戦場でしか生きられない姿を最後まで描き続けた新「ランボー」(293)

【ケイシーの映画冗報=2020年7月9日】「Rambo/ランボー」とはランダムハウス英語辞典では、名詞では「たくましい男。一匹狼の殺戮(さつりく)もの、復讐者」、動詞では「めちゃめちゃに壊す(やっつける)」、という意味です。

現在、一般公開中の「ランボー ラストブラッド」((C)2019 RAMBO V PRODUCTIONS, INC.)。作品は「R15+」(15歳未満の入場・鑑賞を禁止)に指定されている。制作費が5000万ドル(約50億円)で、興行収入は世界で9149万ドル(約91億4900万円)を記録した。

普通名詞として英語の辞書に記されている映画の主人公というのは、本当にかぎられた存在でしょう。もとアメリカ陸軍特殊部隊グリーン・ベレーのベトナム帰還兵ジョン・ランボーを主人公にした「ランボー」(First Blood、1982年)は、「国のために戦ったのに、帰国してもさげすまれ、非難される」ベトナム帰還兵を描いた作品でした。

とくに日本ではヒットし、邦題の「ランボー」は、本国でもメインタイトルとなり(第2作「ランボー 怒りの脱出」の原題は「Rambo:First Blood PartⅡ」1985年)、シリーズ名となって、5本目の本作「ランボー ラストブラッド」(Rambo: Last Blood、2019年)まで踏襲されるのです。

前作「ランボー 最後の戦場」(Rambo、2008年)のラストで、東南アジアでの放浪生活からアメリカの故郷にもどって10年、ランボー(演じるのはシルヴェスター・スタローン=Sylvester Stallone)は、アリゾナ州にある亡父の牧場を継ぎ、古い友人の女性マリア(演じるのはアドリアナ・バラーサ=Adriana Barraza)とその孫娘ガブリエラ(演じるのはイヴェット・モンレアル=Yvette Monreal)と交流することで、ようやく平和な日々を過ごすようになっていました。

両親のいないガブリエラを実の娘のようにいつくしむランボーでしたが、彼女がメキシコの人身売買組織に捕らわれてしまったことから、メキシコへ潜入します。現地で大いなる悲しみを経たランボーは、犯罪組織との徹底抗戦を誓い、敵を自分の牧場へと誘い込みます。地下坑道を含めて牧場全体を巨大な“罠”としてランボーは、最後の戦いを挑むのでした。

1976年の「ロッキー」(Rocky)の大ヒットでアメリカン・ドリームを体現したシルヴェスター・スタローンのもうひとつの当たり役であるランボーは、多くのアメリカ人にとって“遠い世界のできごと”であった「戦場体験」を映画として表現したキャラクターでした。

第1作でかつての戦友(亡くなっていた)を訪ねただけで、ランボーは保安官に拘留されてしまいます。そこで戦場での体験が蘇り、ランボーは戦うマシンと化してしまうのです。

2作目でかつての任地だったベトナム、3作目をソ連(当時)が軍事侵攻していたアフガニスタンで戦ったランボーは、4作目でタイで隠遁生活を送っていたにもかかわらず、ミャンマーの軍事政権下での戦いに身を投じてしまうのでした。

これまでのランボーの戦いは、「自身の選択」というよりは「成り行き」的な発生となっています。第1作の原題「ファースト・ブラッド(First Blood)」は“最初の血”が直訳ですが、意味合いとしては「最初に手を出した」といった感覚でしょうか。

2作目はベトナムに残るアメリカ兵捕虜の救出、3作目が行方不明となった恩師を救うためのアフガン行きでした。4作目も、戦いとは無縁の生活だったランボーを戦いに引きこむのは交流のあった人々を助けるためだったのです。

ただし、ランボーの圧倒的な戦闘力(ひとりのグリーン・ベレー隊員は、通常の兵士10人に匹敵する戦力とも)による、戦った相手は手荒く叩かれてしまいますが。

原案、脚本(共同)、主演のスタローンは、これまでのシリーズと本作との違いをこう述べています。
「孤独な戦いを続けてきたこれまでのシリーズと違って、家族のために戦うランボーを描いた。(中略)自分が愛し、そのためなら死んでもいいと思える対象が家族だから、最後のテーマに選んだんだ」(2020年6月19日読売新聞夕刊)

これまでずっと敵地で戦ってきたランボーが、本作では自分の牧場に相手を引きこんで戦います。仕掛け爆弾や落とし穴、罠だらけのトンネルなど、かつてベトナムでランボーが戦った戦場が再現された自分の牧場は、とても安息の地とは感じられませんが、ランボーにとっては“懐かしい故郷”なのでしょうか。また、精神安定剤とおぼしきクスリが幾度も登場しますが、最後の決戦のまえに決別します。「戦場でしか生きられない」のがランボーなのかもしれません。

もうひとつの当たり役“ロッキー”も初登場からロートルのボクサーという設定でした。40年後のいまではリングにあがりはしませんが、親友の遺児である現役ボクサーをトレーナー役として見守っています。ひょっとしたら、ランボーも“ラスト”ではないのかもしれません。次回は「透明人間」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。