丸善日本橋で寺田豊、高橋孝之ら着物と帯展、日本茜で染める

【銀座新聞ニュース=2021年3月10日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は3月10日から16日まで3階ギャラリーで「京都 美山の宝物【日本茜を染める】ーきものと帯と小物達展」を開く。

丸善・日本橋店で3月10日から16日まで開かれる「京都 美山の宝物【日本茜を染める】ーきものと帯と小物達展」のフライヤー。

4代目京絞り作家の寺田豊さんを中心に「日本茜(にほんあかね)」を使って染めた「着物と帯と小物」を展示する。

寺田豊さんは2020年春に「日本茜 伝承と未来」展で「日本茜伝承プロジェクト」の方々に出会い、その後、「美山現地で何度か勉強会に参加させていただき、昨年晩秋にみんなで収穫した茜を分けていただくことが出来、急遽作品作りが始ま」ったという。

「染色に関しては、まだまだ経験しないとわからない未知な日本茜」について、今回試作品を展示し「ご意見を頂戴いたした」いとしている。

今回、出品するのは「京絞り寺田」(京都府京都市北区紫野大徳寺町5、075-406-5571)の主宰者で作家の寺田豊さん、フラワー&アロマフレグランスデザイナーで、「アトリエオルタンシア」(都港区高輪4-24-36、03-3446-5371)を主宰する落合邦子さん、クチュールエヌデザイナーの新井典子さん。

京都・美山の野草専門の工房「美し山の草木舎」(京都府南丹市美山町安掛上の滝46)を主宰する渡部康子さん、「織道楽 塩野谷」(京都府亀岡市曽我部町南条宮田筋16-89)を主宰する服部芳和さん、「染の高孝」を主宰する、東京友禅の作家、高橋孝之さん。

ウイキペディアによると、茜はアカネ科アカネ属のつる性多年生植物で、根は茜色をしており、草木染めの原料になり、薬草としても利用される。日本では上代から赤色の染料として用いられていた。日本茜を使って鮮やかな赤色を染める技術は室町時代に一時途絶えた。

染色家で、古代日本茜染研究所の宮崎明子さんが1997年に延喜式や正倉院文書などを参考にして、日本茜ともろみを併用する古代の染色技法を再現した。ヨーロッパでも昆虫学者のジャン・アンリ・ファーブル(Jean-Henri Casimir Fabre、1823-1915)がアカネ染色法の特許を取るなど、近代まで染料として重要視されていた。

和歌でも「茜さす」のように明るさを強調する枕詞に用いられて詠まれ、万葉名では茜、茜草、赤根、安可根のように書かれた。アカネが登場する歌は13首あり、そのすべてが「紫」「日」「月」「照る」「昼」にかかる枕詞だ。天智天皇(626-672)の妃であった額田王(ぬかたのおおきみ、生没年不詳)が、かつての夫、大海人皇子(天武天皇、生年不詳-686)に向けて詠んだ一首「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」がよく知られている。

「美し山の草木舎」の渡部康子さんは2014年から「地域の新たな特産品開発」と「農地保全」を目的として、「日本茜復活プロジェクト」に取り組んでいる。

また、「宙とぶペンギン」によると、卑弥呼(175-248)が日本茜の織物を贈り物として献上したり、聖徳太子(574-622)の時代には、高貴な人のみが身につけることを許された色(冠位十二階の2位の色)だった。また、日本で最初の日の丸(国旗)の色も、日本茜の色だった。ただ、日本茜は染色技術や安定した栽培が難しいという難点があり、室町時代に一時途絶えた。

寺田豊さんは1958年京都府京都市生まれ、1994年にフランス・パリ市主催フランスオートクチュール組合後援により「バガテル城美術館」の「燦功工房展」に招待出品、東京で個展を開催、1996年にフランス・パリ国立ギメ美術館が「雪に萩」を買い上げ、2002年に「布結人の会」を設立した。

イタリア・ミラノの美術学校と交流、2007年に歌舞伎役者の中村芝雀(なかむら・しばじゃく)さんの「人魚の恋椿」の衣装を制作し、2008年に京都絞工芸展で知事賞と近畿経済産業局長賞、源氏物語千年紀「夢浮橋」の几帳を作成している。

落合邦子さんは慶応義塾大学文学部仏文学科を卒業、日産自動車に入社、西アフリカフランス語圏への輸出営業を担当、その後、フラワーアレンジメントの世界に入り、1987年にフラワーショップ「アトリエオルタンシア」を設立し、フラワーアレンジメントスクールなどを運営している。

2010年にパリのパリ日本文化会館のブティックにて、「涼」をテーマに個展、2017年にパリの「サロン・デ・ボザール(Salon des Beaux Arts)展」で審査員特別賞を受賞している。

新井典子さんは子ども服、婦人服、ブライダルシューズのデザイナーを経て、タイアップハンドル「サムコ(Someco)」を開発、現在、「サムシング・エコ(something eco)」をテーマにさまざまな布で作品を発表している。

渡部康子さんは1991年に美山町へ移住し、レストラン「花水木」を経営し、農産加工にも携わり、2010年に野草茶やコスメ、野草食などの「美し山の草木舎」を起業し、日本茜復活プロジェクトなど薬草や染色材料の栽培を手掛けている。

織道楽塩野谷は300年ほど前から続く絹織物の織元で、初代服部喜右衛門は現在の滋賀県甲賀郡塩野村に生まれた漢方医の次男で、京都の西陣に絹屋を開き、屋号「 塩野屋」は2代目・服部八左衛門から使われて、現在の服部芳和さんは14代目という。

高橋孝之さんは1966年に戸塚工芸社に入社、父親より引き染ぼかしと一珍染、兄から江戸更紗を習得し、1974年に独立して工房「染の高孝」を開く。1983年に染織作家グループ「新樹会」を設立、以後年1回、作品展を開き、本格的に作家活動に入る。

1984年に第9回日本染織新人展覧会で意匠賞(1985年に技術賞)、1989年に第27回日本染織作品展で「竹林2」が技術賞、「墨流し」が佳作(1990年に日経奨励賞)、第29回伝統工芸新作展で「群翔」が入選(1991年に入選)、1991年に第14回日本染織作家展で「彩流」が奨励賞、「源流」が佳作(1992年に京都新聞社賞、1993年に佳作、1996年に名古屋三越賞、1999年にセイコきもの文化財団賞、2001年に京都新聞社賞、2009年に京都市長賞、2012年に京都市長賞)。

1996年に第34回染芸展で「響き」が三越賞(1999年に三越賞、2000年に商工会議所会頭賞と高島屋、西武百貨店賞、2001年に国際モード協会賞、2002年に東京産業貿易協会会長賞、2003年に染芸展賞、2004年に東京都立産業技術研究所所長賞、2005年に国際モード協会賞、2006年に田島比呂子賞、2010年に新宿区長賞といち居賞、日本きもの文化協会会長賞、世界文化社きものサロン賞、2012年にコスモス賞、新宿区長賞、松屋賞、第50回記念人間国宝山田貢賞)。

1997年に東京都優秀技能章、2001年に新宿区地場産業25年表彰を受ける。2002年に東京都伝統工芸士に認定され、2007年に東京都工芸染色協同組合理事長に就任、2008年に国の伝統工芸士に認定され、現在、東京都染色工芸組合理事長。染色作家グループ「新樹会」会長。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)。

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