稲田屋が日本橋、大手町店等で岡山パクチー料理

【銀座新聞ニュース=2017年3月14日】アンテナショップ「とっとり・おかやま新橋館」などを運営する「株式会社稲田屋本店」(中央区日本橋2-2-3、リッシュビル、03-3517-1900)は3月15日から25日まで和食居酒屋「稲田屋日本橋店」(中央区日本橋2-3-4、日本橋プラザビル、03-3510-1718)、「稲田屋大手町店」(千代田区大手町1-3-2、大手町カンファレンスセンター、経団連会館、03-3282-1708)などで「岡山県×稲田屋 岡山パクチー祭」を開く。

3月15日から25日まで和食居酒屋「稲田屋日本橋店」と「稲田屋大手町店」などで開催される「岡山県×稲田屋 岡山パクチー祭」。4種類のメニューが提供される。

酒元の株式会社稲田本店(鳥取県米子市夜見町325-16、0859-29-1108)の子会社「株式会社稲田屋本店」が「新宿西口店」(新宿区西新宿1-1-1、新宿パレット、03-3349-1708)、「品川店」(港区港南1-9-36、アレア品川)を含めた主要4店舗で、岡山産パクチー(OKAPAKU)を使ったメニューを提供する。

岡山産パクチーは2000年ころから生産され、「優しくマイルドな味わい」が特徴とされ、パクチーが苦手な人も食べやすいとしている。

メニューは軽く湯がいたもやしとパクチーに、あっさりのナムル風味付け「パクチーともやしのナムル風」(580円)、パクチーにナチュラルチーズとパルミジャーノチーズ、生レモンをかけて食べるサラダ「パクチーズ(サラダ)」(980円)。

ソテーした鶏のもも肉に、ピリ辛オリジナルサルサソースを合わせた「鶏のサルサソース焼き パクチーのせ」(880円)、鳥取県の鹿肉を使ったキーマカレーと岡山パクチーを合わせた、カレーのコクがパクチーの味と香りを引き立てる「パクチーと鹿のミニキーマカレー」(600円)の4種類。

ウイキペディアによると、「パクチー(別名コリアンダー=coriander)」はセリ科の1年草で、一般には果実や葉を乾燥したものを香辛料とする「コリアンダー」と呼ばれ、1990年代頃からいわゆるエスニック料理の店が増え、生食する葉を指して「パクチー」と呼ばれている。また、中華料理に使う中国語由来で生菜を「シャンツァイ(香菜)」と呼ぶこともある。中華料理にも使われることから、俗に「中国パセリ(Chinese parsley)」とも呼ばれるが、パセリとは別の植物である。

中国へは張騫(ちょうけん、?-BC114)が西域から持ち帰ったとされ、李時珍(り・じちん、1518-1593)の「本草綱目」に掲載されている。地中海東部原産で、各地で古くから食用とされてきた。高さ25センチ程度で、葉や茎に独特の芳香があり、熟した果実にはレモンにも似た香りがある。中華料理、タイ料理、インド料理、ベトナム料理、メキシコ料理、ポルトガル料理などに用いられている。葉をハーブあるいは葉菜として、果実をスパイスとして用いる。また、煮込み料理などでは茎や根も使用されることがある。

葉は主に薬味として利用され、栄養価の点では、生の葉は「L-アスコルビン酸(ビタミンC)」を比較的豊富に含み、βカロテンやビタミンB1、B2、C、Eといった栄養素が豊富な上、体内に蓄積された毒素を排出するデトックス効果があるとされている。

中国ではスープ、麺類、粥、鍋料理などの風味付けに利用される。タイではトムヤムクンなどのスープやタイスキをはじめとした料理の薬味に用いられる。ベトナムでは生春巻きやフォーには欠かせない食材となっている。中南米ではスープやサルサなどに用いられる。

ポルトガルでは魚介類と野菜を主な材料とする鍋料理である「カタプラーナ」などの郷土料理に用いられ、料理の味を特徴づける重要な食材となっている。インドではカレーにもよく使われるスパイスのひとつである。食用以外では、カニやエビを食べた後に手を洗うフィンガーボウルに入れて臭い消しにすることもある。

