資生堂、松竹が歌舞伎座新開場で「脂とり紙」、鳳凰丸の包装

【銀座新聞ニュース=2012年12月19日】資生堂(中央区銀座7-5-5、03-3572-5111)は2013年4月2日から松竹(中央区築地4-1-1、東劇ビル)と共同でプロデュースした「ざ・ぎんざかぶきざ(THE GINZA KABUKIZA)あぶらとり紙」を発売する。

資生堂と松竹が共同で商品化した「ざ・ぎんざかぶきざ(THE GINZA KABUKIZA)あぶらとり紙」。資生堂宣伝制作部が歌舞伎座の座紋「鳳凰丸」を包装に用い、色も歌舞伎座の定式幕の3色、黒、柿、萌黄を採用している。

2013年4月2日に歌舞伎座が新開場するのを記念して、資生堂の子会社「ザ・ギンザ」(中央区銀座7-8-10)と歌舞伎座と背面のオフィスビル「歌舞伎座タワー」を合わせた「ぎんざかぶきざ(GINZA KABUKIZA)」が共同で考案したあぶらとり紙で、資生堂の宣伝制作部がパッケージデザインを担当し、歌舞伎座の座紋「鳳凰丸(ほうおうまる)」を用い、色は歌舞伎座の定式幕(じょうしきまく)の3色(黒、柿、萌黄=もえぎ)を採用したという。

商品は金箔の産地として知られる金沢の「金箔打紙製法」によるもので、軽く肌に押さえるだけで余分な皮脂を吸い取る。特殊な和紙(天然麻)を箔打ち機で繰り返したたき、紙の繊維を細かくつぶして極限まで密度を上げた独自の製法で、1つに30枚入っているうち 3枚には金箔入り鳳凰丸が浮き出すように印刷してある。

ウイキペディアによると、歌舞伎座は明治の演劇改良運動の流れを受け、運動の提唱者のひとり、ジャーナリストの福地源一郎(ふくち・げんいちろう、1841-1906)と金融業者の千葉勝五郎(ちば・かつごろう、1833-1903)によって1889年に当時の東京市京橋区木挽町(現中央区銀座4丁目)に開設された(第1期)。

それまでもっとも大きな劇場は新富座で舞台の間口が8間あったが、歌舞伎座は12間と大きくし、照明には当時の最新技術だった電灯を採用するなど、それまでの劇場をはるかにしのぐ近代劇場となった。福地源一郎と千葉勝五郎が共同経営者(相座主)だったが、1890年に借金問題が浮上した福地源一郎が経営から離れ、歌舞伎座の座付作者・福地桜痴(ふくち・おうち)として活歴物や新舞踊劇の脚本を書いた。

1896年に株式会社化し、1911年に帝国劇場に対抗するため劇場の改修工事を行い、11月に再開した(第2期)。その後、関西から東京進出を狙っていた松竹による株の買収が行われ、松竹の大谷竹次郎(おおたに・たけじろう、1877-1969)が経営を握り、1914年に歌舞伎座の社長に就任した。1921年10月に漏電により歌舞伎座が焼失、1923年に建物躯体が完成したところで関東大震災に遭い、内装用の桧材が全焼、工事が中断したが、その後再開された。

1925年1月に新築の大劇場(第3期)で開場式が行われ、舞台も約15間と広がった。1931年に歌舞伎座株式会社は明治座、新富座、松竹と合併し、「松竹興行株式会社」になった。太平洋戦争のさなか、興行が中止され、建物が1945年の東京大空襲で全焼、大屋根も焼け落ちた。1949年に「株式会社歌舞伎座」が設立され、松竹から建物を譲り受けて復興工事を行い、1950年12月に竣工、1951年1月に歌舞伎などの演劇興行を再開した(第4期)。

1952年に美空ひばり(みそら・ひばり、1937-1989)が歌舞伎座で公演するなど1980年代までは歌舞伎以外の催しも行われた。1993年以降、松竹の方針により「歌舞伎の本拠地」として原則通年で歌舞伎を興行することにした。2000年代に入ると、老朽化が目立ち、耐震性の問題や段差解消の必要性なども指摘され、2005年から建て替えの検討に入り、早稲田大学特任教授の伊藤滋(いとう・しげる)さんを座長とした歌舞伎座再生委員会が「建て替え+超高層オフィス棟」という草案を考案した。

歌舞伎座は2002年に国の登録有形文化財に登録されており、保存の要望も出され、2008年10月に正式に計画が公表され、2009年8月26日に松竹と歌舞伎座により建て替えの具体的な計画が発表された。

歌舞伎座を建て替えた上で、地下4階地上29階建ての高層オフィスビル(高さ145メートル、軒高135メートル)を併設することにした。劇場の外観は従来通りの低層で和風桃山様式を採用、建物は晴海通りから35メートル後退させて入口の前に緑を配した空間を置き、内部も従来通りに桟敷席や一幕見席を配置し、歌舞伎文化を紹介するギャラリーも設置され、地下鉄東銀座駅とは地下で直結させる。

2009年から1年余り、「さよなら公演」が行われ、2010年4月30日に閉場式が催され、解体工事が始まった。第5期の歌舞伎座は2013年4月2日に開場し、最初の1年間を「こけら落(こけらおとし)興行」として、4月から6月までは「3部制興行」(27日間公演)7月からは若手役者中心の興行、秋から2014年3月までは古典の作品、通し狂言や新しい企画などを公演する。

「ザ・ギンザ」は1941年に「株式会社資生堂美粧販売会社等」として設立され、1975年に「ザ・ギンザ銀座本店」(ブティック)を開店、1981年に「株式会社ザ・ギンザ」に改称、2009年にブティックビジネスから撤退し、現在は直営店と国内空港免税売店で資生堂化粧品販売するとともに、オリジナル化粧品やフェイシャルコットンの開発・販売を行っている。

価格は3色とも840円。資生堂の総合美容施設「シセイドウ・ザ・ギンザ(SHISEIDO THE GINZA)」と、「ぎんざかぶきざ」内の2店舗で販売をはじめ、その後、「ザ・ギンザ」の帝国ホテル店、空港免税店でも順次取り扱う。