ロオジエで秋ランチ、茸つくしに白トリュフ、対馬地どり、オマール海老

【銀座新聞ニュース=2020年9月18日】国内最大の化粧品メーカーの資生堂(中央区銀座7-5-5、03-3572-5111)が運営する「ロオジエ」(中央区銀座7-5-5、0120-156-051、03-3571-6050)は9月18日から秋限定ランチコース「Clin d’oeil a l’Automne」を提供している。

ロオジエで提供されている秋限定ランチコース「クラン ドゥイユ ア ロータム(Clin d’oeil a l’Automne、秋のめくばせ)」のアミューズブーシュ。

エグゼクティブシェフのオリヴィエ・シェニョン(Olivier Chaignon)さんが考案したランチコースで、セップ茸のロワイヤル、栗のブルーテ、フォワグラと梨の3つの層をアールグレイティーの泡がふんわりと包むアミューズブーシュで始まり、三陸産の肉厚な帆立、ラヴィオリの周りにジロール茸とトランペット茸が散りばめられた前菜が続く。

メインは長崎県産の対馬地どりとオマールエビで、イタリアから取り寄せた白トリュフが散りばめられている。デザートは洋ナシのコンポートとハチミツのアイスクリーム、クルミ生産量日本一の長野県産の「クルミのスフレ」になる。

ウイキペディアによると、トリュフはキャビア、フォアグラとともに世界の3大珍味とされ、日本では「セイヨウショウロ(西洋松露、Tuber spp)」と呼ばれるきのこの総称で、通常のきのことは外観が大きく異なり、かさ・ひだ・柄を欠き、ゆがんだ球状ないし塊状をなしている。

内部ははじめは淡い灰色ないしほぼ白色を呈するものが多いが、成熟するとともにより暗色となり、多くは黒っぽい地に不規則で淡色の脈を生じ、全体としては大理石状の模様を形成する。成熟するに伴い、特有の芳香を発し、老熟すると大理石状の模様は不明瞭になり、香りも弱くなる。

「黒いダイヤ」とも呼ばれ、フランス産のペリゴール・トリュフ(黒トリュフ、Truffe melanosporum Vitt)とイタリア産の白トリュフ(Truffe magnatum Pico)が特に珍重され、食用に採取されている。

日本ではクロアミメセイヨウショウロ(Truffe aestivum Vitt、ヨーロッパで「夏トリュフ」と呼ばれる)やイボセイヨウショウロ(Truffe indicum Cooke et Massee)などの近縁種が最近になって報告されている。近年、中国産のイボセイヨウショウロが、黒トリュフや白トリュフの廉価な代用品として大量にヨーロッパに輸出されている。

トリュフが文献に登場するのは、紀元前16世紀で、ギリシア・ローマ時代に生態や調理方法、健康への効能について多くの文献が記されている。ピタゴラス(Pythagoras、BC582-BC496)が健康への効能を説いたのが最初とされている。当時のトリュフは現在の黒トリュフとは異なり、テルファスという食用きのこだった。

ローマ時代が過ぎるとトリュフは忘れられ、14世紀フランスから再び注目され、この時代のトリュフは現在の黒トリュフと同じという。1825年にブリア=サヴァラン(Jean Anthelme Brillat-Savarin、1755-1826)が著書「美味礼讃」の中で、トリュフを「台所のダイヤモンド」と称し、媚薬としての効能を賞賛した。フランス、北部イタリア、イストリア地方の日常の料理、国際的なグルメ界では高く評価されている。

1808年に南フランスのヴォクリューズ県アプトのジョゼフ・タロン(Joseph Talon)がトリュフの宿主となることが分かっているオークの木の下から集めたドングリをその根の間に播(ま)くことを思いついた。実験は成功し、数年後、新しく育てたオークの木の周囲の土の中にトリュフが発生した。

これ以降トリュフ栽培は急激に拡大し、1847年にヴォクリューズ県カルパントラのオーギュスト・ルソー(Auguste Rousseau)が7ヘクタールにわたってオーク(これもトリュフが発生する木の周りから得たドングリ)を植え、その後大量のトリュフの収穫を得て、1855年のパリ万国博覧会で賞を獲得した。

19世紀の末に、南フランスのぶどう園が侵入害虫のブドウネアブラムシによって壊滅し、別の伝染病により南フランスのカイコが壊滅し、こうして広大な土地がトリュフ栽培のための空き地となり、トリュフを生産する樹木が何千本も植えられ、1892年にはフランス全体で収穫量は2000トンに上がり、1890年には750平方キロのトリュフ園があった。

20世紀に入ると、フランスの工業化とそれに伴う郊外への人口の移動により、これらのトリュフ園は放棄されて、第1次世界大戦(1914年7月28日から1918年11月11日)では従軍した男性の20%以上が亡くなり、フランスの田園地帯に深刻な打撃を与え、トリュフ栽培のノウハウは失われた。

しかも、19世紀に植えられたトリュフ園の寿命が尽きた。トリュフを生産する樹木の生活環は平均30年で、1945年以降、トリュフの生産が急減した。現在ではわずか20トンにすぎない。黒トリュフはほぼヨーロッパのみで生産され、フランス(生産の45%)、スペイン (35%) 、イタリア (20%) となっている。白トリュフは北および中央イタリアに見られ、トスカーナ州、ロマーニャ地方、マルケ州で生産されている。

野外でトリュフを探す場合は、特別に訓練されたメスのブタかイヌを用いる。ブタはかつてよく使われたが、現代の農家にはトリュフを食べないイヌの方が好まれる。ただ、イヌがトリュフの香りについて訓練が必要なのに対して、メスのブタには訓練が不要で、トリュフに含まれる化合物がメスブタを強く引きつけるオスのブタの性フェロモンと類似しているためとされている。

1996年、国際きのこアカデミーの高野吉則(たかはし・よしのり)さんと近畿大学農学部の稲葉和功(いなば・かずなり)さんとの共同研究により、世界で初めて菌床方式による人工栽培に成功している。

オリヴィエ・シェニョンさんは1978年フランス生まれ、14歳で「アプランティサージュ」という働きながら実地で学ぶ学校に入り、1つ星レストランを体験し、16歳から本格的に料理の道に入り、首席で学校を卒業し、18歳でフランスの料理コンクールで優勝し(その後のヨーロッパ大会では2位)、一つ星レストラン、二つ星レストランを経て、10カ月間、軍に入隊し、ハリケーンで被害を受けた南アメリカのニカラグアで援護活動を経験する。

その後、一つ星の「レストラン オペラ」、二つ星の「ルレ ドートゥイユ」を経て、三つ星の「タイユヴァン」で働き、さらに三つ星の「ピエール・ガニェール」の海外第1号店「スケッチ」のオープニングスタッフとしてロンドンへ移り、2005年に「ピエール・ガニェール・ア・東京」の総料理長として来日、2011年に帰国する際に、1973年に開店した「ロオジエ」のシェフに1986年に就任し、2005年にエグゼクティブシェフになったジャック・ボリー(Jacques Borie)さんから誘われ、2013年に「ロオジエ」のエグゼクティブシェフに就任している。

ランチの時間は12時から13時30分で、料金は2万5000円(税込、別途サービス料12%)。日・月曜日、祝日は休み。