丸善丸の内で九谷焼モダン展、加賀、小松、能美、金沢の作家

【銀座新聞ニュース=2020年9月7日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)は9月9日から15日まで4階ギャラリーで「九谷モダン展」を開く。

丸善・丸の内本店で9月9日から15日まで開かれる「九谷モダン展」のフライヤー。

2019年2月に芸術新聞社より刊行された「九谷モダン」(芸術新聞社編、税別2800円)に掲載された陶芸家たち90人の新作を展示する。定評あるベテランから気鋭の若手まで、個性豊かな作品を生み出し続ける現代の九谷焼作家の作品を紹介する。

「九谷モダン」は現代の九谷焼作家93人と260点以上の作品を紹介している、「現代」から入る九谷焼の新しい入門書となっている。主な内容は「九谷焼開窯360年の歴史と展開」をはじめ、九谷焼の技法とデザイン、九谷焼ができるまで、今、九谷焼に何が起きているのかと九谷焼全体を概観している。

また、地域別に加賀九谷、小松九谷、能美九谷、金沢九谷を取り上げており、石川県指定無形文化財に認定されている、福島武山(ふくしま・ぶざん)さんの一門にも触れている。

今回、出品しているのは山本篤(やまもと・あつし)さん、山本高寛(やまもと・たかひろ)さん、山本秀平(やまもと・しゅうへい)さん、山本芳岳(やまもと・ほうがく)さん、山本浩二(やまもと・こうじ)さん、苧野直樹(あさの・なおき)さん、苧野憲夫(あさの・のりお)さん、河島万璃(かわしま・まり)さん、河島洋(かわしま・ひろし)さん、北出太郎(きたで・たろう)さん。

佐藤亮(さとう・りょう)さん、出口瑞花(でぐち・みずか)さん、堀江裕夫子(ほりえ・ゆうこ)さん、小林恵子(こばやし・えいこ)さん、山本長左(やまもと・ちょうざ)さん、山本大輔(やまもと・だいすけ)、仲田錦玉(なかた・きんぎょく)さん、高聡文(たか・そうぶん)さん、高明(たか・あきら)さん、中村陶志人(なかむら・としと)さん。

宮本雅夫(みやもと・まさお)さん、宮本忠夫(みやもと・ただお)さん、吉田美統(よした・みのり)さん、吉田幸央(よした・ゆきお)さん、井上雅子(いのうえ・まさこ)さん、田村星都(たむら・せいと)さん、浅蔵五十吉(あさくら・いそきち)さん、浅蔵宏昭(あさくら・ひろあき)さん、浅蔵一華(あさくら・いっか)さん、打田幸生(うちだ・ゆきお)さん。

河端理恵子(かわばた・りえこ)さん、北村隆(きたむら・たかし)さん、北村和義(きたむら・かずよし)さん、田島正仁(たじま・しょうに)さん、田畑奈央人(たばた・なおと)さん、徳田八十吉(とくだ・やそきち)さん、中田一於(なかだ・かずお)さん、中田博士(なかだ・ひろし)さん、糠川孝之(はせがわ・たかゆき)さん、美山富(みやま・とみ)さん。

宮吉由美子(みやよし・ゆみこ)さん、山口義博(やまぐち・よしひろ)さん、山中国盛(やまなか・くにもり)さん、宮本直樹(みやもと・なおき)さん、西由香(にし・ゆか)さん、福島武山さん、山田義明(やまだ・よしあき)さん、牟田陽日(むた・ようか)さん、林美佳里(はやし・みかり)さん、柴田有希佳(しばた・ゆきか)さん。

有生礼子(ありせ・れいこ)さん、東早苗(ひがし・さなえ)さん、福田良則(ふくだ・よしのり)さん、船木大輔(ふなき・だいすけ)さん、宮本晄(みやもと・あきら)さん、南絢子(みなみ・あやこ)さん、沢田郁美(さわだ・いくみ)さん、山田登陽志(やまだ・とよし)さん、河田里美(かわだ・さとみ)さん、中田雅巳(なかだ・まさる)さん。

三浦晃禎(みうら・てるただ)さん、谷敷正人(やしき・まさと)さん、宮腰徳二(みやごし・とくじ)さん、中村重人(なかむら・しげと)さん、上出恵悟(かみで・けいご)さん、米田和(よねだ・かず)さん、山岸大成(やまぎし・たいせい)さん、山岸青矢(やまぎし・せいや)さん、川上真子(かわかみ・まこ)さん、新田智子(にったともこ)さん。

