永谷商事、神田阿久鯉と江戸五街道「東海道品川宿」を歩く

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【銀座新聞ニュース=2009年8月28日】永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1階、03-3245-1278)で9月16日に神田阿久鯉さんによる「講釈師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開催する。

「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」は永谷商事が毎月2、3回程度定期的に開催している、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回る企画だ。

今回は真打の講談師、神田阿久鯉(かんだ・あぐり)さんと「江戸五街道を歩くシリーズ 東海道品川宿コース」で、京浜急行「青物横丁駅」の「海雲寺(かいうんじ)」(品川区南品川3-5-21)から「品川寺(ほんせんじ)」(品川区南品川3-5-17)、「寄木神社(よりきじんじゃ)」(品川区東品川1- 35-8)を回る。

そこから「品川本陣跡」(品川区北品川2-7-2)から「品川神社(しながわじんじゃ)」(品川区北品川3-7-15)を寄って「品川土蔵相模跡(しながわどぞうさがみあと)」(品川区北品川1-22-17)を散歩する。その後、お江戸日本橋亭で神田阿久鯉さんによる「日本橋お江戸寄席」を楽しむ。

「江戸五街道」は1604年に日本橋を起点として定められた主要街道で、一里ごとに一里塚を設けたほか、一定間隔ごとに宿場を用意し、1659年以降は新たに道中奉行の管轄に置かれた。

1716年に東海道(日本橋から京都・三条大橋)、中山道(日本橋から守山で、草津から三条大橋までは東海道と重複)、甲州街道(日本橋から甲府を経て信濃国の下諏訪宿で中山道と重複する)、奥州街道(日本橋から陸奥白川)、日光街道(日本橋から日光坊中までで、日本橋より宇都宮までは奥州街道と重複する)の正式名称が定められた。

今回は東海道品川宿で、日本橋から最初の宿場町になる。「海雲寺」は曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院で、1251年に僧不山(ふざん)が近くの海晏寺(かいあんじ)内に建てた庵瑞林(あんずいりん)に始まり、当初臨済宗(りんざいしゅう)に属したが、1596年に曹洞宗に改められ、1661年に現在の名称に変更された。江戸時代から「品川の荒神さん」として親しまれ、「荒神堂」の27面は品川区指定有形民俗文化財に認定されている。

「品川寺」は真言宗醍醐派の寺院で、弘法大師(こうほうだいし、774-835)を開山とし、大同年間(806年から810年)に創建され、1457年に太田道潅(おおた・どうかん、1432-1486)により伽藍(がらん)が建立され、「大円寺」と称した。その後、戦乱で荒廃したが、1652年に弘尊上人(こうそんしょうにん)により再興され、現在の名称になった。

品川寺の鐘は1657年に徳川幕府第4代将軍、徳川家綱(とくがわ・いえつな、1641-1680)の寄進とされ、幕末に海外に流出し、所在不明となっていたが、1919年に当時の住職がスイス・ジュネーヴ市のアリアナ美術館に所蔵されていることを突き止め、返還交渉をはじめ、1931年にジュネーブ市の好意により品川寺に返還された。1991年に品川寺からジュネーヴ市に新しい鐘が贈られ、品川区とジュネーヴ市はこの鐘をきっかけにして、1991年に友好都市となった。

「寄木神社」は江戸時代には寄木明神社と呼ばれて、猟師町の鎮守で、左官職人の入江長八(いりえ・ちょうはち、1815-1889)の作品が神社の土蔵の扉に残っており、その「漆喰細工」は品川区指定文化財として認定されている。

「品川本陣跡」は北品川宿と南品川宿、歩行(かち)新宿の「三宿」の中央に位置し、1712年に北品川宿の問屋場が焼失してからは南品川宿のみとなり、休泊施設としての本陣は北品川だけとなり、大名の宿泊時には、その大名の名前を記した関札を建て、紋の入った幕を掲げられた。

品川宿の本陣は明治維新の大政奉還(たいせいほうかん、1867年)に際し、京都から江戸に入る明治天皇(めいじてんのう、1852-1912)の宿舎「行在所(あんざいしょ)」となり、1872年に宿駅制度の廃止に伴い、警視庁品川病院となり、1938年に「聖蹟公園」に改修された。

「品川神社」は1187年に源頼朝(みなもとのよりもと、1147-1199)によって海上安全の守護神として建立され、社名は「品川大明神」と名づけられた。江戸時代には「北品川稲荷社」と改称され、旧北品川宿と歩行新宿の鎮守とされた。徳川家の崇敬があつく、社殿が消失すると、1694年に5代目将軍、徳川綱吉(とくがわ・つなよし、1646-1709)が、1851年に12代将軍、徳川家慶(とくがわ・いえよし、1793-1853)が社殿を再建したが、当時の建物はほとんど残っていない。現在の社殿は1964年に再建された。

「品川土蔵相模跡」は歩行新宿にあった品川宿有数の旅籠屋「相模屋」があったところだ。当時、外壁が土蔵のようなナマコ壁であったことから「土蔵相模」と親しまれ、高杉晋作(たかすぎ・しんさく、1839-1867)や桂小五郎(かつら・こごろう、後の木戸孝允=きど・たかよし=、1833-1877)をはじめ、多くの志士達が愛用した。

御殿山に建設途中だったイギリス公使館の焼き討ちには「土蔵相模」から向かったといわれ、桜田門外の変(1860年)では水戸浪士が最後の酒宴を開いた場所として知られる。明治以後は貸座敷「相模楼」となり、戦後は「さがみホテル」と改称し、1982年に取り壊された。現在はビルでコンビニのファミリーマート北品川店が入っている。

神田阿久鯉さんは神奈川県横浜市生まれ、日本大学芸術学部放送学科を卒業、舞台関係の仕事を経て、1996年に3代目神田松鯉(かんだ・しょうり)さんに入門、前座名が「小松」、2001年に二つ目に昇進、「阿久鯉」に改め、2008年に「真打」に昇進した。日本赤十字準会員でもある。

時間は10時から16時30分で、昼までにお江戸日本橋亭に移り、13時30分から「日本橋お江戸寄席」を楽しむ。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3000円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。

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