日本橋三越と高島屋で江戸消防1区がはしご乗り、木遣り唄

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【銀座新聞ニュース=2015年1月2日】日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は1月4日11時20分から本館1階中央ホールで江戸消防記念会第1区による「木遣り唄、まとい振り、はしごのり」を開く。

日本橋三越と日本橋高島屋で1月4日に開かれる江戸消防記念会第1区による「新春はしご乗り」。画像は過去に日本橋三越で開催された会場風景。

日本橋三越と日本橋高島屋で1月4日に開かれる江戸消防記念会第1区による「新春はしご乗り」。画像は過去に日本橋三越で開催された会場風景。

また、日本橋高島屋(中央区日本橋2-4-1、03-3211-4111)は10時と12時に1階で江戸消防記念会第1区による「江戸火消し はしご乗り・木やり唄」を開く。

社団法人「江戸消防記念会」(新宿区四谷三丁目10、消防博物館9階、03-5269-7210)の第1区(神田川、隅田川、月島・晴海から東京湾、東京駅から丸の内を範囲とする)のメンバーによる「新春はしご乗り」と「まとい振り」や「木遣(きや)り唄」を披露する。

江戸時代の消防団は1719年に大岡越前守忠相(おおおか・えちぜんのかみ・ただすけ、1677-1752)がとび職人を中心に「いろは四十八組」の町火消として江戸に組織したのがはじまりとされ、1867年に「市部消防組」となり、1914年に「江戸消防記念会」が結成され、1954年に社団法人化された。

「江戸消防記念会」は東京都23区を第1区から第11区に地域割りにし、その中で第1区は中央区全部と千代田区の1部を担当している。

「はしご乗り」とは高さ6.5メートルのはしごを使って、その上で演技する。はしご乗りの起源として、消防出初式の発端になった1659年に行われた上野東照宮前の出初めからはじめられたという説、延宝年間(1673年から1681年)に行われていた見世物(はしごさし)という説、1719年に町火消が誕生した際に、火災の方角を見るために長刺又(ながさすまた)に身軽な若者が登ったものという説がある。

町火消の中心となったのは鳶(とび)職であり、仕事前の準備運動や訓練のために行っていたといわれている。現在では、消防出初式で消防士や消防団員が披露したり、鳶職の組合が正月に披露する。

「まとい振り」は組の旗印として取り入れられ、白と黒の2色に統一されている「まとい」を振って、さまざまな技を見せる。江戸の大半を焼失した「明暦の大火」後の1658年に江戸中定火之番(定火消=じょうびけし=)が設置され、江戸では、町人が住む地域の火災は「いろは」の組に分かれた町火消による消火が行われた。火災時には旗本が火消屋敷に常駐している臥煙(がえん)と呼ばれる消防員の指揮をとり出動していたが、その際に用いた馬印がまといの始まりとされている。

「木遣り唄」は複数の人員で火消しをする際に力をひとつにまとめるための掛け声や合図として唄われたもので、東京都指定無形文化財に認定されている。