

今回は、2020年で没後20年となる節目の年の展覧会で、「エドワード・ゴーリーの世界」(2002年、河出書房)の書籍で知られる浜中利信(はまなか・としのぶ)さんが収集したエドワード・ゴーリーの収集品の中から、暗黒の香り漂うゴシックでメランコリックな作品にスポットを当てる。

また、アメリカのエドワード・ゴーリーハウスの協力を得て、ポップアップショップも展開し、ゴーリーグッズも多彩に取り揃え、ゴーリーの魅力を凝縮した展覧会となる。

エドワード・ゴーリーは、生前にさまざまな作品を発表する中、「ギャシュリークラムのちびっ子たち(The Gashlycrumb Tinies: or After the Outing )」(1963年)、「不幸な子供(The Hapless Child)」(1961年)。

ムーアズ殺人事件(1963年7月から1965年10月にかけて英国でイアン・ブレイディ=Ian Brady、1938-2017=とマイラ・ヒンドリー=Myra Hindley、1942-2002=によって5人の少年少女が殺害された事件)をテーマにした「おぞましい二人(The Loathsome Couple)」(1977年)をはじめ、舞台「ドラキュラ」のセット(1978年、トニー賞を受賞)や、「ミステリー」のポスターワークを手掛け、「そのダークかつミステリアスな魅力は、ゴーリーの持ち味の一つとして多くの人々を魅了」したという。

ウイキペディアによると、エドワード・ゴーリーは絵本という体裁でありながら、道徳や倫理観を冷徹に押しやったナンセンスな、あるいは残酷で不条理に満ちた世界観と、徹底して韻を踏んだ言語表現で醸し出される深い寓意性、ごく細い線で執拗に描かれたモノクロームの質感のイラストにおける高い芸術性が、「大人のための絵本」として世界各国で称賛と支持を得ているという。

1925年イリノイ州シカゴ生まれ、1943年に高校卒業後にシカゴ美術館付属美術大学に入学するも1学期で退学、その後、陸軍に入隊し、3年の服務後に除隊、ハーバード大学に入学し、フランス文学を専攻した。1953年にペーパーバックを出版するダブルデイ社の専属アーティストとして、さし絵やブックデザインなどの仕事を始め、同年に絵本「弦のないハープ またはイアブラス氏小説を書く」を発表した。

1960年に童話を多く出版するルッキング・グラス・ライブラリー社に移籍し、1962年に自らの出版社「ファントッド・プレス(Fantod Press)」を立ち上げ、1977年にブロードウェイの舞台「ドラキュラ」のセットと衣裳デザインでトニー賞、1986年にニューヨークからマサチューセッツ州のケープ・コッドに引っ越し、2000年4月15日にマサチューセッツ州の病院で心臓発作で死去した。

浜中利信さんは1961年東京都生まれ、慶応義塾大学文学部を卒業、在学中は「推理小説同好会」に所属、1976年に「ミステリマガジン」(早川書房)掲載の「オードリー・ゴアの遺産」で初めてエドワード・ゴーリーの作品を目にし、以降、ゴーリー作品を収集している。1999年に日本で最初のエドワード・ゴーリーに関するHPを開設している。ゴーリー作品については、書籍のほか、原画、版画、ポスターなどの紙モノ、人形やピンバッヂなどのグッズ類にまで及んでいる。「ミステリマガジン」では、不定期にゴーリーの翻訳も手掛けている。

開場時間は12時から19時(土・日曜日、祝日は17時)、入場料は1000円。

注:「浜中利信」の「浜」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。