インドで亡夫の1周忌、息子との対立も夢のお告げで落着(53、番外編)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年12月25日】12月10日は、ヒンドゥ暦(太陰暦)に則った亡夫の1周忌だった。命日の先月22日に、既に日本はじめ大方の世界の慣習に従った小儀式は済ませていたが、夫も息子もヒンドゥ教徒なので、本格的な1周忌は、18日ずれた日付けになるわけだ。

ホテル・ラブ&ライブ(在プリー)の先代オーナー、ビダヤダール・モハンティ(愛称クヌ)の遺影入り垂れ幕ボードが掲げらたエントランス(現地語オリヤで名前と一周忌の銘が記されている)。

11月の近親者3人のみのプライベートなセレモニーと違って、親族なども多めに参列する大掛かりな儀式で、準備にも時間を要した。事前に一番問題になったのは、会食をどうするかということだった。

折悪しくコロナ下、日本人の私は断固として大勢の人が一堂に会しての食事会に反対した。言わずもがな、感染リスク大で、うちのホテルがオーガナイズした会食会で、万が一感染者が出たら、宿の評判にも傷がつく。

州政府は、葬儀関連儀式に関しては、50人までの集会を許可していたため、どこか外部の会場を借りて催す案も持ち上がったが、いずれにしろ、感染リスクは同様、感染者が出たら、罰金はおろか、下手すると法的に訴えられ、逮捕という最悪の事態も危惧された。

息子は当初、20人から30人の会食を昼と夜に分けて2回、2日にわたって150人ほど供する案を模索中だったが、ホテルの2階の張り出しベランダは、屋外で換気は問題ないものの、ソーシャル・ディスタンスを取れば、10人かそこらがいいところ、食事を配るスタッフ側にも、感染リスクは及ぶ。それと、事前に近くの警察署に出向いて集会の許可を取らねばならなかった。

何事につけ、スローモーなインド、特に田舎町の当地プリー(Puri)だけに、住民に怠惰癖が染み付いていて、期日までに取れるとは到底思えなかった。お役所仕事は、いっかな進まず、バクシーシといわれるお布施、いわゆる賄賂だが、袖の下を弾んで手続きをスムーズに進めてもらう悪慣習が横行していたからだ。

「許可がすんなり降りるとは思えないわ。あなたはどうして、自分のキャリアが危うくなるようなギャンブルに打って出るの」

故人愛用の椅子に遺影が置かれ、白い花で飾られた1周忌の祭壇に、弔問客が詰めかけた。先代オーナーは、車夫や地元民に畏怖されるパワーを持った存在だった。

私は会食会を敢行しようとする息子に食ってかかった。
「ヒンドゥ教徒のダッドにとっては、慰霊のための必要かつ重要な儀式なんだよ。ぼくはダッドのことを想って……」

言葉を途切らせた息子の助け船に、甥が横合いから口を差し挟んだ。
「親族の集まりはさして、重要でないんだ。ブラーミン、最上カーストのお坊さんたちにお布施と新調の僧衣、会食をアレンジして召し上がって頂くことが、マムー(叔父さん)の霊の何よりの慰めになるんだよ。ヒンドゥ教では、死後1年間は魂は俗界をさまようと言われていて、マムーのアトマ(魂)を天に送るためには、最重要な慣習なんだよ」

「でも、今は通常のときじゃないのよ。インドに比べると、はるかに感染者が少ない日本だって、たった5人規模の会食で感染者が出ているのよ。あなたは、リスクを侵して逮捕されたいの。愛する家族のことを考えて。あなた自身が感染したら、家族にも影響を及ぼすのよ。とにかくうちでやることは絶対許さないわ。どうしてもと言うなら、他でやってちょうだい」
私は一歩も譲らなかった。

甥が観念したように投げた。
「わかったよ。どこか別の会場を探してみるよ」

「言っとくけどね、外でやっても、感染リスクは同じなのよ。感染者が出たら、オーガナイザーとして、罰金徴収はおろか、下手すると法的に訴えられ、最悪の場合は逮捕よ。場を貸したオーナーも、共犯よ」

「じゃあ、いったいどうすればいいんだ」

「テイクアウトにするのよ。配布した菜食カリー定食を、各自の場所で食べてもらえば、100%セイフよ」」

頑として説を曲げない私に、息子も甥も黙り込んでしまった。

霊魂を天に送る祈祷儀式(プジャ)の準備が整えられる。故人の前身は司法書士で、政治家志望でもあったが、結局果たさずに逝った。晩年は溺愛する一人息子が結婚し、孫ができることを切望していたため、心残りもあったろう。

息子は、インドの慣習では、こうした儀式に前代未聞のテイクアウトには、懐疑的だった。昨秋、日本に帰国中だった私は、配偶者の死に目にあえないどころか、葬儀にすら参列できなかったのだが、死後10日目息子が主宰した葬儀は盛大で、延べ3日間700人もの弔問客が詰めかけ、会食、故人を偲んだものだった。まこと、先駆者的存在のホテルオーナーにふさわしい、大規模なセレモニーだったのである。

