150年前の黒人奴隷を描いた「ハリエット」、今も変わらないのか(291)

【ケイシーの映画冗報=2020年6月11日】さる6月5日より、東京都内のほとんどの映画館が上映を再開しました。いくつかの制約はあるものの「自由に映画が観られる」ことについては、素直に喜んでいます。

当初、3月27日から一般公開される予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大により延期され、6月5日から公開された「ハリエット」((C)2019 Focus Features LLC.)。制作費が1700万ドル(約17億円)、興行収入が4250万ドル(約42億5000万円)となっている。

「自由」という言葉について、アメリカでの生活が長い知人が、こんなことを教えてくれました。
「アメリカの選挙では、候補者が語るモットーは“USA”や“フリー”か“フリーダム”(いずれも自由の意)、“ビクトリー(勝利)”の3つが定番で、対立候補同士、おなじことを言っている。正直、違いがわかりにくい」

“フリー”や“フリーダム”はアメリカの重要で共通の価値観なのでしょう。かつて、アメリカのアカデミー賞で政治的発言をとがめられた映画人がこう反論していました。
「アメリカは自由の国ではなかったのか」

これだけ「自由」が重要視されるのは、アメリカという国家が「不自由な」ことも影響していたからでしょう。

2014年のアメリカ・アカデミー賞で、作品賞と脚色賞(原作のある作品の脚本)など3部門で栄誉に輝いた「それでも夜は明ける」(12Years a Slave、2013年)は、権利をもった自由黒人でありながら奴隷として扱われた実在の人物を描いた作品でした。

本作「ハリエット」(Harriet、2019年)は「自由でなかった」黒人女性であるハリエット・タブマン(Harriet Tubman、1822-1913)の波瀾の生涯を映画化したものです。ハリエットは、2016年に、新しく発行される20ドル紙幣の肖像画に、アフリカ系アメリカ人としてはじめて選出されています。

1849年、メリーランド州の農場で奴隷として働くミンティ(演じるのはシンシア・エリボ=Cynthia Erivo)は、自由黒人の男性と結婚し、過去の契約書から奴隷生活からの解放を最大の希望として、日々を過ごしていました。ところが、農場は困窮しており、ミンティは遠い南部に売り飛ばされることを宣告されます。

自由への希望を求めて、ミンティはたったひとりで、奴隷制が禁じられたペンシルバニア州フィラデルフィアに向かいます。そこでミンティは、奴隷制度の撤廃を目指す黒人活動家のウィリアム(演じるのはレスリー・オドム・Jr.=Leslie Odom Jr.)の知己を得て、「ハリエット」と名乗るようになったのです。

やがて、ハリエットは、農場に残った家族を助け出そうと、逃亡奴隷を助ける地下組織である「地下鉄道」で先導役の“車掌”として活躍するようになり、脱出行をいくども成功させ、“モーゼ”(旧約聖書に登場する予言者でヘブライ人を脱出させた)と呼ばれるようになります。

一方で、“モーゼ”に黒人奴隷を解放されて資産を失った農場主たちは、賞金首として“モーゼ(ハリエット)”を追わせるように画策します。それを知りながら、年老いた両親を救うため、かつて自分の暮らした農場に潜入するハリエットは、戦ってでも使命を遂げる決意を固めていました。

劇中、ハリエットはいくどか、この言葉を口にします。「自由か、死か(Be Free or Die) 」

似たような表現に、ニューハンプシャー州のモットーでもある「自由に生きるか、それとも死か(Live Free or Die)」というものもあります。

本作の舞台となった1850年代のおよそ70年前、アメリカ合衆国は、イギリスから独立しています。そのときの戦った入植者や開拓者たちが求めたのが自由だったのです。このとき勝ち得た自由を謳歌していたのは主に白人であり、その労働力である黒人奴隷たちは、主人の私有財産として、売買されたり、貸し出されたりしていたのです。

現在の価値観では信じられませんが、人間としての扱いではなかったのです。西部開拓時代の判例には、「(外国人である)メキシコ人と黒人の殺害は殺人罪ではない」というものもあるのだそうですから。

