ピースを省き、観客へ問いかけた「モンスター」の監督の狙い(201)

【ケイシーの映画冗報=2016年12月1日】第1次世界大戦(1914年から1918年)が帝政ドイツの敗北で終わり、大戦終結のベルサイユ条約にかかわる、ひと組のアメリカ人家族がパリ郊外の古い屋敷で暮らし始めます。父親(演じるのはリアム・カニンガム=Liam Cunningham)は、異国での重要な仕事にかかりきりで、家庭のことはフランス生まれの妻(演じるのはベレニス・ベジョ=Berenice Bejo)にまかせていました。

現在、一般公開中の「シークレット・オブ・モンスター」((C)COAL MOVIE LIMITED 2015)。

現在、一般公開中の「シークレット・オブ・モンスター」((C)COAL MOVIE LIMITED 2015)。

4カ国語に堪能な彼女は、縁戚の屋敷を引き継ぎ、ひとり息子のプレスコット(演じるのはトム・スウィート=Tom Sweet)へのフランス語の教育とキリスト教への信仰に傾注しますが、当のプレスコットは、知識欲こそ旺盛でしたが、現地での生活にはあまりなじめず、周囲の子どもや村人とのトラブルが絶えませんでした。

天使のような美しい容姿のプレスコットですが、その内面にはげしい感情を秘めており、ときとしてこれが噴出し、周囲を困惑させたり、狼狽(ろうばい)させたりしていました。両親はそんな息子をなんとかして“ふつう”にさせようとするのですが、逆にプレスコットの反発を呼び、ついに両親と各国の要人たちの前で、神への不信心と蛮性を爆発させてしまいます。

時がたち、石造りのいかめしい建物の前に居並ぶ軍服姿の隊列と民衆のまえに、ひとりの独裁者が姿を見せます。その人物こそ??

本作「シークレット・オブ・モンスター」は、第1次大戦後のフランスのを舞台に、フランスの哲学者で作家のジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre、1905-1980)の短編小説「一指導者の幼年時代(The Childhood of a Leader、1938年)」を原形に、ブラディ・コーベット(Brady Corbet)が脚本(共同)を書き、自身の手で映画化したものです。

コーベット監督は1988年生まれと若く、本作が初の長編映画の監督ですが、子役出身ということで、俳優として15年以上のキャリアを持っています。また、作品の最初の構想は2006年にまでさかのぼるそうで、単なる思いつきではなく、じっくりと熟成させた作品であるといえるでしょう。

国際的な評価も高く、2015年の第72回ヴェネチア国際映画祭におけるオリゾンティ(革新的)部門で監督賞と初長編作品賞を受賞しています。

本作で新しい発想だと感じたのは、作品世界が「第1次大戦直後のフランス」と史実に則った設定となっているのに対し、ラストに登場する“独裁者とその国家”が架空かつ、きわめて曖昧な表現となっていることです。

つい先日、死去が報じられたキューバのフィデル・カストロ(Fidel Castro、1926-2016)前国家評議会議長をはじめ、20世紀は闘争や簒奪(さんだつ)によらない“独裁者”が多く生まれた時代でした。

クーデターや革命、あるいは選挙の結果によって生まれたかれらのほとんどは一般的な市民階級から出ており、それまでの王族、貴族階級から誕生した君主とは異なった存在となっています。

監督はイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini、1883-1945)のエピソードから、主人公プレスコットの着想をもち、そこにさまざまな要素を加えることによって、“実在しない独裁者”を生み出したのですが、これによって本作が、異彩を放つ作品として成立させたと感じます。

監督によれば、「これは歴史を学ぶための映画ではなく、この少年の人生におけるささやかだが重要な時間を集めた夢のようなコレクションなのだ」(パンフレットより)ということなので、伝記でも英雄譚でも弾劾でもない、ヴェネチアにおける表彰のタイトルどおり“革新的”な仕上がりをめざしたのではないでしょうか。

本作がデビューとなったプレスコット役のトム・スウィート少年の“美少女のような外見に不釣り合いな意志の強靭(きょうじん)さ”や“純粋であるがゆえに(大人や権威に)嫌悪をみせる”といった下手をするとエキセントリックなだけという印象になりかねないのですが、不自然さが感じられません。スウィート少年の資質も充分なのでしょうが、やはり子役出身というコーベット監督による演出によるものなのでしょう。

とはいえ、少しばかり、気になる部分もありました。鑑賞中、時系列やシーンのつながりに戸惑うことがあり、プレスコットの内面や行動にも理解しにくい部分が見受けられるのです。ただ、監督によれば、「(内容の)ピースがいくつか欠けている」(前掲書)のも、意図されたものであり、観客へのメッセージとなっているそうです。

とすると、この作品で自分に生まれた違和感も、コーベット監督の構想どおりの感覚なのかもしれません。次回は「海賊と呼ばれた男」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。