有楽町無印でインドの布、色展、森田明奈のトーク、実技も

【銀座新聞ニュース=2017年4月25日】「無印良品」を展開する株式会社良品計画(豊島区東池袋4-26-3、03?3989?4403)は4月28日から6月25日まで「無印良品有楽町店」(千代田区丸の内3-8-3、インフォス有楽町、03-5208-8241)2階の「ATELIER MUJI」で「布、色、インド」展を開く。

4月28日から6月25日まで「無印良品有楽町店」2階の「アトリエ・ムジ(ATELIER MUJI)」で開かれる「布、色、インド」展のフライヤー。

良品計画によると、インドにとって布は、永きに渡り特別な存在でありつづけ、国旗の中央に大きく糸車が描かれていた時代があったことからも(1931年時の国旗に糸車が使われ、1947年の独立以降、現在は、糸車のかわりに仏教のダルマ)、この地の暮らしに手工業としての布は深く根ざしていることが読み取れるとしている。

今回は、インドの街を旅して見つけたいろいろな布や色から、やさしいインドを感じることができる庭を作り、「色は人をつなぎ、文化をつなぐもので、色と布とインドのささやかな景色を愉しめる」イベントを開く。

インドでは街を歩けば、建築物、車や自転車、日用品、衣服、食品、動物にまで、色がエネルギーとともにひしめいており、そんな混沌として圧倒的な色の洪水の中に、ほっとする色、心安らぐ色も存在するという。潤いや安らぎを感じる気持ちはひとそれぞれだが、文化や歴史や物理的な距離をこえた親しみが、色を通してわいてくるとしている。

トークイベントとワークショップを開く森田明奈さん。

ウイキペディアによると、インドは木綿の原産地といわれ、綿布は古くからインドの主要輸出品だった。インド綿布はルネサンス時代にヨーロッパにもたらされたが、その軽さ、手触りの柔らかさ、あたたかさ、染めやすさなどによって爆発的な人気をよび、17世紀以後インドに進出したイギリス東インド会社はこの貿易によって莫大な利潤を得た。カリカット港(現コーリコード)から輸出された綿布は特に良質で、この積出港の名がなまって「キャラコ(平織りの綿布)」とよばれた。

この綿織物を国内で安く大量に作りたいという動機が、英国ではさまざまな技術革新を促し、産業革命の興起を招くこととなる。しかし、このことはインドの手工業者の職を奪い、腕利きの職人が大量に失業した。

インドの染織は2000年以上の歴史があるが、現代に伝わるインド更紗はおおむね16世紀以降の品で、製品は壁掛け、敷物などが主で、赤、白、藍、緑などの地に濃厚な色彩で唐草文、樹木文、ペイズリー文、人物文、動物文などを表した。

インド更紗はインド国内向けのほか、インドネシア、シャム(タイ)など各地に輸出されており、これらの製品はインド国内向け製品とは異なり、輸出先の地元で好まれるデザインが採用された。

同じくワークショップを開く渡辺宇顕さん。

染料としてはアカネ(茜)の赤、コチニールのえんじ色、藍などが用いられる。コチニールはサボテンに寄生するカイガラムシから得られる動物性染料である。インド更紗の作風は多岐にわたるが、大別して、目のつんだ木綿地にカラムという鉄製または竹製のペンのような道具を用いて、手描きで繊細な文様を表したものと、やや目の荒い木綿地に主に木版またはテラコッタ版を押捺して文様を表した、日本で「鬼更紗」と呼ぶものとがある。

木綿は耐久性や保温性には優れているが、染料の色が定着しにくい素材である。また、アカネなどの植物性染料は、明礬(みょうばん)、鉄、灰汁(あく)など、他の物質と化学反応を起こさせないと、染料単独では発色・定着しないことが多い。

