丸善日本橋で美濃桃山陶展、荒川豊蔵、河井寛次郎、金城次郎ら

【銀座新聞ニュース=2020年7月29日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は7月29日から8月4日まで3階ギャラリーで「数寄者の茶陶展」を開く。

丸善・日本橋店で7月29日から8月4日まで開かれる「数寄者の茶陶展」に出品される川喜田半泥子の「刷毛目茶碗 銘 いすず川」(百碗之内)。

「楽焼」などの茶陶作品をはじめ、近・現代を代表する陶芸作家が制作した茶陶の作品、重要無形文化財保持者(人間国宝)の荒川豊蔵(あらかわ・とよぞう、1894-1985)や加藤唐九郎(かとう・とうくろう、1897-1985)らが魅せられ、制作の原点となった「美濃桃山陶(みのももやますえ)」の作品を展示する。

また、荒川豊蔵、加藤唐九郎のほかに出品するのは、1960年に重要無形文化財保持者(人間国宝)の候補となるも辞退した板谷波山(いたや・はざん、1872-1963)、1955年に重要無形文化財保持者に指定されるも辞退した北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん、1883-1959)、加藤唐九郎の長男、岡部嶺男(おかべ・みねお、1919-1990)、元百五銀行頭取で、3人の人間国宝を支援した川喜田半泥子(かわきた・はんでいし、1878-1963)。

1956年に重要無形文化財保持者に認定された金重陶陽(かねしげ・とうよう、1896-1967)、1970年に重要無形文化財保持者に認定された三輪休和(みわ・きゅうわ、1895-1981)、1976年に重要無形文化財保持者に認定された中里無庵(なかざと・むあん、1895-1985)、文化勲章、重要無形文化財保持者、芸術院会員などへの推挙をすべて辞退した河井寛次郎(かわい・かんじろう、1890-1966)。

1961年に重要無形文化財保持者に認定された加藤土師萌(かとう・はじめ、1900-1968)、1986年に重要無形文化財保持者に認定された藤本能道(ふじもと・よしみち、1919-1992)、1989年に重要無形文化財保持者に認定された第13代今泉今右衛門(いまいずみ・いまえもん、1926-2001)、2001年に重要無形文化財保持者に認定された第14代酒井田柿右衛門(さかいだ・かきえもん、1934-2013)。

1955年に第1回重要無形文化財保持者に認定された浜田庄司(はまだ・しょうじ、1894-1978)、1993年に重要無形文化財保持者に認定された松井康成(まつい・こうせい1927-2003)、1995年に重要無形文化財保持者に認定された加藤卓男(かとう・たくお、1917-2005)、1985年に重要無形文化財保持者に認定された清水卯一(しみず・ういち、1926-2004)、、1985年に重要無形文化財保持者に認定された金城次郎(きんじょう・じろう、1912-2004)ら。

可児市(かにし)によると、美濃桃山陶とは安土桃山時代(1568年ころから1616年ころまで)、なかでも、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし、1537-1598)が政権を握ったころ、志野焼に代表されるような、東濃地方で焼かれた陶器のことで、長い間、愛知県瀬戸市で焼かれたものと考えられ、「黄瀬戸」や「瀬戸黒」と呼ばれた。

中国やヨーロッパから陶磁器が入り、新しい文化との交流に触発され、安土桃山時代に岐阜県の美濃地方(現可児市久々利など)で新しく釉薬(ゆうやく)の掛かった焼き物が誕生し、わずか20年から30年の間しか焼かれなかったが、日本美術の転換期に開花し、当時の人々の美意識に変革をもたらしたとされている。

久々利大萱(くくりおおがや)で桃山時代の志野の窯跡を発見し、その再興に尽くしたのが人間国宝の荒川豊蔵で、そのきっかけとなったのが、名古屋の旧家所蔵の「志野筍茶碗」で、荒川豊蔵はこの茶碗を手にしたとき、底にこびりついた米粒ほどの赤い土に気づき、この赤土が瀬戸にないことから、志野は瀬戸で焼かれたという定説に疑問を持った。

多治見や可児の窯跡を調査し、久々利大萱で筍の絵のある志野の陶片を発見し、この発見は「日本の陶磁史を覆す大発見」といわれた。この発見から3年後の1930(昭和8)年、荒川豊蔵は39歳の時に大萱に窯を開き、以来、志野や瀬戸黒を再興することに半生を捧げた。

大窯は15世紀後半から造られ、地表をある程度掘りくぼめ、傾斜を利用しつつ床面を造り、粘土などで天井や壁を築いた窯跡で、以前の時代により製品を焼く温度が高くなり、釉薬をかけた多くの製品が焼かれた。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。入場は無料。

注:「浜田庄司」の「浜」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使っています。