2020年(11.元の世界に戻るまで<真鍋翔子再び1>)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2021年3月9日】こんなにぐっすり眠れたのは、何カ月ぶりだろう。目覚めたとき、一瞬、ここがどこか混乱しかけたが、あぁ、そうだ、私は昨日、確かに元の世界の実家に戻ったのだ、と今さらながら思い返して、安堵のあまり寝慣れた布団の中で、大きく伸びをした。よく糊の効いたシーツは気持ちよく、洗剤の香りがする。

北陸の師走前の冷え込みは厳しかったが、暖房のきいた室内の布団の中は暖かく、うとうととしたまどろみに陥る。冬の朝の惰眠を貪り、2度寝から目覚めたときは、10時過ぎだった。

大きな欠伸をして、のそりと起き抜けのパジャマのまま、階下に降りると、弟はすでに出社しており、不在だった。洗面所で顔を洗って歯を磨き、キッチンに入ると、コーヒーメーカーから、香ばしい香りが漂ってきた。

自分専用の大きなマグカップに湯気に曇るフラスコを注ぎ、砂糖もミルクも入れないブラックのまま、ゆっくりと啜った。豆の香りが口中に広がったとき、しみじみ幸せを感じた。自分があるべき場所に帰ってきた安堵と幸福感は何物にも代えがたい。本当に、帰ってこれたことが奇跡のように感じられ、神に感謝した。

ここには、当たり前のことだが、もう1人の自分はいない。収まるべきところに収まった安心感、私は確かにあちらでない、こちら、この世界に所属している。元のなじみの居場所、落ち着ける我が家、ふた口目のコーヒーを啜りながら、アイデンティティーを喪失した、居場所のない世界での、数奇な3カ月を反芻し出した。。

新型ウイルスが猛威を振るい、ロックダウン(都市封鎖)下のインドから臨時便で5カ月ぶりに逃げ帰った私は、故郷の生家にたどり着いて、たった1人の身内である弟に思ってもいなかった邪険な迎え方をされる。驚愕したことには、弟の背後から、自分そっくりの女がぬうっと出現し、敵愾心も露わに、金切り声で駆逐される顛末に至る。

つまり、自分のあるべき場所、本来の居場所であったはずのところに、もう1人の自分が居座り、アイデンティティ喪失のショッキングな事態に追い込まれたのだ。重いスーツケースを転がしながら、とぼとぼとその場を後にし、これからどうしようかと公園のベンチで行き暮れていると、炊き出しが始まった。

浮浪者の列に並んで空腹が満たされた後、ふと思いついてコンビニに行き、ATMでカードのキャッシュ化を試みたが、不可能だった。がっくり気落ちしながら、また公園のベンチに戻ると、無人だったそこに1人の老婆が座り、パンを食べていた。

粗末な身なりの真っ白な蓬髪の老婆は、パンの残りを細かくちぎって、群がるカラスに投げ与え始めた。

そのときだった。
「やーい、やーい、乞食ババア」
と囃し立てながら、悪童が目の前を通り過ぎたのは。

老婆は膝元に立て掛けた杖をとっさに振り回すと、悪童を追い払った。腕白小僧はその場は退散したが、ひととき後に戻ってきて、握りこぶしをいきなり振り上げると、隠し持っていた小石を老婆目掛けて投げつけた。

不運にも、それが眉間に命中して、老婆は血を流しながら、うずくまった。

「大丈夫ですか」
私は行きがかり上、老婆を助けざるを得なくなった。バンドエイドで応急処置を施した後、ふらつく老婆に請われるまま、肩を貸してゆっくり歩いて30分程の彼女の家まで送り届ける役目を課せられたのだ。

炎天下、重い荷物を右手で転がしながら、左手で老婆を支えながら送るのは重労働で、へとへとになった。老婆は平屋の1軒に一人暮らしで、奥の間の万年床に横たわらせると、肩の荷が降りた。

軽傷のようで血は止まっていたし、この分なら医院に行くまでもないだろう。役目を終えてほっとし、暇乞いを告げたとき、老婆が労をねぎらい、汚いうちだけど、今出ると、暑い盛りだから日が落ちるまで休んでいくようにと、勧めた。

冷蔵庫に麦茶が冷えていると言うので、頼まれるままに台所にお邪魔して2つのコップに注いで戻った。ひと息に喉を潤した後、急に眠気が襲ってきて、老婆の言葉に甘えて、次の間を使わせてもらい、休憩させてもらうことにした。

そして、旧式の扇風機がカタカタとのろい風を送る四畳半の焼けた畳に横になった途端、極度の疲労から泥のように眠りこけ、目覚めたときは朝だったのだ。
私はあわてて顔を洗い、老婆に詫びを言いに走った。

