実話を、主人公を通じて冷静に描いた「ハドソン川の奇跡」(197)

【ケイシーの映画冗報=2016年10月6日】2009年1月15日、ニューヨークのラガーディア空港を飛び立ったUSエアウェイズ1549便は、離陸直後にカナダガンの群れに突入してしまい、バードストライク(飛行中の航空機に鳥類が衝突すること)によって左右のエンジンがストップしてしまいました。

現在、一般公開中の「ハドソン川の奇跡」((C)2016 Warner Bros. All Rights Reserved)。制作費は6000万ドル(約60億円)で、興行収入が世界で1億1669万ドル(約116億6900万円)。

現在、一般公開中の「ハドソン川の奇跡」((C)2016 Warner Bros. All Rights Reserved)。制作費は6000万ドル(約60億円)で、興行収入が世界で1億1669万ドル(約116億6900万円)。

ニューヨーク市の上空2800フィート(約850メートル)でエネルギーを失った機体は徐々に高度を下げ、操縦も難しくなるなか、機長のチェズレイ・サレンバーガー(Chesley Sullenberger)は、機体をハドソン川に着水させるという決断をくだし、危険な“不時着水”を成功させ、乗脚乗員155人全員の生命を救います。

長引くイラクでの戦争、前年に起きた世界的経済危機に打ち沈んでいたアメリカは、「ハドソン川の奇跡」を大々的に取り上げ、冷静かつすばらしい操縦をおこなったサレンバーガー“サリー(Sully )”機長は155人を救ったヒーローとして一躍、時の人となります。

その一方で、サリー機長にはつらい現実にも直面します。「危険とされる不時着水ーそれも大都市を流れる河川へのーという判断は適切だったのか」という国家運輸安全委員会(NTSB)からのきびしい追求でした。

2度のアカデミー監督賞に輝くクリント・イーストウッド(Clint Eastwood)が前作「アメリカン・スナイパー」(American Sniper、2014年)に続いて監督した「実在する(した)アメリカン・ヒーロー」を描いた作品で、主人公のサリー機長役は、こちらも2度のアカデミー主演男優賞を受けているトム・ハンクス(Tom Hanks)で、ハンクスも前作の「ブリッジ・オブ・スパイ」(Bridge of Spies、2015年)につづく、「実在の人物」という役柄となっています。

本作「ハドソン川の奇跡」(Sully、2016年)の冒頭は、サリー機長の「衝撃的な夢」で幕を開けます。自分自身で最悪の事態を回避した本人であるために「もうひとつの可能性」に苦しめられるというのは、ある意味で「生き残ってしまった人々」の正常な反応です。いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)であり、生命を脅かされるような出来事に直面した人間にとって、めずらしい事例ではありません。

じつは「過去の記憶に苦しむパイロット」というのは、イーストウッドが自身の監督・主演作で幾度も演じてきたキャラクターでした。「ファイヤーフォックス」(Firefox、1982年)ではソ連(当時)の最新鋭戦闘機を盗み出す主人公が、ベトナム戦争での戦場体験が強いトラウマとなっていましたし、「スペース カウボーイ」(Space Cowboys、2000年)でも宇宙飛行士への夢を絶たれたNASAの老技術者という役どころでした。現在のところ最終の監督・主演作「グラントリノ」(Gran Torino、2008年)でも、朝鮮戦争の苦い記憶をもつ老人を情感ゆたかに演じています。

かれらは皆、過去を否定することなく、最初はあらがっていても、最終的にはそれを克服していきます。そこには無駄な気負いや、りきんだ決意といったありがちな描写はなく、日常の延長として解決していきました。

それは、出力を失った旅客機を安全に不時着水させるときのサリー機長も同様で、劇中では恐怖のあまりパニックに陥ったり、悪態をついたりもせず、刻々と悪化していく状況に、まるで機械のように冷静に対処していきます。実際の事件でも同様で、管制官も「機長は冷静だった」と証言しています。

事件後のサリー機長は「ハドソン川の奇跡」の主人公としてマスコミに引っ張りだされ、讃えられる一方、NTSBからはきびしい追求がなされるという状況に放りこまれます。

事故の調査が優先されるので、副操縦士のジェフ・スカイルズ(Jeff Skiles、演じるのはアーロン・エッカート=Aaron Eckhart)とともにホテルから出ることを許されず、妻のローリー(演じるのはローラ・リニー=Laura Linney)との接点は電話のみ。PTSDによる食欲不振や不眠に苦しみ、生き残った喜びを家族とわかち合うことすらできないのです。

事件によって周囲が劇的に変化するのですが、サリー機長の表情や対応に、事故に前との違いを感じることは難しく、それがかえって、置かれた状況の変化に戸惑い、悩むサリー機長の心情を観客に訴えてくるのです。

サリー機長ご本人はたびたびこう言っていたそうです。
「私のしたことを奇跡と呼ばないでくれ」

かれは「前例のない重大事態に直面したが、ただ自分の仕事をしただけ」だったのです。これはこの作品全体を貫いたイーストウッド監督のメッセージのように感じました。次回は「ジェイソン・ボーン」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。

編集注:「ハドソン川の奇跡(Miracle on the Hudson) 」は2009年1月15日15時30分ころ(東部標準時)にUSエアウェイズ1549便(「エアバス320型機」)がアメリカ・ニューヨーク市マンハッタン区付近のハドソン川に不時着水した航空事故で、乗員、乗客全員が無事に生還したことから、当時のニューヨーク州知事のデビッド・パターソン(David Alexander Paterson、2008年から2010年までニューヨーク州知事を務めた)さんがこの乗員、乗客全員を救出した事故を「ハドソン川の奇跡」と呼び称賛した。

