丸善丸の内で東山魁夷、平山郁夫、片岡球子「版画」展、文化勲章受章

【銀座新聞ニュース=2021年1月18日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は1月20日から2月2日まで4階ギャラリーで東山魁夷、平山郁夫、片岡球子による「文化勲章受章作家版画三人展」を開く。

丸善・丸の内本店で1月20日から2月2日まで開かれる東山魁夷、平山郁夫、片岡球子による「文化勲章受章作家版画三人展」に出品される東山魁夷の「静けき朝」(リトグラフ、1996年)。

日本の風景画家で「国民的画家」として知られ、1969年に文化勲章を受賞した東山魁夷(1908-1999)、シルクロードの画家で、1998年に文化勲章を受章した平山郁夫(1930-2009)、日本画家で「帝展」や「院展」にたびたび落選し「落選の神様」とまでいわれながら、強烈な色彩とデフォルメで独自の絵画世界を築き、1989年に文化勲章を受章した片岡球子(1905-2008)の3人の版画作品を中心に、ほかに巨匠の版画も展示販売する。

3人の他に出品されるのは、日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現し、2003年に文化勲章を受章した加山又造(1927-2004)、女性画や静物を生き生きと描き、1980年に女性画家として2人目の文化勲章を受章した小倉遊亀(1895-2000)、上村松篁(1902-2001)の子息で、花鳥画の第一人者として知られる京都市立美術大学名誉教授の上村淳之(1933年生まれ)さん、日本画家で京都造形芸術大学前学長、現在、京都造形芸術大学付属康耀堂美術館館長で、アメリカ・ニューヨーク在住の千住博さん。

南画といった日本の伝統的な美術を取り入れ、装飾的な世界で知られた洋画家の梅原龍三郎(1888-1986)、棟方志功(1903-1975)と交流があった木版画家の斎藤清(1907-1997)、バラの絵で知られる洋画家、中川一政(1893-1991)、孤高の洋画家で自宅の虫や花を描き続けた熊谷守一(1880-1977)ら。

ウイキペディアによると、文化勲章は当時の首相広田弘毅(1878-1948)の発案により、1937年の文化勲章令をもって制定された。毎年11月3日に親授式が皇居宮殿松の間で行われ、天皇から直接授与(親授)されるが、1997年以前は天皇臨席のもとに内閣総理大臣が勲記と勲章を手交する伝達式の形式で行われていた。

そのため、以前は同じく宮中伝達式により授与される旧勲2等と同位に位置づけられていたが、現在では天皇親授により授与される大綬章(旧勲1等)と同位に位置づけられている。

文化庁文化審議会に置かれる文化功労者選考分科会の意見を聞いて文部科学大臣が文化功労者のうちから選んで、毎年度5人程度を首相に推薦し、内閣府賞勲局で審査したうえ、閣議決定する。慣例として、その年にノーベル賞を受賞した者で文化勲章未受章である人には、文化勲章が授けられる。

文化勲章には金品等の副賞は伴わないが、1951年に文化功労者顕彰制度が創設され、前年度までの文化勲章受章者で存命者を一斉に文化功労者として顕彰するとともに、以後も文化勲章受章者は同時に文化功労者でもあるように運用しているため、文化勲章受章者は文化功労者年金法に基づく終身年金が支給される。

東山魁夷は1908年神奈川県横浜市生まれ、1931年に東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科を卒業、在学中の1929年に第10回帝展に入選、卒業後、ドイツのベルリン大学(現フンボルト大学)に留学、1945年に軍隊に応召し、熊本県で終戦を迎え、山梨県中巨摩郡落合村(現南アルプス市)に落ち着き、同年11月に千葉県市川市に移った。

1947年の第3回日展で特選となり、以降、風景を題材に独自の表現を追求し、北ヨーロッパ、ドイツ、オーストリア、中国に取材した作品を発表し、1969年に文化勲章を受章、1976年に旧西ドイツから功労大十字勲章を授与、1985年に旧西ドイツからプール・ル・メリット勲章を授与、1999年に死去した。約10年かけた奈良の唐招提寺御影堂(とうしょうだいじみえいどう)障壁画「黄山暁雲」が畢生の大作となった。

平山郁夫は1930年広島県豊田郡瀬戸田町(現尾道市瀬戸田町)生まれ、1945年に原子爆弾に被災、1952年に東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業、同校助手となり、1973年に教授、1989年に東京芸術大学第6代学長に就任した。1992年から「世界平和アピール七人委員会」の委員となり(2005年まで)、1992年に日中友好協会会長(2008年まで)、1996年から日本育英会会長(2001年まで)、1998年に文化勲章を受章した。

2001年に再び東京芸術大学学長に就任(2005年まで)、2005年に日韓友情年日本側実行委員長を務め2004年に「修交勲章興仁章」を受章し、2005年に「日韓友情年」日本側実行委員も務めた。また、高松塚古墳壁画の模写、カンボジアのアンコール遺跡救済活動、「文化財赤十字」の名のもとに中東など紛争地域の文化財保護に奔走するなど、幅広く活動した。広島県尾道市瀬戸田町には「平山郁夫美術館」があり、滋賀県守山市の佐川美術館にも多くの作品が収蔵されている。

片岡球子は1905年北海道札幌市生まれ、1926年に女子美術専門学校(現女子美術大学)日本画科高等科を卒業、神奈川県立横浜市大岡尋常高等小学校教諭を勤めながら創作し、「帝国美術院展覧会」(帝展)に3回落選し、1930年に「日本美術院展」(院展)に初入選、1933年にも入選したが、その後は落選が続いた。

1939年から院展の入選が続き、1955年に大岡小学校を退職、女子美術大学日本画科専任講師に就任、1960年に同大学助教授、1965年に同大学教授、1966年に愛知県立芸術大学日本画科主任教授、1973年より同大学客員教授を務めた。1976年に勲三等瑞宝章を受章、1982年に日本芸術院会員、1989年に文化勲章を受章、100歳を超え、脳梗塞に倒れ、療養に努めたが、2008年に103歳で亡くなった。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)まで。入場は無料。

コメントは受け付けていません。