メトロ、ツーリズムが最初の地下鉄「銀座線」沿線を散策

【銀座新聞ニュース=2016年9月25日】東京地下鉄(東京メトロ、台東区東上野3-19-6)とKNT-CTホールディングス(旧近畿日本ツー リスト、千代田区東神田1-7-8、ユニゾ東神田一丁目ビル)のグループ会社、クラブツーリズム(新宿区西新宿6-3-1、新宿アイランドウイング)は 10月11日から「そとあるき『都心の大動脈 東京メトロの世界』」を開催する。

上野検車区にある日本で唯一の地下鉄が通る踏み切り。通常の乗客が乗る営業路線区ではないが、公開されているので、いつでも見ることのできる踏み切り。

上野検車区にある日本で唯一の地下鉄が通る踏み切り。通常の乗客が乗る営業路線区ではないが、公開されているので、いつでも見ることのできる踏み切り。

クラブツーリズムのブランドのひとつ「気軽にそとあるき」シリーズの一環として、日本でもっとも古い(東洋初)地下鉄「銀座線」の沿線を歩く企画で、現地集合、現地解散型のウォーキングツアーとして、50代から60代の女性ひとり客を主な対象としている。

1927(昭 和2年)12月30日とおよそ90年前に誕生した「東京メトロ銀座線」沿線を散策するウォーキングツアーで、10時に東京メトロ銀座線・上野駅出口に集合 して、上野駅駅長による歓迎のあいさつからはじまり、東京メトロのスタッフが上野検車区(日本で唯一、地下鉄が通る踏切)から、1927年に開業した銀座 線・稲荷町(いなりちょう)駅。

その後、合羽橋(かっぱばし)道具街(大正・昭和を支えてきた道具街)から、下町の浅草散歩、1927年に 開業した浅草駅(開業当時からある社殿風上屋)、1980年創業のうなぎ屋「浅草うな鉄」(台東区浅草1-43-7、03-3841-1360)で「塩ひ つまぶし」の昼食を食べて、14時30分ころに浅草駅に到着して解散する。およそ全工程で4キロの距離を歩く。

上野検車区は銀座線の車両基 地で、1927(昭和2)年12月に東京地下鉄道によって「上野電車庫」として発足した。当時は工場業務と検車区業務を行っており、当初の計画では、本車 庫は一時的なもので、将来の郊外延伸時には新たな車両基地を建設することを想定していた。このため、最初の開業時には「トラバーサー」(重量物を平行移動 させるための装置)を使用して1両ずつ留置するというもので、若干の改良は加えられたが、昭和30年代まではこの状態で使用されていた。

戦 後は銀座線の乗客数が増加し、開設当初の状態では輸送力増強に対応できなくなっていた。このため、1963年5月に工場設備を廃止し、さらに従来の車庫設 備を撤去して全面的な改築を行い、1968年3月に完成し、地下に6両編成13本収容の留置線を設け、地上部は6両編成が留置可能な設備に一新し、現在ま で至っている。

2000年3月には渋谷検車区を統合し、渋谷検車区は上野検車区渋谷分室となっている。上野検車区は敷地面積が1万6223 平方メートル(地上部7723平方メートル、地下部8500平方メートル)、銀座線車両の列車検査と月検査を実施し、ほかに車両洗浄(洗浄作業台を設置) も行い、車輪転削は丸ノ内線中野検車区で実施している。ここに、東京地下鉄では唯一の踏み切りがある。

銀座線は「サードレール」(3本目の レール)方式という、線路に電力を供給するための3本目のレールを設置し、電車はサードレールから電気を取り込んで走るが、このサードレールには600ボ ルトの電流が流れており、線路内に立ち入ると感電の危険があるため、通常の架線集電式鉄道の踏み切りよりも、厳重に管理されている。

都内には他に都営地下鉄浅草線の馬込車両工場に通じる線路にも3カ所の踏み切りがあったが、馬込車両工場は2004年に廃止された。

合 羽橋道具街は文化年間(1804年から1818年)にこの地で掘割(後の新堀川、現在は消滅)整備を行った合羽屋喜八(かっぱや河太郎、かっぱや・きは ち、生年不詳-1814)が合羽橋の名前の由来の一つとされ、湿地帯のこの土地の住民のために私財を費やして整備を行った合羽屋喜八の良心に心を打たれた 隅田川の河童が、夜ごとに工事をして喜八を助けたという言い伝えがある。