田中由紀(たなか・ゆき)さん、新川敦子(しんかわ・あつこ)さん、河内範子(かわうち・のりこ)さん、多田幸史(ただ・ゆきふみ)さん、山近泰(やまちか・やすし)さん、吉村茉莉(よしむら・まり)さん、織田恵美(おだ・えみ)さん、木戸優紀子(きど・ゆきこ)さん、平野由佳(ひらの・よしか)さん、桜谷藍太郎(さくらや・あいたろう)さん。

戸出克彦(といで・かつひこ)さん、長谷川塑人(はせがわ・そじん)さん、斎藤(さいとう)まゆ、架谷庸子(はさたに・ようこ)さん、野上映翠(のがみ・えいすい)さん、上端伸也(かんばた・しんや)さん、森岡希世子(もりおか・きよこ)さん、前田昇吾(まえだ・しょうご)さん、竹内瑠璃(たけうち・るり)さん、吉田純鼓(よした・じゅんこ)さん。

ウイキペディアなどによると、九谷焼は石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器で、大聖寺藩領の九谷村(現石川県加賀市)で、良質の陶石が発見されたのを機に、加賀藩の命により、藩士の後藤才次郎(ごとう・さいじろう、1634-1704)を佐賀・有田へ技能の習得に赴かせ、帰藩後の明暦初期(1655年ころ)、藩の殖産政策として、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりとされる。

しかし、約50年後(18世紀初頭頃)突然、廃窯となり、窯跡は加賀市山中温泉九谷町にあり、1号窯、2号窯と呼ばれる2つの連房式登窯と、19世紀に再興された吉田屋窯の跡が残っており、この間に焼かれたものは、現在「古九谷(こくたに)」と呼ばれている。

古九谷の廃窯から、約1世紀後の1807年に加賀藩が京都から青木木米(あおき・もくべい、1767-1833)を招き、金沢の春日山(現金沢市山の上町)に春日山窯を開かせたのを皮切りに、数々の窯が加賀地方一帯に立った。これらの窯の製品を「再興九谷」という。

同じ頃、能美郡の花坂山(現小松市八幡)で、新たな陶石が発見され、今日まで主要な採石場となった。これらの隆盛を受け、それまで陶磁器を他国から買い入れていた加賀藩では、1819年に磁器を、1820年に陶器を、それぞれ移入禁止にした。

1832年ころに小野窯に陶匠として招かれる、寺井村(現能美市寺井町)生まれの九谷庄三(くたに・しょうざ、1816-1883)は能登の火打谷(現志賀町)で、能登呉須と呼ばれる顔料を発見し、後の九谷焼に多大な影響を与え、1840年ころに故郷に戻り、寺井窯を開いた。ヨーロッパから入った顔料を早い時期から取り入れ、彩色金欄手を確立し、庄三風と呼ばれる画風は後にヨーロッパに輸出される九谷焼の大半に取り入れられることになる。

明治時代に入り、九谷焼は主要な輸出品となり、1873年のオーストリア・ウィーン万国博覧会などの博覧会に出品されると同時にヨーロッパの技法も入り込んだ。1872年ころから型押しの技術が九谷焼にも取り入れられ、1892年ころから、獅子を始めとする置物の制作が盛んとなり、大正時代になると型が石膏で作られるようになり量産化が進んだ。

また、明治維新による失業士族の授産施設として1872年に誕生した金沢区方開拓所製陶部は、砂子吉平(すなこ・きちへい、生没年不詳)、初代諏訪蘇山(すわ・そざん、1851-1922)らの参加を得て成果を上げ、1876年には「石川県勧業場」と名を改めた。1887年に金沢工業学校(現石川県立工業高校)が開校し、次代の陶芸家が育成されるようになった。

現在、九谷焼は陶器と磁器があり、上絵付けを九谷でしたものを「九谷焼」と呼んでいる。陶器は原料が陶土(粘土)で、温かみがあり、全体に厚くぽってりした感じで、指ではじくと、鈍い音がする。一方の磁器は原料が陶石(石の一種)で、白く堅い感じがあり、薄くて軽くて丈夫で、指ではじくと「チン」と金属質の音がする。

開場時間は9時から21時(最終日は15時)、入場は無料。9日8時45分から1階正面入口前で、購入整理券の抽選を行う。