M84でA・ヘプバーン展、カレンダーなど関連グッズも

【銀座新聞ニュース=2017年1月30日】Art Gallery M84(中央区銀座4-11-3、ウインド銀座ビル5階、03-3248-8454)は1月30日から3月4日まで「Audrey Hepburn」を開く。

アート・ギャラリー・エムハッシー(Art Gallery M84)で3月4日まで開かれる「Audrey Hepburn」に出品される「パリの恋人」(1957年、(C)Paramount Pictures)。

英国の女優で、「ローマの休日」(Roman Holiday、1953年)でアカデミー主演女優賞を受賞したオードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn、1929-1993)について、ビルダーチブ・ピーター・W.エンゲルメイアー(Bildarchiv Peter W. Engelmeier)やコバール・コレクション(The kobal Collection)の作品から「ローマの休日」などの映画のワンシーンやポートレート作品を主に、ゼラチンシルバープリントのモノクローム作品約23点を展示販売する。また、2017年版オードリー・ヘプバーンのカレンダー、ポストカード、クリアーファイルなどのオードリー・ヘプバーン関連グッズを販売する。

ウイキペディアによると、オードリー・ヘプバーンは1929年5月4日ベルギー・ブリュッセルのイクセル生まれ、幼少期をベルギー、イングランド、オランダで過ごし、父親がナチズムの信奉者で、子どもたちの子守と性的関係を持ち、母親がこのことを知ると、父親は家を捨てて出て行った。その後1960年代になってから、赤十字社の活動を通じて父親とダブリンで再会している。

1939年から1945年にわたってオランダのアーネム音楽院に通い、バレエを学んだ。その後、オランダのヘルダーラントのフェルプ近郊へ移ったが、大戦中に栄養失調に苦しみ、重度の貧血と呼吸器障害、浮腫に悩まされ、1948年にバレエを学ぶためロンドンへとわたり、英国で数本の映画に出演した後、1951年のブロードウェイ舞台作品「ジジ」で主役を演じ、1953年に「ローマの休日」でアカデミー主演女優賞を獲得した。

その後も「麗しのサブリナ」(1954年)、「尼僧物語」(1959年)、「ティファニーで朝食を」(1961年)、「シャレード」(1963年)、「マイ・フェア・レディ」(1964年)、「暗くなるまで待って」(1967年)などに出演している。

舞台作品では1954年にブロードウェイ舞台作品「オンディーヌ」でトニー賞を受賞している。しかし、女優業は年齢と共に減り、後半生のほとんどを国際連合児童基金(ユニセフ)での仕事に捧げた。

ユニセフへの貢献を始めたのは1954年からで、1988年から1992年にはアフリカ、南アメリカ、アジアの恵まれない人々への援助活動に献身し、1992年には、ユニセフ親善大使としての活動に対してアメリカにおける文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与された。この大統領自由勲章受勲1カ月後の1993年1月20日にスイスの自宅で虫垂がんのために63歳で死去した。

コバール・コレクションはジョン・コバール(John Kobal)が1969年にロンドンで設立した世界屈指の映画写真のアーカイブで、およそ200万枚のモノクロとカラーの写真を所有している。

オードリー・ヘップバーンが主演したミュージカル「パリの恋人」(1957年)はリチャード・アヴェドン(Richard Avedon、1923-2004)と妻でモデルのドルカス・ノウェル(Dorcas Nowell、通称ドオ・アヴェドン=Doe Avedon、1925-2011)の生活に着想を得て、2人の友人であった脚本家のレナード・ガーシェ(Leonard Gershe、1922-2002)がミュージカルの脚本に仕上げた。この企画は最終的に映画脚本として完成し、オードリー・ヘプバーンとフレッド・アステア(Fred Astaire、1899-1987)の主演で制作された。

開場時間は10時30分から18時30分(最終日は17時)まで。入場料は500円。展示している作品はすべて販売する。