インド、700万超も鈍化に、コロナ下に息子がアルバム、ミリオン願う(44)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年10月27日】10月11日現在、インド全土の感染者数は700万人を突破し、世界ワーストのアメリカとの差が70万人に縮まった。依然ワースト州のマハラシュトラ(Maharashtra)は150万人を突破、回復率が低めでまだ35万人もの患者を抱えている。

9月27日に自宅で亡くなっているのが発見された竹内結子(画像はウイキペディアから)。

だだし、全土の1日当たりの感染者数は7万人台と鈍化傾向にあり、全体を通して見ると回復率が高いことから、実質患者数はミリオンを切った。先月末まで連日9万人超を記録し、この分では、10万人台に乗ってしまうのではと危惧されたが、どうやらその事態は避けられたようでほっとしている。

とはいえ、予断は許さず、下旬に大きなお祭り(22日からドゥルガー女神祭(Durga)を控えているし、来月は光のお祭り、旧正月祭ディワリー (Diwali) が催される。爆竹を派手に鳴らして祝う過激なお祭りで、毎年市街戦の様相と化して、ドンパチ耳をつんざくような爆音連発で、私には苦手なお祭りだ。所構わず街路でかんしゃく玉を連弾させるので、耳はツーンとなるし、心臓にもよくない。犬猫はじめの生き物も怖がって怯える激祭だから、今年はコロナ下少しでも静かになってくれれば願ってもない。

ほかに、10月はサイクロンシーズンでもあるため憂慮される。日本も先月は台風シーズンだったが、とにかく、地球の温暖化現象で年々災害規模が大掛かりになっているので、懸念される。今現在、当地は低気圧下にあり、サイクロン警報は出ていないが、こまめに天気予報チェックを強いられる昨今だ。

大雨予報が出ているにもかかわらず、息子は(職業はラップミュージシャン、芸名はRapper Big Deal)、11月にリリースするアルバムの撮影で、州都に出かけていった。

コロナ下でも、音楽活動を継続している我が子には、インスパイアされることしきりだ。動画リリースされるアルバムがミリオンヒットして、コロナ不況を吹っ飛ばして欲しいと願うばかりだ。

●コロナ余話/国境で印中軍の小競り合い長引く

コロナ下、インドの経済成長率は過去最悪のマイナス9.5%と言われており、感染爆発して国力が弱まっている機に乗じてか、5月来、国境(1962年の中印紛争後の停戦・管理ライン=後年の実効支配線、戦闘場所は東北辺境地区のアクサイチン=Aksai Chin=で、圧勝した中国はそこを併合)付近で小競り合いが続いている。

インド空軍の最高司令官は先頃、中国とパキスタンの共謀を警戒、相手の出方次第によっては、軍事行使も辞さないことを明言したばかりだ。

ロックダウン(都市封鎖)さなかの5月9日には北部シッキム州(Sikkim)の国境付近で印中軍が衝突、150人の兵士による殴り合いで双方の負傷者が11人出た。以来、4カ月半に及ぶ小競り合いは収まる兆しかなく、7月には、モディ首相(Narendra Damodardas Modi)をして、中国とは戦争をしたくないと発言せしめ、その後の習近平主席との電話会談に繋がった。

何やらきな臭い感じで、ボヤのうちに消し止められればいいのだが。コロナとの闘いが先決で、戦争している場合じゃないと思うのだが、軍は度重なる挑発行為に強硬に抗議、来年辺り、インドもアメリカや英仏などの欧米諸国の支援を得られれば、賭けに打って出るかもしれない。

何せ、コロナを世界規模で広めた張本人として、中国は総スカンを食らっているから、中国に次ぐ巨大市場のインドとしても、中国に代われとばかり、商売面で色気を出し、それも中国をカチンとさせていることは間違いない。

コロナ制御に成功した中国は、コントロール不能で感染爆発しているインドの弱みにつけ込んで、一気に国境問題を優位に進めたいとの思惑もあるのかもしれない。

世界のコロナ拡大に乗じて軍事大国化の道を歩みだし、勢力拡大を狙っていると言われる中国だけに、新興経済大国として国力が拮抗していたインドを、一気に叩く絶好の機会と思っているのかもしれない。後、インドが国境付近で道路や滑走路の建設など、軍備増強を進めていることも、刺激の一因のようだ。

チベット問題を巡る両国の対立もあるし(1959年ダライ・ラマ14世=14th Dalai Lama=がインドに亡命、チベット亡命政府の国家元首に就任、2011年引退)、ほかに、中国はインド領のアルナーチャル・プラデーシュ州(Arunachal Pradesh)が自国領と主張し、地図にも記入し既成事実化、インドの反感を煽っている。

1度戦争をしているから、対中感情は最悪で、日頃中国人は、「チン」という蔑称で侮られている。6月20日にインド兵士が20人殺戮されたときは(45年ぶりの死亡事件)、反中感情が高まり、中国製品を壊したり、燃したりのボイコット運動も発生、政府も100以上の中国アプリを禁止するなどの制裁措置に出た。

