3月場所の稀勢の里優勝すごいね、来場所もがんばって(229)

【tamaoのOL独り言=2017年3月30日】寒いなー。先週は雨に、そして風で辛かった。普段は温室のような室内で仕事しているのだけれど、先週は外で仕事していたから寒さを実感した。3月だというのにね。でもでも、桜が咲いてからでも雪が降ることはある。少しずつ暖かくなるのが春なんだね。

おそば屋さんの庭の桜。まだまだ開花したばかりです。

そして、週末の大逆転劇、お相撲の稀勢の里関(きせのさとぜき)の優勝、感動しちゃった。逆転劇は土曜日から、いや金曜日から始まっていて、金曜日にケガをしたけど休場せずに無理に続けたんだよね。土曜日に負け、日曜日の千秋楽もたぶん無理だろうと皆さん思っていたと思う。私も無理だろうとテレビを流して見ていた。いや見ていなくてつけていた。

でも、稀勢の里関はがんばって本割に勝ち、優勝決定戦を制した。日本人横綱だからということももちろんあるだろうけれども、あのテレビを通じての名古屋場所の会場の熱狂はすごかった。皆さん信じられないということなんじゃないかな?

あまりお相撲に詳しくないのだけれど、稀勢の里関は過去に優勝したのが今年の1月場所が初めてなんだよね。優勝が1回で横綱になれるはずがないと知っていたけど、実は昨年は最多勝力士だったんだって。だから横綱に推薦してもらえたと聞いた。

横綱になってからはインタビューも増えてきて、笑顔も見せるようになったけど、昨年までの印象としてはむすっとしていて話しかけづらいタイプ。でも力士ってみんなそうだと思うけど。琴奨菊関(ことしょうぎくぜき)が愛嬌があるから余計に稀勢の里関が話しかけづらく見えてしまったのかも。

話はそれましたが、ともかく最多勝力士で推薦を受けたというのも、粘り強いところが評価され、それは今回の名古屋場所でも発揮したんじゃないかな。相撲ファンは稀勢の里関の粘りを知っているだろうからこそ熱狂したんだろうね。

稀勢の里関、優勝おめでとうございます。ゆっくり休養して下さいね。横綱が忙しいのもわかるけど、休んでもらえればいいなぁ。そして来場所もがんばって出場して欲しいなあ。春らしい話題ですね?(敬称略、中堅企業に勤めるOLのタマオさんが日常の生活について思っていることを不定期に書きます。注書きは著者と関係ありません)

編集注:稀勢の里寛(きせのさと・ゆたか)関は1986年茨城県牛久市生まれ((実際の出生地は兵庫県芦屋市)で、田子ノ浦部屋(入門時は旧鳴戸部屋で、親方の鳴戸=元横綱の隆の里俊英=たかのさと・としひで、1952-2011=)に所属する大相撲力士で、2017年1月場所で14勝1敗の成績により、第72代横綱に昇進した。

入門時は旧鳴戸部屋に入部したが、1989年2月に創設した鳴戸部屋の親方・13代鳴戸(元横綱の隆の里俊英=たかのさと・としひで=1952-2011)が2011年11月7日に急逝したため、鳴戸部屋の部屋付き親方である9代西岩(にしいわ、元幕内・隆の鶴=たかのつる)が14代鳴戸を襲名し、部屋を継承した。

しかし、2013年に年寄・鳴戸の名跡証書の所有者である13代鳴戸夫人との話し合いが付かず、日本相撲協会が定めた期限までに年寄・鳴戸の名跡証書を提出できないため、14代鳴戸は2012年2月に急逝した14代田子ノ浦(元幕内・久島海=くしまうみ、1965-2012)夫人が所有する年寄・田子ノ浦の名跡を取得し、同年12月25日に日本相撲協会へ年寄・田子ノ浦の名跡証書を提出し、正式に16代田子ノ浦を襲名した。

これにより、同日付で部屋名が鳴戸部屋から田子ノ浦部屋へと変更され、所属力士12人、行司2人、呼出1人、床山1人がそのまま田子ノ浦部屋の所属となり、2013年10月に閉鎖された三保ヶ関部屋の施設を借り受け、東京都墨田区へ急遽移転し、その後、2014年12月14日に新築した施設(江戸川区東小岩4-9-20)に部屋を開いた。

稀勢の里関は龍ケ崎市立松葉小学校、同市立長山中学校を卒業し、旧鳴戸部屋に入門した。2002年3月場所が初土俵で、2004年1月場所で幕下優勝、5月場所で新十両、2004年11月場所で新入幕、2006年7月場所で新小結、2009年3月場所で新関脇、2012年1月場所で新大関、2016年に年間最多勝(69勝21敗)を獲得、2017年1月場所で幕内優勝(1回目)、3月場所で新横綱として幕内優勝(2回目)した。通算成績は生涯が90場所で777勝462敗、幕内が691勝419敗。