合羽橋交差点で道具街通りと交差するかっぱ橋本通り沿いの曹源寺(通称かっぱ寺)に合羽屋喜八の墓がある。道具街の起源は、1912(大正元)年頃に数軒の道具商が店を構えたことがはじまりとされている。

ウイキペディアなどによると、東京メトロ銀座線は東京地下鉄道が1925(大正14)年に着工し、1927(昭和2)年の浅草と上野間で営業を開始した日本で最初の地下鉄で、当初は乗車時間がわずか5分の区間に乗るため、2時間待ちの行列ができたという。

1934(昭 和9)年までに上野と新橋間が全通した。当時のポスターでは「東洋唯一の地下鉄道」というキャッチコピーが使われ、アジア・オセアニア地域では初めての地 下鉄路線となっている。1番切符を手にし、最初に乗った乗客は原鉄道模型博物館の館長で、元コクヨ専務の原信太郎(はら・のぶたろう、 1919-2014)で、同館には当時の新聞記事などが展示されている。

渋谷と新橋間は目黒蒲田電鉄系の「東京高速鉄道」により建設、運営 され、1939(昭和14)年までに全通し、東京地下鉄道との相互乗り入れ運転が開始された。1941(昭和16)年7月に、両社は国策で設立された特殊 法人「帝都高速度交通営団」(営団地下鉄)に統合された。

1945年1月27日に行われたアメリカ軍による空襲時には、爆弾の直撃により銀 座駅や京橋駅が被害を受け、乗客多数が死亡し、さらに水道管の破裂により、日本橋駅と新橋駅間のトンネルが浸水したため、浅草駅と日本橋駅間、新橋駅と渋 谷駅間で折り返し運転を行い、三越前駅と日本橋駅間は単線運転となった。5月25日には、渋谷検車区に着弾し、車両5両が焼損するなどの被害を受け、終戦 時には在籍車両84両のうち、可動車は24両のみだった。

1946年には、修復が完了し、全線の運行が再開され、1949年には新型車両が 導入され、1954年に丸ノ内線が開業する前年の1953年には、当線に「銀座線」の名称が付与され、2004年4月1日の営団の民営化に伴う「東京地下 鉄」の発足に際しては、上野駅で発車式が行われた。

東京地下鉄(東京メトロ)の路線では丸ノ内線と銀座線のみが標準軌(線路の軌間、レール 頭頂部の内側の間隔が1435ミリで新幹線も同じ、国鉄等狭軌が1067ミリ)で、「第三軌条集電方式」を採用しているため、駅進入部にデッドセクション が存在し、一部の車両では駅到着直前に室内灯が消灯し、代わりにバッテリー電源の非常灯が点灯していた。

また、前照灯も消灯し、扇風機の電 源も切れた。現在、運用されている車両には引き通し線が装備されており、デッドセクション通過時も停電することはなくなったが、狭軌と架空電車線方式を採 用している他社路線との直通運転は、形態的に困難なため、丸ノ内線と銀座線では実施されていない。

トンネル断面が小さいため、車両自体も小 さく(東京地下鉄の車体の規格の中でもっとも小さく、1両の車両長が16メートル×6両で、1編成の長さは96メートル)、そのため、1両あたりの乗車定 員は少なく、車内冷房装置の屋外機が屋根に取り付けられない、などの制約がある。これは建設費を節約したためとされている。当時は、初めての地下鉄建設と あって将来的な輸送需要見通しを立てるのが困難で、開業当時は十分な輸送力を持っていたが、現代では輸送力不足を招いている。

冷房装置につ いては、車両冷房化が困難であったことにより、一般の鉄道車両において冷房装置搭載が一般的になった1983年から製造がはじまった「01系」も当初は非 冷房で製造されたが、1990年頃になって薄型装置が開発されたことにより屋根上に搭載できるようになり、「01系」からは当初より冷房が搭載され、冷房 装置なしで登場した01系にも冷房装置の設置が行われた。現在運用されている01系および1000系車両には全編成に冷房装置が取り付けられている。

