講談協会が日本橋亭で元旦から初席、貞水、翠月、琴桜、琴梅ら

【銀座新聞ニュース=2015年12月25日】講談協会(事務局・03-6313-7438)は2016年1月1日から5日まで「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル、03-3245-1278)で「講談協会初席」を開く。

2016年1月1日から5日まで開かれる「講談協会初席」に出演する人間国宝の一龍斎貞水さん。

2016年1月1日から5日まで開かれる「講談協会初席」に出演する人間国宝の一龍斎貞水さん。

講談協会が毎年恒例としている「お江戸日本橋亭」で12時50分から開く初席で、会員の講談師が総出で出演する。

1月1日は前座の神田(かんだ)こなぎさん、二ツ目の田辺銀冶(たなべ・ぎんや)さん、二ツ目の神田(かんだ)あおいさん、真打の田辺鶴遊(たなべ・かくゆう)さん、真打の宝井琴柳(たからい・きんりゅう)さん、仲入り後は、真打の神田織音(かんだ・おりね)さん、真打の田辺鶴瑛(たなべ・かくえい)さん、トリが真打で講談協会常任理事の宝井琴梅(たからい・きんばい)さん。

2日は前座の田辺(たなべ)いちかさん、二ツ目の一龍斎貞鏡(いちりゅうさい・ていきょう)さん、二ツ目の宝井琴柑(たからい・きんかん)さん、真打の一龍斎貞橘(いちりゅうさい・ていきつ)さん、真打で講談協会理事兼事務局長の宝井琴星(たからい・きんせい)さん、仲入り後は真打の田辺凌鶴(たなべ・りょうかく)さん、真打の宝井琴嶺(たからい・きんれい)さん、トリは真打の神田翠月(かんだ・すいげつ)さん。

3日は前座の田辺凌天(たなべ・りょうてん)さん、二ツ目の一龍斎貞弥(いちりゅうさい・ていや)さん、二ツ目の一龍斎貞寿(いちりゅうさい・ていじゅ)さん、二ツ目の神田春陽(かんだ・しゅんよう)さん、真打で講談協会理事の一龍斎貞心(いちりゅうさい・ていしん)さん、仲入り後は真打の宝井梅福(たからい・うめふく)さん、真打の一龍斎春水(いちりゅうさい・はるみ)さん、トリは真打で、重要無形文化財保持者(人間国宝)の一龍斎貞水(いちりゅうさい・ていすい)さん。

4日は前座の宝井琴屯(たからい・きんとん)さん、二ツ目の宝井梅湯(たからい・うめゆ)さん、二ツ目の神田(かんだ)すずさん、真打の宝井一凜(たからい・いちりん)さん、真打の宝井琴調(たからい・きんちょう)さん、仲入り後は真打の田辺一邑(たなべ・いちゆう)さん、真打の神田香織(かんだ・かおり)さん、トリは真打で講談協会理事兼副会長の宝井琴桜(たからい・きんおう)さん。

5日は前座の神田(かんだ)こなぎさん、二ツ目の神田山緑(かんだ・さんりょく)さん、二ツ目の田辺一乃(たなべ・かずの)さん、真打の桃川鶴丸(ももかわ・つるまる)さん、真打の一龍斎貞山(いちりゅうさい・ていざん)さん、仲入り後は真打の一龍斎貞友(いちりゅうさい・ていゆう)さん、真打の神田(かんだ)すみれさん、トリは真打の一龍斎貞花(いちりゅうさい・ていか)さん。

ウイキペディアなどによると、講談は奈良、平安の頃に原型が見られ、その後、江戸時代の大道芸のひとつとして「辻講釈(つじこうしゃく、または町講釈)」が誕生し、太平記などの軍記物を注釈を加えつつ調子を付けて語り、1704年から1710年までの宝永(ほうえい)年間には公許の常設小屋で上演され、「講釈」と呼ばれた。

1818年から1830年の文政(ぶんせい)年間には話芸としてほぼ確立し、いくつかの流派が誕生し、講釈での人気演目が歌舞伎や人形浄瑠璃化されることもあった。明治時代に入って、講釈は「講談」と呼ばれるようになった。

江戸末期から明治時代にかけて、講談は全盛期を迎え、明治末期には「立川文庫」など講談の内容を載せた「講談本」が人気を呼び、新聞や雑誌に講談が連載されるようになった。しかし、漫才など他の人気大衆芸能の誕生、大衆メディアの発達などに追いつけず、次第に衰退した。

太平洋戦争後はGHQにより、仇討ちや忠孝ものの上演が禁止され、一時は大きな影響を受け、さらに、テレビの普及により、衰退を続けた。現在は講談師の所属団体として「講談協会」と「日本講談協会」があり、落語界と比較して女性の進出がめざましく、講談協会、日本講談協会とも男性より女性の協会員のほうが多い。

落語は会話によって成り立つ芸なのに対し、講談は「話を読む芸」で、独特のしゃべり調子と張り扇で釈台(机)をたたいて展開されるのが特徴だ。

講談界では「講談組合」が1881年に設立され、1968年に「講談協会」が設立されたが、田辺夕鶴(たなべ・ゆうづる、後に「天の夕づる」に改名し、その後廃業、1944年東京都生まれ)のポルノ講談により、講談界が割れ、1973年に分裂した。

神田ろ山(かんだ・ろざん、1908-1984)、小金井芦州(こがねい・ろしゅう、1926-2003)、神田伯治(かんだ・はくじ、後に6代目神田伯龍、1926-2006)、一龍斎貞水(いちりゅうさい・ていすい)さん、宝井琴鶴(たからい・きんかく、後に5代目宝井馬琴、1903-1985)ら協会解散派の「講談組合」と、神田山陽(かんだ・さんよう、1909-2000)や田辺一鶴(たなべ・いっかく、1929-2009)ら解散反対派の「日本講談協会」が誕生した。

1974年に宝井馬琴門下の宝井琴鶴(たからい・きんかく、現6代目宝井馬琴)さん、宝井琴梅(たからい・きんばい)さん、宝井琴桜(たからい・きんおう)さん、一龍斎貞正(いちりゅうさい・ていせい、現一龍斎貞花)さんが「講談組合」を脱会して宝井馬琴一門と一龍斎貞丈(いちりゅうさい・ていじょう、1928-2003)一門として「東京講談会」を設立した。

1980年7月に「講談協会」として統一され、1991年10月に選挙方法に異議を唱えた神田山陽一門が「日本講談協会」を設立し、神田山陽門下の神田松鯉さん、神田紫さん、神田紅さんらが日本講談協会を率いている。

入場料は2000円で、2日と3日は永谷商事が主催する「初春演芸会」より続いて鑑賞すると、講談協会初席は1000円で鑑賞できる。