丸善日本橋で平野恵子、永森みさお、海の姉妹展、溶岩染ストール等

【銀座新聞ニュース=2021年1月19日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は1月20日から26日まで3階スパインスペースで「『今年じたく』part1-マリンスター・lam・あめつち..三人展」を開く。

丸善・日本橋店で1月20日から26日まで開かれる「『今年じたく』part1-マリンスター・lam・あめつち..三人展」のフライヤー。

2週にわたって「今年じたく」というタイトルで3人展を開く。第1弾が天然石、アコヤパール、南洋真珠を組み合わせたアクセサリー、天然石を使った彫金アクセサリーを制作し、天然石工房「マリンスター」を主宰する平野恵子さん、大島紬(おおしまつむぎ)と革を使ってバッグ「ラム(lam、ベトナム語で「つくる」の意)」を制作している永森みさおさん、「素材は地球のかけらです」をテーマに「あめつちの袋」や「なみまくら(波枕)」、溶岩染めストールなどを「あめつち..」ブランドで展開する海の千恵さんと理恵さん姉妹が作品を展示する。

ウイキペディアによると、大島紬とは、鹿児島県南方の奄美群島(主に奄美大島)の伝統工芸品としてつくられる織物で、手で紡いだ絹糸を泥染めしたものを手織りした平織の絹布、もしくはその絹布で縫製した和服をさす。

染色の工程で糸に鉄分が染み込むため着崩れや虫食いしが起きにくく、孫子の代まで長く使える。独特の黒褐色を基調とした繊細な折柄の美しさも評価され、日本の絹織物のうちでも高級品として知られる。安い物で一反30万円程度、最高級品は数百万円する。現代では「色大島」、「白大島」など色調・柄の多様化が進んでいる。

1980年に伝統的工芸品に指定された際、1)絹100%、2)先染めした糸を手織りする、3)平織り、4)締機(しめばた)で手作業によりタテ・ヨコ絣の加工をしたもの、5)手機(てばた)でタテ・ヨコ絣をカスリ合わせて織り上げたもの、と定められた。奄美大島には事業者でつくる「本場奄美大島紬織物協同組合」がある。

「大島紬村」によると、460年ころに唐から養蚕を導入し、661年ころに古代染色が始まり、奄美でもテーチ木染が始められた。952年に桑園が奨励され、奄美でも養蚕が行われ、1595年に江戸時代の初め頃から、特に奄美では古代手紬の製法技術が著しく進歩し、琉球各村に紡績織物工場の設立を奨励した。

1720年ころに薩摩藩が「紬着用禁止令」を出し、島役人以外の紬着用を禁じている。1829年ころに、絣(かすり)の技術を取り入れ、1871年ころに第1次技術革新期がはじまり、廃藩置県に伴い、生産販売が自由化され、家内工業から工場生産へ移行(鹿児島で生産)し、泥染め法が開発された。1895年ころに手紬糸から玉糸を使用、市場で人気が高まり、1902年に絣締機が発明される。

1929年に泥大島紬に部分的な着色法が開発され、合成染料が取り入れられ、派手な変化に富んだ柄模様ができ、1940年に「奢侈品製造禁止令」が出され、優秀品の生産が停止される。1945年に大東亜戦争により、大島紬の生産が停止され、1950年に米軍政下資金により原料糸(本場奄美大島)が入手され、織口となった。1954年に「紬組合」を改組し、「本場奄美大島紬共同組合」が設立された。1955年に技術革新により、伝藍染の抜染法が開発され、合成染料による色大島が出現し、白地大島も生産された。

ただ、ウイキペディアでは、「大島が紬と言えるのは明治初年くらいまでであり、現在では撚糸を使い、紬とは言えなくなっている」(「大島絣」)。それまでの大島製作法は現在の結城紬(茨城県)とまったく同じものであり、ただ製糸する時に使う糊が結城では米糊、大島では海苔(ふのり)、イギスといった海草を使う違いのみとしている。

平野恵子さんは彫金、天然石アクセサリーを趣味で作ってきたが、2007年12月に彫金、天然石アクセサリーの工房「マリンスター」を開設、百貨店などで展示販売している。

永森みさおさんは杉野学園ドレメを卒業、アパレルメーカーに勤務、パタンナーとして働き、2012年より会社の傍ら、真渋工房でバッグの制作について学び、その後、独立して2015年2月より大島紬と革を使ったバッグ「lam」ブランドで活動を開始、百貨店を中心に販売している。

海の千恵さんと理恵さん姉妹は山口県岩国市生まれ、姉の千恵さんは上京後、仕事のストレスや、産後の体調不良がきっかけで、アロマテラピーの勉強をはじめ、自宅サロン「Prunier(プルニエ)」を主宰し、自宅などでイベント、デイサービスのセラピストとして活動し、2018年3月に姉妹で「あめつち..」ブランドをたちあげている。

妹の理恵さんは大学でフランス語を専攻し、フランスに留学、卒業後はフリーでキッズ英語やフランス語を教え、姉の千恵さんが開くサロンのイベントで「アイピロー」を製作販売したのを機に「あめつち..」ブランドの立ち上げに携わっている。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は16時)まで。