親会社の稲田本店は1673(延宝元)年に初代当主の因幡屋半兵衛(いなばや・はんべえ、生年不詳-1746)が「因幡屋」の屋号で岸本町大岸で、酒、しょう油製造業として創業し、元禄年間 (1688年から1704年)中期に当主の稲田(因幡屋)半兵衛が米子市紺屋町に転居し、屋号を「稲田屋」に変更し、酒造業をはじめた。1892(明治25)年に7代目稲田藤治郎(いなだ・とうじろう、1869-1942)が久米町にてビール工場を建設し、ドイツで学んだ技師を雇い入れ、瓶は手拭(てぬぐい)で手造りし、長いコルク栓でガス漏れを防ぐなどの工夫を凝らした「イナタビール」を販売する。

後年に隣家より出火し、類焼(ビール工場は全焼)にあい、ビール製造を中止した。1915(大正4)年に紺屋町31にて「合名会社稲田本店」を設立し、代表社員に稲田秀太郎(いなだ・ひでたろう、1854-没年不詳)が就任し、1918(大正7)年に醸造場を紺屋町より久米町へ移転し、1931(昭和6)年に稲田元長(いなだ・げんちょう、1883-没年不詳)時代に全国に先駆け冷用酒を開発し、「トップ水雷」という名称で販売した。

1953(昭和28)年に全酒類の販売免許を取得し、1967年に他社に先駆けて精米歩合50%の純米酒の醸造をはじめ、1987年に稲田重美(いなだ・しげみ、?-1995)時代に久米町の醸造場を、社屋が隣接していた鳥取大学医学部付属病院の拡張工事の用に供するため、酒類製造場を米子市夜見町へ移転した。

1995年11月に代表社員の稲田重美の死去に伴い、代表社員に梅原商事の梅原正顕(うめはら・まさあき)さんが就任し、1996年10月に「合名会社稲田本店」と「株式会社梅原商事」が合併し、新商号を「株式会社稲田本店」(代表取締役は梅原正顕さん)とし、従来の酒類製造販売業に、旧梅原商事の事業の不動産賃貸業と保育園業(太陽園)を加えた。

1998年12月に稲田本店の清酒が飲める居酒屋として「株式会社稲田屋本店」を設立し、日本橋に1号店「稲田屋日本橋店」(中央区日本橋2-3-4、日本橋プラザビル、03-3510-1718)を開業した。2001年11月に米子での居酒屋展開にあたり「有限会社稲田屋」を設立し、米子市朝日町に「稲田屋米子店」(鳥取県米子市朝日町58-11、0859-22-0070)を開業した。2002年2月に鳥取県原産を約40年ぶりに復活させた酒米「強力」による純米吟醸「稲田姫 強力」を発売した。2009年10月に代表取締役の梅原正顕さんが退任し、代表取締役に成瀬以久(なるせ・いく)さんが就任した。

子会社の株式会社稲田屋本店は1997年12月に稲田本店の飲食部門として設立され、1998年12月に中央区日本橋に「稲田屋日本橋店」を開業し、以降、2000年12月に新宿区に「稲田屋新宿西口店」、2001年11月に米子での居酒屋展開にあたり「有限会社稲田屋」を設立し、鳥取県米子市朝日町に「稲田屋米子店」を開業した。

以降、2002年2月に「稲田屋石神井公園店」、2003年7月に「稲田屋品川店」、2005年3月に「稲田屋秋葉原店」、2009年5月に「稲田屋大手町店」、2011年11月に「稲田屋はなれ 八重洲店」、2012年5月に「いなたやパレスビル店」、2014年9月にアンテナショップ「とっとり・おかやま新橋館」、2014年9月に「ビストロカフェももてなし家」、11月に「稲田屋はなれ 霞が関店」などを開業、現在、東京都内に8店、米子に1店を展開している。

営業時間は日本橋店が11時から14時30分(土曜日15時)、17時から23時(土曜日21時)。大手町店が11時30分から14時30分、17時から23時(土曜日21時)。いずれも日曜日、祝日は休み。