そんな時代に、小柄(150センチほど)な女性であったハリエットは、自分自身の人生を生き抜くため、銃を手にすることを決意します。「戦ってでも自由を」と心に決め、信じられないほどの行動力(最初の脱出行では大自然の中、160キロをひとりで踏破)と結果(最初の10年間で70人、その後の南北戦争でも700人以上の黒人奴隷を救出)を残した彼女は、性別や人種を超えた「アメリカの偶像」として、紙幣の肖像画となったのでしょう。

この新札発行は本年の予定でしたが、諸般の事情により、最短で2028年へと延期されています。いま、アメリカでは人種差別が大きな問題となり、各地で騒然とした状況となっています。世界規模でも多民族への蔑視が、件のコロナウィルス問題で顕在化しているのも現状です。

ハリエットが活躍した150年前と、さほど変わっていないのでしょうか。アメリカも世界も。次回は「エジソンズ・ゲーム」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。

編集注:アメリカンセンターによると、アメリカでは現在、1ドル札に初代大統領(1789年4月30日から1797年3月4日)のジョージ・ワシントン(George Washington、1732-1799)、2ドル札に第3代大統領(1801年3月4日から1809年3月4日)のトーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson、1743-1826)。

5ドル札に第16代大統領(1861年3月4日から1865年4月15日)のエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln、1809-1865)、10ドル札に建国の父の1人で、初期外交のリーダー、独立戦争の総司令官(ジョージ・ワシントン)の副官を務めたアレクサンダー・ハミルトン(Alexander Hamilton、1755-1804)、20ドル札に第7代大統領(1829年3月4日から1837年3月4日)のアンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson、1767-1845)。

50ドル札に第18代大統領(1869年3月4日から1877年3月4日)のユリシーズ・S・グラント(Ulysses S.Grant、1822-1885)、100ドル札に建国の父の1人、ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin、1706-1790)が使われている7種類が流通している。

また、製造中止になっている札としては、500ドル札の第25代大統領(1897年3月4日から1901年9月14日)のウイリアム・マッキンレー(William McKinley、1843-1901)、1000ドル札の第22代大統領(1885年3月4日から1889年3月4日)と第24代大統領(1893年3月4日から1897年3月4日)のグローバー・クリーブランド(Stephen Grover Cleveland、1837-1908)。

5000ドル札の第4代大統領(1809年3月4日から1817年3月4日)のジェームズ・マディソン(James Madison、Jr.、1751-1836)、1万ドル札のリンカーン大統領時の財務長官(1861年3月7日から1864年6月30日)のサーモン・P・チェーズ(Salmon Portland Chase、1808-1873)、10万ドル札の第28代大統領(1913年3月4日から1921年3月4日)のウッドロー・ウイルソン(Thomas Woodrow Wilson、1856-1924)がある。

新しく発行される20ドル紙幣については、ウイキペディアによると、2016年に第44代大統領(2009年1月20日から2017年1月20日)のオバマ(Barack Hussein Obama2、1961年生まれ)政権時の財務長官、ジェイコブ・ルー(Jacob Joseph “Jack” Lew、1955年生まれ)が、タブマンをアフリカ系アメリカ人として初めて起用することを決定した。2016年4月20日に新紙幣のデザインをめぐる60万人以上を対象とした調査で、タブマンが1位を獲得していた結果を受けたものだ。

当初は2020年に発行される新10ドル札で女性がデザインされ、新20ドル札は2030年発行予定だった。しかし、「女性に参政権が与えられてから100年の節目となる2020年に20ドル札の変更を」という草の根運動により、10ドル札の変更は見送られ、新20ドル札が繰り上げて発行されることに決まった。

2019年5月22日、スティーブ・ムニューシン(Steven Terner “Steve” Mnuchin、1962年生まれ)財務長官は偽造を防ぐためのデザイン作成が遅れており、2028年までにはタブマンの新紙幣は公開されないと発表した。デザインの変更の主な理由は偽札問題への対応であり、イメージの問題ではないとし、20ドル札の前に、10ドル札と50ドル札の刷新があるとしている。