ところが、床はもぬけの殻で、その日1日中待ったが、老婆は戻ってこなかった。ひと晩図々しく泊めてもらう成り行きになった無礼の詫びと、一言礼を言いたくて待ち続けたが、公園やその周辺を探し回っても、本人は見つからず、私ははからずも、そのまま老婆の家に居候し続けるという、奇しき因縁で、雨風を凌ぐ場所を与えられたわけだった。

行方を絶った老婆のことが心配て、その後も探し続けたが、見つからず、肝心の家の主が戻らないまま徒らに日にちが過ぎていった。

そうするうちに所持金も底を尽きかけ、職を探す必要に迫られた。食事は、おばあさんが米や味噌、醤油、缶詰類などを貯蔵してくれていたので、助かった。無断で手をつけることは躊躇われたが、背に腹はかえられない、空腹には打ち勝てなかった。仕事が見つかったら、勝手に手をつけた分の食糧は買戻し、きちんと貯蔵し直しておくつもりだった。

もし主が戻ってきたら、勝手に居候させてもらったことの家賃として、何がしかの謝礼も払うつもりだった。

やがて、スーパーに置いてあった求人誌で、地元のタウン誌が編集経験のある嘱託を募集しているのを見つける。私は表札にあった老婆の姓、篠崎を拝借し、篠崎玲子と詐称、年齢もゆうに一回りサバを読んだ履歴書持参で面接と試験に通り、幸運にも採用されたのだ。

ほとんど一文無しに近かった私は毎日、歩いて30分の街中にある小さな雑居ビルの3階にある編集室に通い、編集のみならず事務雑用もこなして、編集長と部員1人しかいない慢性の人手不足で猫の手も借りたい忙しさのプロダクションに重宝がられた。

日当は5000円と安く、残業手当もつかなかったが、夜食代として1000円支給されたし、通勤費も5000円出たので、月14、5万円にはなり、質素な食費と生活必需品しか買い求めない私には充分で、手をつけた食品の買い足しと、家賃代も捻出でき、残りはタンス預金もできた。光熱費はおばあさんの口座から自動引き落としになっているのか、請求されることはなかった。

何かの手違いで飛び込んだ世界だったが、仮の名前が決まって、住まいも落ち着くと、住めば都でだんだん居心地よくなってきた。何より、ここには、得体の知れないウイルスの蔓延はなく、死の脅威に晒されず、至って平和だった。

そして、家主不在の古い一軒家は、誰にも気兼ねがいらず、滅法居心地がよかったのである。不法侵入に気が咎めながらも、私は、おばあさんが帰るまでとの口実のもとに、長々と居座り続けた。

しかし、2カ月近く経っても、おばあさんが戻ることはなかった。偽のアイデンティティを持つ私は、警察に届け出ることもできず、良心の咎めを覚えながらも、ずるずる居候し続けた。

その日、会社には見慣れぬ業者が出入りしていた。新しく担当になった印刷会社の営業社員で、50年配の頭の禿げ上がった男だった。私も紹介されたが、顔合わせした途端、男が目を丸く剥いて、
「真鍋翔子さんでは、ありませんか」
と素っ頓狂な声をあげた。

私は内心ひやりとしながらも、努めて平静を装って、
「いえ、篠崎玲子と申します。先月入ったばかりの新米ですが、くれぐれもよろしくお願いいたします」
と畏まって挨拶し、名刺を差し出した。

「あ、これはどうも失敬、知人にあまりによく似ていたもんですから」
男は禿頭を掻き掻き、「そうだよな、あの占い師のクマリがここにいるわけないよな」とぶつぶつ独りごちるようにつぶやきながら、はっと我に返ったようにあわてて名刺と共に自己紹介した。

私はそれ以上突っ込まれないように、軽く会釈すると席に戻り、仕事がさも忙しい振りをして液晶画面を見据え、キーボードを打ち出した。

この男が知っている真鍋翔子とは、私であって私でない、もう1人の私、瓜二つの顔を見た途端、ヒステリックに追い返した、パラレルワールドの真鍋翔子なのだ。

もう1人の私はこの世界で、一体何をしているのだろう。何か職業についているのだろうか。男が独りごちるように漏らした、占い師クマリという言葉が耳にわだかまって、なかなか消えなかった。

新しい担当者ともう少し親しくなったら、さりげなく探りを入れてみようと、私は思った。生き写しの分身のことは、喉にひっかかった小骨のように気になっており、何度かもうひとつの生家を物陰からこっそり窺う誘惑にも駆られたが、追い払われたときの剣幕を思うと、足がすくんで果たせなかったのだ。
(「2020年」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げており、「インド発コロナ観戦記」とは別に、短編など小説に限定してひとつのタイトルで掲載します。本人の希望で画像は使いません)。