丸善日本橋で「益子焼」展、浅田恵美子、横尾聡、清水秀輝ら

【銀座新聞ニュース=2020年10月13日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は10月14日から20日まで3階ギャラリーで「益子焼うつわ展」を開く。

丸善・日本橋店で10月14日から20日まで開かれる「益子焼うつわ展」に出品される作品。

「道祖士和田窯(さやどわだがま)」(栃木県芳賀郡益子町益子3144)や陶芸家の浅田恵美子(あさだ・えみこ)さんらが益子焼の代表的な釉薬(ゆうやく)を使った素朴な日常使いのうつわと作家たちの個性的な形技法で表現した器を展示販売する。

今回、作品を出品するのは、「道祖士和田窯」、浅田恵美子さんのほか、「菊地陶房(きくちとうぼう)」、横尾聡(よこお・さとし)さん、清水秀輝(しみず・ひであき)、萩原芳典(はぎわら・よしのり)さん。

ウイキペディアなどによると、益子焼は栃木県芳賀郡益子町周辺を産地とする陶器で、江戸時代末期の嘉永年間(1848年から1855年)に常陸国笠間藩(現笠間市)で修業した大塚啓三郎(おおつか・けいさぶろう、1828-1876)が益子に窯を築いたことにより始まったとされている。

益子焼の陶土は、豊富にあるものの、肌理が粗く精巧な器を作るには向かなかったため、当初の益子焼は主に水がめ、火鉢、壺などの日用品として制作された。その後、1927年から創作活動を始めた浜田庄司(はまだ・しょうじ、1894-1978)によって花器や茶器などの民芸品が作られるようになり、日本全国に知られた。1959年には、加守田章二(かもだ・しょうじ、1933-1983)が開いた窯により民芸一辺倒だった益子の作陶に現代的な独創性が加えられた。1979年には通産省(現経産省)から伝統的工芸品に指定された。

益子焼は砂気の多いゴツゴツとした土の質感をもち、材料の性質上割れやすく、重いという欠点がある。益子焼のもっとも基本的な釉薬は漆黒(しっこく)や「柿」と呼ばれる赤茶色、飴色(あめいろ)を出す鉄釉(てつゆ)で、石材粉や古鉄粉を釉薬にし、犬毛筆で色づけを行うため、重厚な色合いとぼってりとした肌触りに特徴がある。こうした昔ながらの施釉は土鍋や土瓶、片口といった、肉厚な陶器に使われる。

民芸運動以来、浜田庄司が得意とした杓掛け、流し掛け、掻き落としの技法を使った紋様を施した鉢や皿などが知られる。また、信楽焼流の絵付けを施した山水土瓶や、呉須(コバルト顔料)を使った陶器も多い。

栃木県益子町観光協会によると、現在、窯元は約250、陶器店は50店あり、春と秋に陶器市が開かれる。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。入場は無料。

注:「浜田庄司」の「浜」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。