国境紛争時の両軍による銃器未使用の取り決めも、9月には初の威嚇射撃に発展し、危ぶまれる雲行きになった。これ以上、エスカレートしないことを祈るばかりだ。

●身辺こぼれ話/故竹内結子主演の映画鑑賞1

最近、自殺した女優、竹内結子(たけうち・ゆうこ、1980-2020年9月27日)主演の映画、「ストロベリーナイト」(2013年)を観た。誉田哲也(ほんだ・てつや)原作の刑事物シリーズの1冊、「インビジブルレイン」が原作らしいが、刑事物はどちらかといえば苦手の私にも、ややヘビーな内容ながら、楽しめた。

実は1987年にインドに移住した私には、竹内結子は馴染みのない女優なのだが、少し前に、彼女主演の「ランチの女王」(2002年7月から9月、フジテレビ)を見て、コメディタッチのラブストーリーを楽しませてもらった経緯があった。この見慣れない可愛い女優は誰だろうと思ったら、竹内結子とあって、このたびの自殺の当事者だと知って、大変驚いたわけだ。

コロナ下で芸能活動が制限される今、インドても、若手の人気映画スターの自殺が世間を賑わせことは既に述べたが、平生通りだったら、助かった命だったかしれない。直接の原因でなくとも、個人的な要因が大きいとしても、間接的には、心理面に影響を及ぼしていると思う。

話が逸れたが、くだんの映画は、美人女刑事と、イケメンヤクザの絡みが見もので、主人公の心の闇をかいま覗かせ、超人的強腕の女刑事の人間的弱さが、興をそそる。

シンプルな紺のパンツスーツ、刑事の制服で全編通しつつ、生身の女を感じさせるのは、ルックスのみならず、演技力にもあるのだろう。惜しい女優を亡くした。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

10月23日現在、インドの感染者数は776万1312人、死亡者数が11万7306人、回復者が694万8497人、アメリカに次いで2位になっています。アメリカの感染者数は840万7702人、死亡者数が22万3032人、回復者が335万3056人です。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。また、インドでは3月25日から4月14日まで「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日まで「ロックダウン2.0」、5月1日から17日まで「ロックダウン3.0」。

18日から31日を「ロックダウン4.0」、6月1日から6月末まで「アンロックダウン(Unlockdown)1.0」、7月1日から「アンロックダウン2.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン/アンロックダウン」と総称しています。

ただし、インド政府は5月30日に感染状況が深刻な封じ込めゾーンについては、6月30日までのロックダウンの延長を決め、著者が住むオディシャ州は独自に6月末までの延長を決め、その後も期限を決めずに延長しています。この政府の延長を「ロックダウン5.0」と分類し、現在も「5.0」が続いています)

編集注:ウイキペディアによると、インドと中国の紛争「中印国境紛争」は、1914年7月3日に英帝国とチベットの間で調印され、チベットを形式的に中華民国(当時)の主権の下で実質的に独立した統治体として認めた「シムラ条約」(当時の中華民国は署名を拒否)以降、中印紛争はなかったが、1949年に建国された中華人民共和国が1950年にチベット侵攻を行った(最終的に中華人民共和国がチベットを編入)。

1954年に「ヒンディ・チニ・バイ・バイ」(中国とインドは兄弟)を掲げたネルー(Jawaharlal Nehru、1889-1964)と周恩来首相(しゅう・おんらい、1898-1976)は、ともに領土主権の尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和共存の5つからなる「平和五原則」を掲げた。

1956年にチベット動乱が起き、1959年にダライ・ラマ14世のチベット亡命政府がインドに亡命すると、中国とインドは、両国の国境の解釈をめぐって対立するようになった。1962年には主にカシミールとその東部地域のアクサイチンおよびラダック・ザンスカール・バルティスターン、ブータンの東側東北辺境地区(後のアルナーチャル・プラデーシュ州)で激しい戦闘となったが、中国人民解放軍の圧勝で終わった。

中印国境紛争後、アクサイチンに中国人民解放軍が侵攻、中華人民共和国が実効支配をするようになると、パキスタンもそれに影響を受け、1965年8月には武装集団をインド支配地域へ送り込んだ。これにインド軍が反応し、1965年8月に第2次印パ戦争が勃発した(9月に停戦、1966年1月4日に和平協議がはじまり、1月10日に両軍の撤退が合意)。

2003年にインドの首相が中国を訪問し、中国はシッキムをインドの領土と承認する代わりに、インドはチベットを中国領と承認することで、国家主席と合意した。2017年6月に中国軍がドグラム高原道路建設を始め、ブータンの防衛を担当するインド軍が出撃、インド軍と中国軍はもみ合いになったが、工事が停止し、2カ月にわたりにらみ合いを続け、8月に両部隊を撤退させることで合意した。

2020年5月、シッキム州の国境付近で中印両軍の殴り合いによる衝突が発生、中印軍の総勢150人が関与、中国側7人とインド側4人の計11人が負傷した。7月にインド、レディフ・オンラインサイトにおいて、モディ首相は中華人民共和国と「戦争はしたくない」との報道があり、その後、中国の習近平(しゅう・きんぺい)主席とモディ首相の会談が行われている。