シチズンが松屋壁面に時計新モデルの巨大広告、展示も

【銀座新聞ニュース=2016年7月28日】大手時計メーカーのシチズン時計(西東京市田無町6-1-12、042-468-4694)は7月30日から8月31日まで松屋銀座店(中央区銀座3-6-1)の外壁に「エコ・ドライブ ワン」の広告を展示する。

シチズン時計が7月30日から8月31日まで松屋銀座店の外壁に展開する「エコ・ドライブ ワン」の巨大広告のイメージ図。

シチズン時計が7月30日から8月31日まで松屋銀座店の外壁に展開する「エコ・ドライブ ワン」の巨大広告のイメージ図。

また、7月30日から9月5日まで松屋銀座店4階宝飾・時計サロンでは「シチズンフェア」を開く。さらに、8月16日から29日まで1階正面口ショーウインドウに最新の腕時計モデル「エコ・ドライブ ワン」を展示する。

3月に開かれた世界最大の時計見本市「バーゼル・ワールド2016」で、シチズン時計が発表した「エコ・ドライブ ワン」は世界最薄の厚さわずか1ミリのムーブメントを採用し、腕につけたときの「美しさと心地よさを実感できる時計」としている。わずかな光で駆動し、定期的な電池交換不要の光発電「エコ・ドライブ」という、光発電技術を体現した最先端モデルで、10月下旬に発売する予定の限定モデル(バンドがワニ革)は価格が70万円(税別)、世界で限定800本を販売する。また、一般モデル(バンドがステンレス)は11月下旬発売予定で、価格が30万円。

この「エコ・ドライブ ワン」の薄さを伝えるため、松屋銀座店の壁面に横たわる巨大な時計と、シンボリックな「1」の文字を配した広告を展開する。「1」はムーブメントの厚さ1ミリを表すだけでなく、「日本はもとより銀座を訪れる世界中の人々に、次の時代をひらく先進性、頂点をめざす姿勢をアピール」(シチズン時計)するものとしている。

ウイキペディアなどによると、シチズン時計は1918年に貴金属商(1892年に「清水商店」=現田中貴金属ジュエリー=を設立)で貴族院議員の山崎亀吉(やまざき・かめきち)によって創業された「尚工舎(しょうこうしゃ)時計研究所」が前身で、1924年に懐中時計「シチズン(CITIZEN)」を発売し、これが「シチズン」ブランドの発端となった。ブランドは「市民に親しまれるように」の意味で山崎亀吉と親交の深かった貴族院議員で当時の東京市長、後藤新平(ごとう・しんぺい、1857-1929)が名づけたとされる。

1930年に「シチズン時計株式会社」が設立され、1931年に腕時計第1号を完成し、1936年に当時軍需産業の集積地となっていた北多摩郡田無町(現西東京市)に田無工場を完成した。1938年には軍部の意向による敵性語規制により「大日本時計株式会社」への社名変更し、戦後はGHQによる淀川、田無の両工場の賠償施設指定などを乗り越え、いち早く復興を遂げ、セイコーに次ぐ国内第2の時計メーカーとして成長した。1948年に社名を「シチズン時計株式会社」に戻し、1966年に国産初の電子ウオッチ「エックスエイト」を発売、1976年に世界初のアナログ式太陽電池ウオッチ「クリストロン ソーラーセル」を発売した。

1990年に年間顕彰制度「シチズン・オブ・ザ・イヤー」を創設し、2001年には、東京事業所に本社を移転、2007年に「シチズンホールディングス株式会社」に改称、2011年に世界初の、人工衛星から時刻情報を受信する光発電時計「エコ・ドライブ サテライト ウエーブ」を発売した。

クオーツ式時計が主流となる以前、電磁テンプ式時計の国産化にいち早く成功した。また米ブローバ社と共に「ブローバシチズン」(現シチズン電子)を設立し、音叉式腕時計の国産化にも成功している。2007年にブローバ社を買収し、2012年にスイスの時計会社プロサーを買収、2016年にフレデリック・コンスタントを買収している。

20日、21日と27日、28日に松屋銀座店1階正面口のショーウインドウ前で「エコ・ドライブ ワン スペシャルイベント」を開く。「エコ・ドライブ ワン」に触れることができる。