1549便はニューヨーク・ラガーディア空港発、ノースカロライナ州シャーロット・ダグラス国際空港を経由してワシントン州シアトル・タコマ国際空港に着陸する予定で、乗員は機長、副操縦士、客室乗務員が3人の計5人、乗客が150人だった。ラガーディア空港離陸直後、カナダガンの群れに遭遇し、両エンジンの同時「バードストライク」(鳥が飛行機などの人工構造物に衝突する事故をいう)によって両エンジンがフレームアウト(停止)し、飛行高度の維持ができなくなった。

機長と空港管制が相談し、管制官が進行方向の延長上にあるテターボロ空港への着陸をアドバイスしたが、高度と速度が低すぎるため機長は同空港への着陸を拒否し、ハドソン川への緊急着水を宣言した。これにより低高度でレーダーから消失してしまうため、管制官は周囲の航空機へ1549便の目視チェックを要請し、観光ヘリ2機がこれに応じた。

副操縦士は、事態の改善に努力したがエンジンは再始動しなかったため、不時着しか手段がないと判断した機長は操縦を副操縦士から交代すると、乗客には「衝撃に備えて下さい」とのみ伝えた。不時着まで数分の出来事のため客室に詳細を伝える猶予はなかったためで、客室乗務員は事情を察して客に最善の指示をした。

その後、急降下しつつ失速を避け、ジョージワシントンブリッジをギリギリで回避しながら高度上げで減速し、異常発生から約3分後、1549便はニューヨーク市マンハッタン区とニュージャージー州ホーボーケン市の間に流れるハドソン川へ時速270キロ程度で滑走路着陸時と同様の滑るような着水をした。不時着水決定後に高度を下げる経路を必要としたため旋回(進行方向反転)したが、偶然にも着水進入方向と川の流れが一致していたことでごくわずかであるが機体の衝撃は抑えられた。

機体の姿勢も水面に対し水平に近かったため片側主翼着水による機体分解も避けられた。スムーズな着水により機体損傷は尻餅による後部壁下部の一部だけで、乗客ら全員が迅速に機内から脱出シューター(着水時には「救命いかだ」になる)及び両主翼に避難することが可能となった。

乗務員は、川へ着水させて市街地への墜落を防ぎ、着水後まもなく浸水が始まっていた機体後方のドアを開けないなど、エンジン停止と不時着水という非常事態に冷静に対処した。機長と客室乗務員は決められた手順に沿い、不時着水後の機体内を見回り、すでに浸水が始まっていた機体後方まで機内に残っている乗客がいないか2度確認に向かっている。その後、乗員乗客全員が脱出したのを確認してから機長自身も脱出し、その際に機内の毛布や救命胴衣を回収しつつ客に配るなど、手順通り冷静に事態の対処に当たった。

事故当時は真冬であり、氷点下6度の気温・水温2度の中で着水・浸水したため、機体は無事着水したものの、すぐさま客室内への冷水浸水で、乗客はずぶ濡れになり、機体沈没の恐怖に苛まれつつ、着水の衝撃で停電し、真っ暗の中を屋外へ緊急脱出して、身を切るような寒さに晒された。

事故機は着水から約1時間後に水没した。機体は17日深夜に引き上げられたが、第2エンジンが不時着後に脱落してしまったため、この捜索だけで3日間も掛かった。回収されたフライト・データ・レコーダーの解析では、右エンジンはフレーム・アウトしたが、左エンジンは完全には失火せず、このため飛行速度が低かったもののウィンドミル状態に近く、付随するオルタネーター(発電機)が操縦などに必要な電力を賄う程度の回転数は保たれていたことが確認された。

1549便の不時着水後、着水地点が機長の判断通りに水上タクシーや観光船、マンハッタン島とニュージャージーを結ぶ水上バスのマンハッタン側の発着場に近く、またニューヨーク市消防局やアメリカ沿岸警備隊の警戒船や消防艇が停泊する港に近かった。このため、偶然付近を航行していた通勤フェリーが着水4分20秒後に現場に到着、即座に救助にあたり、その後、水上タクシーと沿岸警備隊や消防の船が救助活動にあたった。

乗員乗客155人のうち、ケガしたのは5人で、全員が生存した。事故調査の過程で同じ状況のシミュレーションを行なった際、エンジン停止後、すぐに空港へ引き返していた場合、ギリギリではあったが緊急着陸は可能だったことが判明している。しかし、事故機のパイロットたちは訓練通りにエンジンの再始動を試みたため、引き返す時間がなくなった。

シミュレーションに参加したパイロット達も同じようにエンジンの再始動を試みたが、結局は空港へ引き返す前に機体が墜落する結果に終わっていた。そのため、不時着水の決断は結果的に正しかったことが立証された。加えて、機長はエンジン停止後、即座に補助動力装置(APU)を起動する処置を取った。そのため飛行制御コンピューターがパイロットの操作を補助することにより失速を回避し、搭乗者の生存率を上げていた。

この後、機長はさまざまな表彰を受け、事故の5日後の1月20日に行われたオバマ大統領の就任式にも招待された。同年10月1日には機長は事故を起こした1549便と同じ路線で操縦士として復帰し、機長の復帰フライトでは事故当日と同じ副操縦士、事故機の乗客のうち4人が搭乗した。機体は事故の1年後にオークションにかけられた。

2010年3月3日、機長は30年間にわたる現役パイロットとしての乗務を終えた。2011年6月4日、カロライナズ航空博物館へ航空機の移送が開始され、同年6月11日に元機長を含めた元乗員、元乗客などを招待したパーティーが博物館で開かれ、2012年1月15日に元乗客に対して博物館で展示されている飛行機の機内が公開され、元乗客が自らが座っていた座席の今を確認することができた。機体は今も一般公開されているが、機内については一般公開されていない。