インド、感染者50万突破間近に、息子の帰省待ちわびる(23)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年6月23日】6月末までのロックダウン(都市封鎖)も早いもので、もう半ばに達し、初期の封鎖中、いっこうに時が進まなかったのに比べ、慣れたせいか、時間の流れが速く感じられるようになった。

昨年12月、夫を亡くしたばかりの私を慰めるために、福井在住の旧友が石川県小松市の安宅の関、義経(よしつね、1159-1189)・弁慶(べんけい、?-1189)伝説で有名な観光地に車で連れていってくれた。

当地プリー(Puri)は本日13日は朝方から大雨、日本の梅雨入り同様わがオディッシャ州(Odisha)はモンスーン(雨季)に突入したようだ。 そもそも先月からよく雨が降り、例年にない冷夏だったのだが、今年の雨量は多くなりそうな気配である。日本の短い梅雨と違って、たっぷり3カ月近く、9月一杯まで続く。

新型コロナは湿気に弱いそうで、インドの長い雨季がウイルス退治に一役買ってくれないかとの期待も増すが、紫外線に弱いはずのコロナが酷暑季のインドで猛威を振るったことと考え合わせると、過剰な期待は禁物だ。

23日には恒例の山車祭が催される予定だが、この分だと、雨中敢行になるかもしれない。コロナ禍で厳重な警備のもと行われる無観客祭だから、いつもなら何十万人とあふれる巡礼旅行者の大観衆も皆無、3台の山車に祀られた三位一体神に謁見かなうのは、催行されるグランドバザール周辺に家や店がある人たちだけだ。それも、近づけないのだから、ベランダや屋上から遠目にである。

ホテルは休業要請を強いられ続けているので、例年のように祭り目当ての観光客も期待できず、私はいつものようにネットで動画チェック、大方の住民にとっても今年はテレビで視聴という味気ないお祭りになってしまうだろう。

石川県の史跡に指定されている安宅住吉神社の境内を出ると、日本海を望める絶好の見晴らしポイントが。折柄、陽が沈み出し、美しい落日を堪能できた。

さて、首都デリー(Delhi)をはじめ、西インドでは依然感染拡大に歯止めがかからず、1日の感染者数も全土で1万1000人を超えて更新し続け、現在32万人超、あと10日で50万人に達するとの予想も出ている。

それどころか、ピークは11月末との恐ろしい観測も一説にはあり、最近、ふっと年内の帰国は無理かもしれないとよぎりだした私の懸念をさらに強くする。

一旦解除した全土ロックダウンを再発令するとの噂も流れている昨今、私見では、デリーは3万人以上の感染者数からいっても、封鎖を継続すべきだったと思うが、中枢都市ゆえ経済再開に動き出さざるをえなかった事情もわからないではない。

そんな中、息子が今月25日帰郷することになった。といっても、感染爆発都市ムンバイ(Mumbai)からの帰省で、2週間の自宅隔離義務があり、戻ってもすぐには母子の対面もかなわず、想定外のとんでもない世の中になってしまったことに、つい嘆息が洩れるばかりだ。

しかし、昨秋、夫に先立たれ、未亡人独り暮らしの私にとっては、男の身内の存在は頼りになるもので、ホテルのことやら、今後のことをじっくり相談するつもりでいる。息子のラッパーとしてのキャリアも、コロナ禍で停滞しているし、将来のベースのことやキャリアのこと、じっくり話し合いたいと思う。

2月にムンバイに引っ越したばかりのわが子だったが、ひと月とたたぬうちにコロナ禍に見舞われ、感染最悪都市で巣篭もり生活を長々と強いられてきたのだ。当州も、3700人以上と急増しているが、少なくとも、ムンバイよりはずっとましで、人口20万人ほどのプリー(Puri)地方の実質患者数は55人、厳格な封鎖体制が依然敷かれているので、爆発には至らないと推測するが、このまま推移すれば5000人に達してしまうかもしれない。

