歳月人を待たずの1年、有隣堂の由来に学ぶ(222)

【tamaoのOL独り言=2016年12月22日】あっという間に年末だ。本当に月日が経つのは早いもので、暑い、暑いと言っていたかと思うと今年は寒い。寒くてなのか、風邪が猛威をふるっている。

今年最後の宝塚です。みなさんも素敵なクリスマスをお過ごし下さいませ。

今年はもう初雪も降ってしまったものねぇ。50年ぶりなんて、びっくりしてしまう。ちゃんと記録に残しておこう。54年ぶりの降雪って。

今年は仕事面についてはもう振り返りたくない。忙しかった。断念したことがたくさんあった。その分プライベートではいろいろ楽しいことがあったけど。

有隣堂っていう本屋さんがあるんだけど、ご存知ですか?社名の由来を聞いたら、こんな言葉に出会った。

「徳は孤ならず、必ず隣あり」(「論語」里仁より)

徳のある人は決して孤独ではない。その徳を慕って集まってくる。人の嫌がることや、避けていることでもあえてやることで、徳が高まるという教えだ。

自分に徳があるとかもちろん思わないけど、信じた道を一生懸命に歩いて行くことで孤独になることはないっていうことかな?

もちろん信じた道を間違えたりすることはあるのだろうけど、誰だって順風満帆な人生だけではない。でも難しい問題にぶつかって、それを避けてはいけないし、あえてやることも必要という教えなのかな。

弱い自分は逃げたり、避けたりすることもある。そんなことにならないよう、この言葉を覚えておこう。

いずれにしても、お忙しいところ1年間おつきあいいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いします。来年は良い年でありますように(敬称略、中堅企業に勤めるOLのタマオさんが日常の生活について思っていることを不定期に書きます。注書きは著者と関係ありません)。

編集注:儒家の始祖、孔子(こうし、BC552‐BC479)と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子たちが記録した「論語」の第4章が「里仁(りじん)編」で、その25に「子曰、徳不孤、必有隣」とある。

書き下すと、「先生いわく、徳は孤ならず、必ず隣あり」と読む。作家の下村湖人(しもむら・こじん、1884-1955)は「先師がいわれた。徳というものは孤立するものではない。必ず隣ができるものだ」と訳している。