インド、オディシャ州は封鎖継続で101日へ、断たれたホテル再開(21)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年6月15日】前回、中央政府の方針で、5月末でロックダウン(都市封鎖)はひとまず解除され、段階的緩和措置に入ったとお伝えしたが、当オディシャ州(Odisha)はなんと6月末まで継続し、全土に先駆けて始まった3月22日からの完全封鎖は、計100日以上にも及ぶ長いものとなった。

ロブスターを鉄板でじゅーじゅーバター炒めする、ステーキ割烹「たけだ」(金沢市増泉)のオーナーシェフ(2019年10月)。

少しは期待もしていた私だったが、ナヴィーン・パトナイク(Naveen Patnaik)州首相の厳格ぶりには嘆息、8日にホテル営業再開の望みも断たれ、本日住み込みだけ残して通いのスタッフ2人の解雇を余儀なくされた。

夫が生前可愛がっていたスタッフも中には含まれており、朝私のもとにあいさつにきたが、「2カ月後に戻ってきてね」と希望を与えながらも、それが果たせないことはわかっているので、切なかった。

空の上の夫は怒っているかもしれない。籐のテーブルに貼り付けてあったミニサイズの遺影が剥がれて私の手元に飛んできて、いかにも何か言いたげに怒り顔で見上げているのだ。しょうがないでしょう、とつぶやきながら、携帯ボックスに写真を仕舞ったら、後刻一階に持ち運んだスマホの裏にくっついてきた。

何が言いたいのだろうと、履歴用のミニ写真を見て、考え込んでしまった。後ろめたい罪悪感を、馘首(かくしゅ)したスタッフにともなく、空の上の夫にともなく、抱く。

目の前で焼かれたロブスター料理が白ワインと共に供される(2019年10月)。

さて、現在、当州の感染者数は2388人と増え、毎日140人前後で推移しているが、すべては州外の出稼ぎ労働者を受け入れたことから始まった。

以後、隔離センターでの陽性者が続出、州首相としても、今月末まで封鎖を独自の州政策でとらざるをえなかったこともわかるが、さすがの私も外出禁止疲れが出ている。

中央政府は、夜間外出禁止令をこれまでの19時から7時を、21時から5時と若干緩めたのに、当州に限っては従来どおりで、65歳以上の高齢者と10歳以下の子ども、妊婦は依然家内に封じ込められ、酒屋(インドの通称はワインショップ)も閉まったままで、たまにはストレス解消で独り酒もかなわない。

しかも、現在11地方(当プリー=Puri=地方含む)は週末の土日は完全閉鎖(シャットダウン)、私は相変わらず、浜への散歩もかなわぬ軟禁生活を強いられ続けている。

まさか、イタリアより長い監禁生活を強いられようとは思ってもみなかった。と、恨んでみても始まらないので、こうなったら開き直って、あと2カ月はじっくり推移を見守るしかないが。

バターで炒めたガーリックライスが香ばしくて、お代わりしたくなるくらい超美味だった。

そんな中、前回触れた国内便の日付変更を余儀なくされ、ひとまず9月5日、約3カ月後に変えたが、国際線不通の中、8月中も全日空便が運休継続の場合は、またしても、変更を強いられそうである。

国内線の日付に合わせて国際線を決めるという変則的な事態になったのも、コロナのせいである。インドの航空会社はコロナ禍でキャンセルとなっても、リファンド(返金)もしないし、日付変更を余儀なくされ、そのたびに手数料をふんだくられるのである。

それでも、新規に買うより安めかと考えて、現航空券を活かしているわけだが、あと何度変えれば、帰国便に合わせてのぴったしかんかんとなるだろうか。

まこと、非常時にフライトの日程変更を余儀なくされるのは、ギャンブルみたいなもんで、まぁ、今度もどうせ駄目だろうとの、外れの予測の元にやらされるのである。すべては息子がスマホ1本でやってくれるので、助かってはいるが。

インドの感染ピークはこれからで、6月末とも7月末とも言われているが、あとひと月でどれだけ増えるのか想像もつかない。毎日感染者数を記録更新、最新9000人を超えたので、1日1万人もすぐだ。

ブラジルのように、50万人にいってしまうのか。14歳の少年占星術師の5月29日から減少しだすと予言したのは完全に外れた感じで、7月収束との予測も怪しい雲行きになってきた。

ただ、今月末、遅くとも来月末には、ピークを迎え、少しずつ減りだすのではないかとの素人ながらの予測はつくが、あと2カ月は推移を見ないことには、なんともいえない。

最後に、6月4日現在のインド全土の感染者数を付記しておく。感染者数は21.7万人(回復者10.4万人)で、死者は6000人を超えた(6075人)。最悪はマハラシュトラ州(Maharashtra)で7万2320人(死者2465人)である。

●身辺こぼれ話
インドに移住してかれこれ33年、毎年のように母国との行き来を繰り返し、近年は年2度の日印往復が恒例となっていたが、まさか自由に行き来できなくなる非常時がやってこようとは夢にだに思わなかった。

私のみならず、全海外在住者には想定外のことだったろうが、身動きの取れない状態の中、折に触れ、蘇る金沢や、故郷福井に、飛行機が飛ばず昔みたいに海を隔てた遠い彼方になってしまった今、郷愁がいや増すばかりだ。

金沢在住の弟は美食家で、帰沢するたびにやれ日本海産のネタが新鮮な寿司名店や、金沢ならではの洒落たイタリアンやフレンチレストラン、懐石料理亭などの高級料理店に連れて行ってくれるのだが、そうした外食の想い出も脳裏をちらちらよぎるし、マンション近くの犀川光景や、繁華街の街の様子も、フラッシュバックされてくる。

北陸は収束に向けて動きだしているので、今は人も街中に戻っているだろう。美術館展示を見て、図書館で本を物色し、帰途喫茶店かレストランに立ち寄り、夜ぶらぶらと川沿いに歩きながら帰ってくるという当たり前の日常がいかに貴重なことだったか。

とくに移住者の私にとっては、年2度の気晴らしなので、それができない状態に不可抗力で投げ込まれてしまったのは、辛いし、寂しい。また前のように日印自由に行き来できる日がやってくることを祈ってやまない。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

6月15日現在、インドの感染者数は30万8993人、死亡者数が8884人。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。また、インドでは3月25日から4月14日までを「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日までを「ロックダウン2.0」、5月1日から17日までを「ロックダウン3.0」、18日から31日を「ロックダウン4.0」、6月1日から「アンロックダウン(Unlockdown)1.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン/アンロックダウン」と総称しています。

ただし、インド政府は5月30日に感染状況が深刻な封じ込めゾーンについては、6月30日までのロックダウンの延長を決め、著者が住むオディシャ州は独自に6月末までの延長を決めています。この政府の延長を「ロックダウン5.0」と分類しています)