浅草通りから中央通り、外堀通り、青山通りの地下を通って、浅草、上野、日本橋、銀座、新橋、虎ノ門、溜池、赤坂、青山、外苑前、表参道、渋谷といった東京都心のほとんどの繁華街やビジネス街を走る路線のため、利用客が多く、日中でも3分に1本の割合で運転されている。

こ の銀座線の混雑緩和のために建設された路線が半蔵門線であり、また銀座線は開削工法で建設されたため、後発の他路線に比べて乗り場が浅く、田原町駅、末広 町駅、虎ノ門駅、外苑前駅など多くの駅で階段を降りるとすぐに改札口があり、改札口の先にすぐホームがあるという利用しやすい形態になっている。相対式 ホームの駅ではそのほとんどで線路間の支柱がリベット組みの鉄骨となっており、日本最初の地下鉄の歴史を偲ぶことができる。

車両基地の上野検車区は地上と地下の2層構造になっており、地上車庫の入口カ所には日本の地下鉄では唯一の踏切が存在する。また、渋谷駅周辺が窪地となっていることから、同駅では東急百貨店東横店3階にあるホームから発着する。

か つて、渋谷以西は二子玉川方面へ、浅草以北は三ノ輪方面への延伸計画が存在したが、1968年の都市交通審議会答申第10号において、渋谷以西の区間は架 空線式の別線として建設されることとなり、同答申にて追加された東京11号線(半蔵門線)に編入された(その後、渋谷と二子玉川園間は東急新玉川線として 開業)。

また、浅草と三ノ輪間の延伸は1985年の運輸政策審議会答申第7号にて削除され、浅草と南千住間の鉄道交通はつくばエクスプレス 線が担うこととなったが、都電22系統が運行されていた浅草から山谷を経て南千住に至るルート付近には現在、鉄道交通網は存在しない。赤坂見附駅の溜池山 王寄りには丸ノ内線とを結ぶ連絡線があり、銀座線車両の重点検整備の際の中野工場(中野富士見町駅近在)や小石川CR(茗荷谷駅近在)への回送のためにこ の連絡線を通過する。

過去には隅田川花火大会開催日の臨時列車「花火ライナー」(丸ノ内線新宿発浅草行)や浅草寺への参拝客向けの「初詣新 春らいなー」、中野工場見学会などのイベント列車なども通過していた。2010年5月2日には映画「仮面ライダー×仮面ライダー×仮面ライダー ザ・ムービー(THE MOVIE)超・電王トリロジー」の公開を記念したイベント列車「メトロデンライナー」が上野・赤坂見附・中野富士見町間で運転された際は連絡線を通過し た。

2008年以降は丸ノ内線がホームドア使用のワンマン運転となったため、車両ドアとホームドアの位置の関係から、丸ノ内線駅ホームでの乗降を取り扱わないイベント列車をのぞいての直通運転は行われていない。

路 線距離(営業キロ)は14.3キロ(うち地上部0.3キロ、渋谷付近)で、駅数が19駅(起終点駅含む)、全線が複線で、電化(直流600ボルト)されて いる。最高速度が65キロ、平均速度が34.2キロ、表定速度が27.3キロ、車両基地が上野検車区、上野検車区渋谷分室にある。また、ホーム有効長が編 成長ぎりぎりの駅が多いことから、オーバーラン防止と駅進入速度の向上による運転間隔の短縮・輸送力増強を図るために定位置停止装置(TASC)が設置さ れている。

2012年12月17日に銀座線全19駅をリニューアルすることが発表され、2017年度中に浅草と京橋間を、2022年度までに全線をリニューアルする。2018年度までにホームドアの設置を完了する予定としている。

実 施日は10月11日、10月25日、11月15日、11月29日、12月13日、12月21日の6日。募集人員は各回とも20人で、代金は7980円(昼 食付)。参加者はペットボトルホルダー、クリアファイル、タオルハンカチがもらえる。問い合わせはクラブツーリズム・スポーツ旅行センター (03-5323-5566)まで、申し込みはクラブツーリズムのHP(http://www.club-t.com/)から。