この、化学反応を起こさせる物質を媒染剤(ばいせんざい)といい、アカネの場合は明ばんが媒染剤として用いられる。インド更紗の制作にあたっては、ミロバランという植物の実を煮沸して作った染汁で下染めした後、カラムを用いて媒染剤で図案を描く。これをアカネの染汁に浸すと、媒染剤を塗布した部分のみが赤く染まる。

次に、これに青系統の色を加えるには、藍で染めたい部分だけを残して、布面に蝋を置く(蝋防染)。こうして藍染めを行うと、蝋を置いた部分は染まらず、蝋を置いていない部分のみが藍色になる。鬼更紗は、アカネ染めのみで蝋防染の工程を省いたものが多く、文様も手描きでなく木版プリントによるものが多い。

マナペディアによると、インドの綿織物は16世紀以降、交易を通じて主に英国にもたらされ、18世紀ごろにはイギリスの主要産業だった羊毛業をおびやかすまでになった。1780年代になり、自動紡績機や蒸気機関などが相次いで実用化されると、英国は綿の輸入国から世界最大の綿織物の輸出国に転換した。この綿産業の発展を主軸にした産業構造の変革を、英国の歴史家、アーノルド・トインビー(Arnold Joseph Toynbee、1889-1975)は「産業革命」と呼んだ。

「世界史の窓」によると、18世紀になると英国内で都市住民を中心に綿織物の需要が急増し、英国は綿織物の国内生産に乗り出し、原料の綿花を最初は西インドに、次いでインドに求めた。産業革命期になって英国の木綿工業生産は爆発的に増加し、英国製綿布(ランカシャー綿布)はインドにも輸出され、安価な工場制綿布はインド産綿布を圧倒し、インドは原料の綿花の供給地となって関係は逆転した。

そのためインドでは農村の綿織物家内工業は破壊され、デカン高原は綿花の生産地帯に転落し、貧困化が進んだ。英国からインドへの綿織物の輸出は、1814年にインドの輸入超過となり、その圧倒的な競争力をもって、手工業的な綿布生産を破滅させた。インド総督は「この窮乏たるや商業史上にほとんど類例をみない。木綿織布工たちの骨はインドの平原を白くしている」と述べた。

1840年代になると、インドの木綿繊維の供給量だけでは追いつかなくなり、同時にインドから英国までの運搬に時間とコストがかかることも問題となってきた。そのころアメリカでワタ属の種が生まれたこともあり、英国はアメリカと西インド諸島のプランテーションから木綿を買い付けるようになり、19世紀中ごろまでに綿花生産はアメリカ南部の経済基盤となり、綿花栽培作業は奴隷の主要な仕事とされた。

5月18日18時30分から19時30分まで2階アトリエムジで良品計画生活雑貨部企画デザイン室ディレクターでデザイナーの森田明奈(もりた・あきな)さんによるトークイベント「ものづくりの通して見たインド」を開く。定員は30人で、事前の予約が必要。参加費は無料。

森田明奈さんは多摩美術大学テキスタイルデザインを卒業後、商社を経て、良品計画に入社、インテリアファブリックやイデー(IDEE)の商品開発を手がけている。フリーとしても活動している。

6月3日11時、14時15分、16時30分の3回、森田明奈さんと良品計画生活雑貨部企画デザイン室デザイナーの渡辺宇顕(わたなべ・うけん)さんによるワークショップ「インドから来た本物の木版をおしてみよう」を開く。

木版プリントの生地ができる過程を知り、実際に大きな木版に触れて自分でプリントをするワークショップで、好きな柄の木版プリントを選び、手作業でプリントのハンカチを作る。定員は各回とも8人で、参加費は無料。

渡辺宇顕さんは多摩美術大学テキスタイルデザインを卒業、インテリアやアパレルの生地開発を担当し、その後、良品計画に入社し、インテリアファブリックの商品開発を担当している。

開場時間は10時から21時。6月7日は休み。イベントの申し込みはHP(http://www.muji.com/jp/events/ateliermuji/)から予約する。

注:「渡辺宇顕」の「辺」は正しくは旧漢字です。