シャネルでメイプルソープ展、P・マリーノ所蔵

【銀座新聞ニュース=2017年3月13日】フランスの総合ファッション企業「シャネル」の日本法人、シャネル株式会社(中央区銀座3-5-3、シャネル銀座ビルディング)は3月14日から4月9日まで4階シャネル・ネクサス・ホールでピーター・マリーノさんによる「『MEMENTO MORI』ロバート メイプルソープ写真展」を開く。

3月14日から4月9日までシャネル・ネクサス・ホールで開かれる「『メメント・モリ(MEMENTO MORI)』ロバート メイプルソープ写真展」に展示される作品(Orchid,1988 Gelatin Silver Print (C) Robert Mapplethorpe Foundation.Used by permission.)。

シャネル銀座ビルディングの設計を手がけたアメリカの建築家、ピーター・マリーノ(Peter Marino)さんが所蔵するアメリカの写真家、ロバート・メイプルソープ(Robert Mapplethorpe、1946-1989)のコレクションの中から、静物や花、ヌード、肖像などを写した作品約90点を展示する。

今回、企画、構成にあたったピーター・マリーノさんはネクサス・ホールの空間を3つの小展示室に分割し、メイプルソープの作品群の二元性を探求する内容にし、ギャラリーを進むにつれ、主題の強烈さが増していくようにグループ分けされている。

白いフロアと白い壁に覆われた最初の2つの展示室には、古典的な彫刻、静物、体の部位のクローズアップ、布をまとった人物の写真が、黒い木枠に額装されて展示される。第3の展示室が黒一色の空間によって締めくくられており、より挑発的な作品が、メイプルソープならではの花の写真とともに、黒革のような壁に並列して展示される。

シャネルによると、構造物としての肉体、静物や彫像の形式的な古典主義から、より挑発的で時として物議をかもす、被写体をあからさまに写しとった表現へと展示されており、それらは自然美と肉体美、束縛と破壊といったテーマに迫るものとしている。

タイトルの「メメント・モリ(memento mori)」はラテン語で、「死を思え」、あるいは「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」といった意味の警句で、シャネルでは「メイプルソープによる作品群が審美的、社会的、政治的に大きな影響力を持ち、一時代の定義づけにまで寄与したことで、不朽の名作となり、受け継がれていく遺産となったこととはあまりに対照的」という意味合いで使用している。

また、2016年にアメリカのテレビネットワークHBOが制作したドキュメンタリー映画「メイプルソープ、ルック・アト・ザ・ピクチャー(その作品を見よ、Mapplethorpe:Look at the Pictures)」では、世界の主要なメイプルソープ作品のコレクターの1人としてピーター・マリーノさんが紹介されている。

ウイキペディアによると、ピーター・マリーノさんは1949年生まれ、コーネル大学建築・アート・都市計画科を卒業、複数の建築事務所を経て、1978年にアンディ・ウォーホール(Andy Warhol、1928?1987)のタウンハウスなどの再建計画などに携わり、1985年からバーニーズの店舗設計を担当し、1993年までにアメリカと日本の店舗17店のデザインを手がけた。その後、カルバン・クラインをはじめ、フェンディ、シャネル、ディオール、ルイ・ヴィトンなどの店舗設計も担当した。

2004年には銀座のシャネルビルディングの設計で注目され、2007年にはニューヨークの高級コンドミニアムの設計でも話題となり、2014年には韓国ソウルで韓国の高級ブランドの旗艦店の設計を担当、2015年にロサンゼルスのルイ・ヴィトンの旗艦店を設計し、現在、ピーター マリーノ設計事務所(ニューヨーク、従業員数160人)の代表を務めている。ファッションデザイナーのジェイン・トラプネル(Jane Trapnel)さんと結婚し、娘が1人。2012年にはフランス文化勲章を受賞している。

「アーロ・ポートフォリオ・サイト」によると、ロバート・メイプルソープは1946年アメリカ・ニューヨーク州ロングアイランド・フローラルパークで、カトリッ ク系中流家庭の6人兄弟の3番目として生まれた。10代の頃はサックスを演奏し、音楽家を志向した。プラット・インスティチュートで絵画、彫刻を学び、1967年から1972年まで詩人で歌手のパティ・スミス(Patricia Lee “Patti” Smith、1946年生まれ)さんと共同生活し、この頃からポルノ雑誌を切り取ってコラージュの制作をはじめ、コラージュ、立体、インスタレーションなどに取り組み、ポラロイドで写真撮影も始めている。

1970年にアーティストのサンディー・デイリー(Sandi Daily)からポラロイドカメラを入手し、1971年にメトロポリタン美術館のジョン・マッケンディー(John Mackendie) から新しいポラロイドカメラをもらい、セルフポートレート中心に実験的な作品に取り組み、1973年から大型ポラロイドカメラを使いはじめ、その後、パティ・スミスさんらの仲間をモデルにしたり、身の回りの静物を使い、構成、色彩、照明、サイズ、フォーマットなどの試行錯誤を行う。19世紀から20世紀全般のヴィンテージプリントの収集を友人のサム・ワグスタフ(Sam Wagstaff、1921-1987)とともに始めている。

1973年にニューヨーク・ガーデンブック・マートで開かれたグループ展にポラロイド作品を出品、ライト・ギャラリーでポラロイドによる初個展も開く。1976年にハッセルブラッドカメラを入手し、ネガフィルムによる作品を制作、1978年にミッドタウンの画廊、ロバートミラーでパティ・スミスさんのポートレートを展示し、同画廊の専属となった。

1970年代の重要な社会問題は性の解放とゲイの権利獲得で、その流れを支持し、1977年から1979年にかけて制作された「Xポートフォリオ」はSM、や性行為、性器が表現されており、論議の嵐を巻き起こした。1980年に女性ボディービルダーのリサ・ライオン(Lisa Lion)さんと知り合い、ポートレ ート・シリーズの制作をはじめ、商業雑誌やイブ・サンローランなどの広告も手がけた。

CMがきっかけでカラー写真にも取り組み、1985年以降、多種多様な手法の表現方法を模索し、麻にプラチナプリント、絹にグラビアプリントなどをはじめ、作品を展示するフレームにもこだわりをみせた。1986年にエイズと診断され、病状の悪化に伴い遺産管理目的で「メイプルソープ財団」を設立、1988年にニューヨークのホイットニー美術館で写真家としては初めて大規模な回顧展が開かれた。1989年3月9日にマサチューセッツ州ボストンでエイズにより亡くなり、3月18日にホイットニー美術館で追悼式が行われた。享年42歳。

開場時間は12時から20時、入場は無料。期間中、無休。