インド人は見栄っ張りなので、冠婚葬祭はド派手である。式の規模がステイタスを象徴するので、一人息子としても、ホテルオーナーという地位に恥ずかしくない大がかりなセレモニーを金に糸目をつけず、弾んだのである。故人も、吹聴癖のある自慢屋(大抵のインド人はそうだ、プライドの高さはインド気質といっていい)だったので、息子が気張ってくれたことは、草場の陰で泣いて喜んでいたはずだ。

そういう経緯があったから、1周忌も派手に盛大にやりたがっていた。が、時期が悪すぎた。どうしたものか悩んでいる息子に、私はついに最後通告を突きつけた。
「もし、どうしても会食をアレンジしたいというなら、他でやってちょうだい。私はオーガナイザーになりたくないから、経費はあなたが持って。私はこの会には一切関わりたくないのよ」

息子はぐうの音も出ないようだった。お金の問題じゃないのだ。命に関わる問題なのだ。まかり間違えば、息子の将来は台無しになる。100%安全と断言できない以上、ここはどうしても譲れなかった。

確かにヒンドゥ教では大事な儀式かもしれない。でも、結局は形式だけのことで、命の尊厳を上回るものでないような気がした。

故人とて、この世に遺した息子の命や将来を危機に晒してまで、何がなんでもの会食は望んでいないような気がしたのだ。それでも悩んでいるようだったので、ふっと降ってきた思いのままに投げた。

「瞑想して、ダッド本人はどうしてほしいのか、訊いてごらんなさい。夢に現れて告げてくれるでしょう」

故人に訊くのが一番だと思ったのだ。この1年、彼は実にしばしば私と息子の夢に現れてさまざまなメッセージを伝えてくれていた。

果たして、3日後、答は来た。夢枕に立った故人が、息子がテイクアウトにしてもいいかと訊くと、いいよ、お前の好きなようにやればと、寛容に応じてくれたのである。

めでたく一件落着、当日儀式はつつがなく終了、僧には50パック、残り150は親族・友人、周囲のホテル同業者、ヨガアシュラム、地元民らに配られた。

昨秋、亡骸が安置された1階の部屋で数名の親族とともに供養の祈祷儀式・プジャを行ったが、前回と違って、ドーティーという白い腰巻をまとった息子はヒンドゥ教徒として、火の祭式に主格参加、亡父のスピリットを天に送る厳かなセレモニーに臨んだ。

儀式が終わった後の部屋はがらんとして、寒々しかった。1年間、夜も電気をつけっぱなしにしてきたが、今日のプジャでスピリットを昇天させたため、もう必要ないのだ。

後に遺した妻と息子が気がかりで、365日間私邸にとどまってくれた亡き夫の霊に心からお礼を言った。もういないと思うと、寂しくてならなかったが、解脱して天に昇ったことを、遺族としては喜び、祝うべきなのだろう。

コロナ下100%セイフな1周忌を済ませることができて、心底ほっとし、肩の荷が降りた。やれやれと息をついて、寝床に入りかけた途端、外が騒然とし、カーテンを開けた窓から見下ろすと、団体客がどっとなだれ込んできた。

亡夫からのプレゼントかなと思い、感謝する。しかし、チェックインして30分後、予想だにしなかったどんでん返しが私を襲う。窓の外がやけに騒がしいと思ったら、2階の張り出しベランダに、到着したばかりの団体さんが大人数で密集して会食、ソーシャル・ディスタンスも何もあったものじゃない、30人くらいが入り乱れてミッドナイト・ミールをバナナの葉っぱのお皿であぐらをかいて取り始めたのだ。

地獄の最大密、体を張って避けたはずの集団会食が目と鼻の先で堂々と繰り広げられている。100%安全な1周忌と喜んだのもつかの間、真夜中のブランダー(失態)に、私は周章狼狽、コロナ禍どこ吹く風の野放図なインド気質に深々と嘆息を漏らしたのであった。私の決死の努力はあえなく水泡と帰したのだった。

最期の土壇場になってからの思わぬ方向よりのしっぺ返しに、まったくもうインド人てやつはと、開いた口が塞がらず、ぼやきが漏れるばかりであった。

あな恐ろしやの最大密の会食会はたっぷり1時間以上も続き、恐怖のどん底におとしいれられた私がその夜、一睡もできなかったことはいうまでもない。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

12月22日現在、インドの感染者数は1007万5116人、死亡者数が14万6111人、回復者が963万6487人、アメリカに次いで2位になっています。アメリカの感染者数は1803万5209人、死亡者数が31万9364人、回復者は未公表です。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。

また、インドでは3月25日から4月14日までを「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日までを「ロックダウン2.0」、5月1日から17日までを「ロックダウン3.0」、18日から31日を「ロックダウン4.0」、6月1日から6月末まで「アンロックダウン(Unlockdown)1.0」、7月1日から「アンロックダウン2.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン/アンロックダウン」と総称しています。

ただし、インド政府は5月30日に感染状況が深刻な封じ込めゾーンについては、6月30日までのロックダウンの延長を決め、著者が住むオディシャ州は独自に6月末までの延長を決め、その後も期限を決めずに延長しています。この政府の延長を「ロックダウン5.0」と分類しています)。

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