インドからの出国断念、日本の水際対策は帰国者の人権無視だ(18)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年6月5日】5月26日、インド全土で14万5000人(死者4167人)と感染拡大が止まらない中、8月初旬の帰国を模索していた私は、日本政府の水際対策強化が緩和されない限りは、近い将来の帰国はほぼ絶望的との諦念に至った。

昨秋、訪ねた金沢競馬場。マンション自室に近いバス停から無料バスが出ていて、30分程で到着、競馬観戦初体験だったが、面白かった。コロナ禍で5月末まで無観客競馬、6月からはぼちぼち、実戦レースが見られるだろう。

まるで海外にいる人は帰って来るなと言わんばかりの厳格さで、PCR検査結果が出るまで下手すると2、3日応接間のようなところで待たされるという。陰性とわかっても、公共の交通機関は使えない、2週間の強制隔離は東京に自宅がない私はホテルになるが、いろいろ当たっても宿泊拒否されることが多く、九州出身の人など、郷里から親族を呼び寄せてレンタカー、ホテルを探すも見つからず、結局そのままレンタカーで帰ったそうな。

首尾よくホテルが見つかっても、10万円以上の出費、遠方の人では、30万円の自腹を切る羽目になった者もいたそうだ。そうまでして帰りたいかと言われると、国をまたいでの移動には、感染リスクが伴うし、ほうほうの体で逃げ帰っても、アジア最多の感染国帰りということで、何しに帰ってきたといわんばかりに邪険にあしらわれ、冷酷な人権無視のコロナ囚人待遇、これではビビるではないか。

インドは、外務省の渡航勧告が先般、レベル3に引き上げられたが、2とどこが違うのかと言うと、検査結果が出るまで移動不可、指定の空港内施設で待機しなければならないんである。2だと、一旦宿泊先もしくは自宅に落ち着いて待てるということだ。公共の交通機関が使えないのはいっしょなので、東京に自宅がない私にはさして変わらないが。

広大で美しい金沢競馬場のグラウンドで、赤い上着(勝負服)のジョッキー(騎手)がレース前の調教、サラブレッドの毛並みが艶やかだ。

一方、親族や友人に迷惑をかけてしまいそうなのも、躊躇(ため)われる要因のひとつだ。無論、帰りたいのは山々だが、それも状況が許せばということで、現況では、とてもとても無理なことを思い知らされ、ため息をつくばかりだ。

せめて、陰性と判明した海外帰りには、もう少し情状酌量の余地があってもいいのではないか。金沢にベースを持つ私は、事務的な所用も積み重なっているし、4月の予定がどんどんずれ込んでいるので、遅くとも夏には帰りたい、帰らなければらならないのだが。

あわや帰宅難民の試練を強いられそうになった体験者によると、申告書に、日本での待機場所(宿泊先もしくは自宅)や、公共交通機関以外の移動手段を記入せねばならず、下記の場所から外出しません、公共の交通機関を使用しませんと誓約させられ、虚偽の申告をした場合は6カ月以下の懲役または50万円以下の罰金が科せられる旨明記されていたという。要請と言いながら、有無を言わせぬ強制、こんな事実を知ってしまうと、びびらざるを得ない。

いい加減でルーズなインドに比べると、日本は規律に厳しく、国民もそれを守る国で、そのことがコロナ対策には効力を発揮したが、非常時の海外在住者の帰国には、裏目に出たわけで、ああ、こんな時インドのように融通がきいたらなあと恨めしく思ってしまう。

せめて、陰性者には、公共の交通機関利用を認めてくれると助かるんだが。あくまで自粛要請、法的強制でないことを盾にとって公共の交通機関を使用しますと正直に申告した場合はどうなるんだろうか。中には、こっそり公共交通機関を利用して帰郷した違反者もいただろうと推測するが。初期に若い沖縄女性が警告無視で飛行機で帰って、後日感染発覚した例もあった。

金沢市内の繁華街(広坂)にあるカトリック金沢教会は、北陸一の威容、内部のステンドグラスが美しい。コロナ禍で6月から週末ミサを再開するも、信者に分散参列の協力を仰いでいる。

ある人が(人権団体の代表か)、感染者に公共の交通機関を使わずにどうやって検査センター(全国に700カ所しかない)まで行かせるんだ、自家用車で迎えに来てくれる家族がない場合、発熱している当人にレンタカーを運転させるのか、あるいは救急車は使えるのかといった公開質問状を厚生労働省に送っていたが、そうでなくとも、検査にパスした帰国者も、何とか自国に逃げ帰れてほっと一息ついたのも束の間、さらなる試練が待ち構えているわけで、横になることもできないようなところで2、3日待機させられた挙句の、レンタカー手配、ホテル探し、こんな気苦労を強いられたら、熱がどっと出そうである。待機中の感染リスクもあるし、一旦脱出案は白紙に戻さざるをえなくなった。

一方、25日からインド国内便が再開、まだ3割程度だが、各州の空港には、どっとマスク顔の人が詰めかけた。首都デリー(Delhi)では、キャンセルも相次ぎ、感染リスクを押して駆けつけた乗客は声高な不平を漏らしていた。またしても、密な状況が作られ、憂慮されるが、2カ月以上全土封鎖でも感染拡大が止まらないんだから、あとは野となれ山となれ、である。インドがどこまで暴走するか、とどまる羽目を余儀なくされた私としても、カッキリ目を開いて見届けさせていただくつもりだ。

国内便の運航もあとひと月もすれば、落ち着き、スムーズになるはずで、息子にもその時点で帰郷を勧めるつもりでいるが、感染爆発都市・ムンバイ(Mumbai)からの帰還で2週間の隔離は免れないだろう。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

6月4日現在、インドの感染者数は18万4121人、死亡者数が6088人。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。また、インドでは3月25日から4月14日までを「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日までを「ロックダウン2.0」、5月1日から17日までを「ロックダウン3.0」、18日から31日を「ロックダウン4.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン」と総称しています)