東宝が帝劇ビル50周年記念パネル展、出光美術館も

【銀座新聞ニュース=2016年9月11日】阪急阪神東宝グループの国内最大の映画配給会社、東宝(千代田区有楽町1-2-2、03-3591-1221)と子会社の東宝不動産(千代田区有楽町1-5-2、東宝ツインタワービル、03-3504-3333)は9月13日から11月23日まで帝劇ビル(千代田区丸の内3-1-1)地下2階特設会場で「帝劇ビル50 周年記念パネル展」を開く。

9月13日に50周年を迎える帝劇ビル。11月23日まで「帝劇ビル50 周年記念パネル展」が開かれる。

9月13日に50周年を迎える帝劇ビル。11月23日まで「帝劇ビル50 周年記念パネル展」が開かれる。

現在の帝劇ビルが1966年9月13日に竣工し、50周年を迎えるのを記念して、50年を振り返るパネル展を開く。帝国劇場のオープニング作品として世界で初めて上演された「風と共に去りぬ」(1966年11月初演)や「日本ミュージカルの聖地」と呼ばれることになる「レ・ミゼラブル」(1987年6月初演)や「ミス・サイゴン」(1992年5月初演)の初演時の舞台写真をはじめ、出光美術館(9階)からは入館者数歴代ベスト5の展覧会ポスター(複写)などにより帝劇ビルの歴史を振り返る。また、会場内のモニターでは、開館当時のニュース映像や帝国劇場のバックステージ案内などの映像を流す。

さらに、帝劇ビル内の店舗(劇場、美術館含む全店舗)でスタンプを集めると、抽選で帝国劇場公演「レ・ミゼラブル」(15組30人)、「海賊と呼ばれた男」(50組100人)や出光美術館のペアチケット(25組50人)が当たる「スタンプラリー」も実施する。

帝劇ビルは従来の帝国劇場を1965年に解体し、隣の「国際ビルヂング」(三菱地所所有)との共同再開発とした上で、いずれも谷口吉郎(たにぐち・よしろう、1904-1979)の設計により現在の帝国劇場(帝劇ビル)、国際ビルヂングとして1966年9月13日に落成した。帝劇ビルの一部は落成当時から、石油業界大手の出光興産が本社(4階から8階)として使用している。1969年から1984年まで、日本レコード大賞の発表会も行われ、現在、年間10作品程度を上演している。また1997年から1999年まで大晦日に行なわれる年末ジャンボ宝くじの抽せん会場としても知られた。

帝国劇場は横河民輔(よこがわ・たみすけ、1864-1945)の設計によるルネサンス建築様式の劇場で、日本初の西洋式演劇劇場として1911年(明治44年)3月1日に竣工式が行われた。1912年から1916年にイタリア人音楽家ローシー(Giovanni Vittorio Rosi、1867-没年不詳)を招いてオペラ・バレエを上演するなど、当時、「今日は帝劇、明日は三越」という宣伝文句は流行語になった。

1923年の関東大震災では隣接する警視庁から出た火災により外郭を残して焼け落ち、1924年に改修、再開した。1930年に松竹の経営となり、まもなく洋画封切館に転用し、SYチェーン(松竹洋画系)の基幹劇場となった。1939年に運営会社を東宝が合併し、1940年に松竹の賃借期限が切れると、東宝により元の演劇主体の興行形態に戻された。1955年に舞台に巨大映画スクリーン・シネラマが設置され、再びシネラマ主体の洋画ロードショー用の映画館に転じたが、1965年に解体された。

東宝不動産は1947年9月に設立された電気工事及び建設業の「太千電気工業株式会社」(兵庫県)がはじまりで、10月に「日本綜合建設工業」に社名を変更、1949年12月に「オーケー土建社」を合併、1955年9月に本店を大阪府豊中市に移転、11月に「南街ビルディング」を合併、ビル賃貸等不動産業に業態転換、1957年8月に本店を東京都千代田区に移転し、9月に「千代田土地建物」に社名を変更、1958年に1月に関東土地建物、東宝文化映画、福岡東宝劇場、東海土地を合併した。

1963年7月に「旧東宝不動産」を合併した上で、「東宝不動産」に社名を変更、9月に不動産取引業務をはじめ、11月に「東宝売店」を合併した。1964年11月に渋谷土地建物と東宝チェリーを合併、1965年10月に「梅田土地建物」を合併し、1969年7月に「日比谷土地建物」を合併、1972年2月に東京証券取引所第2部に上場し(1973年8月に第1部に指定替え)、1976年7月に帝国劇場を合併した。2013年6月に東宝が東宝不動産の株式の公開買い付けを実施、完全子会社化し、上場を廃止した。2016年2月期の年商(営業収入)は99億円、経常利益が23億円、純利益が11億円。従業員が62人。

会場時間は10時から22時。