ご来迎のようなまばゆい日本海の夕日に祈祷を捧げ、夫の冥福を祈った。最期の対面は叶わなかったが、やっとさよならができたようで、悲しみが癒された。旧友の温かい思いやりに感謝したものだ。

州外の都市部に出稼ぎに行っていた労働者の救済引き上げ措置で、感染者の9割は隔離センターからだが、列車やバスが運行を再開してからは、なんと54万人以上の出稼ぎ労働者が帰省したとか。

州外から持ち帰られては、いくら厳格な措置をとってもお手上げである。しかし、ナヴィーン・パトナイク(Naveen Patnaik)州首相はよく健闘している。州民の命優先で厳格なのはいいんだが、救済措置が講じられないのが、在外住民としては不満だ。ただ、当地にいてホテル内にこもっている限り、危機感はさほどない。

私個人に限って言えば、日常に戻りつつあるといった現況だ。ただし、前と違って、外に出れない日常に順応しつつあるといったところか。元々、こもって書いたりすることが多かったので、籠城(ろうじょう)は苦ではないが、やはり気晴らしに浜の散歩に出れないのは辛いし、寂しい。しかし、3階のベランダや屋上から遠目に海を眺めて、かろうじて外出欲求のなにがしかを満たしている。屋外スペースで深呼吸すると、こもりきりの生活の気散じになり、ほっと人心地つく感じ、外気に触れるだけでずいぶん違うものだ。

インドの本宅が、日本のワンルームマンションと違って、ゆったりしたスペースがあるのも、籠城生活を窮屈に感じない理由だと思う。未亡人の独り暮らしには広すぎるほどで、元々干渉されるのが嫌いで自由好き勝手にやりたい私だけに、軟禁のこつをつかんでしまえば、あとは楽勝である。

独りなので、うるさく言う人は誰もいない。夫が生きていたころも、彼は非干渉主義で、自分も独立独歩の人だったので、やりやすかったが、それ以上にもう誰にも気兼ねは要らなくなったのだ。

どこかで巣ごもりも悪くないと感じている自分がいることも確かで、リズムができてしまえば、制限のある中でも精一杯居心地よくできる。

あと1週間で、軟禁3カ月に達するわけだが、果たして引きこもり記録がどこまで延びるのかは私にもわからない。が、以前のような息詰まるような緊迫感やストレスはないし、だらだらと軟禁生活が続いていくだけのことで、この状態にもう慣れているので、さして苦痛には思わない。

日本の友人のサポートもありがたい。心配してくれて、何彼となく情報を送ってくれたり、改めて私は友人に恵まれていると感謝したり、こういう非常時ほど、真の友がわかるものだ。親族のサポートも無論ある。日本ばかりでない、当地では甥が陰に日向に支えてくれている。

息子が戻ってきたら、2人で力を合わせてこの危機を乗り切っていかねばと思っている。2週間の隔離義務が終了したら、一杯やりたいが、そのころまでにリカーショップはオープンしているだろうか。来月7日営業再開の噂も聞くが、ロックダウンのさらなる延長次第によっては、息子とのマスク越しの飲み会も延期を余儀なくされそうだ。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

6月19日現在、インドの感染者数は38万0532人、死亡者数が1万2573人。すでにイギリスを抜いて、アメリカ、ブラジル、ロシアに次いで4位になっている。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。また、インドでは3月25日から4月14日までを「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日までを「ロックダウン2.0」、5月1日から17日までを「ロックダウン3.0」、18日から31日を「ロックダウン4.0」、6月1日から「アンロックダウン(Unlockdown)1.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン/アンロックダウン」と総称しています。

ただし、インド政府は5月30日に感染状況が深刻な封じ込めゾーンについては、6月30日までのロックダウンの延長を決め、著者が住むオディシャ州は独自に6月末までの延長を決めています。この政府の延長を「ロックダウン5.0」と分類しています)