サンモトヤマでイランと日本の融合展、深見陶治、長江重和ら

【銀座新聞ニュース=2017年5月11日】セレクトショップのサンモトヤマ銀座本店(中央区銀座6-6-1、銀座風月堂ビル、03-3573-0003)は5月12日から29日まで4階アート・ライブラリーで「EAST meets WEST 形象の未来-日本現代アート」を開く。

サンモトヤマ銀座本店で5月12日から29日まで開かれる「イースト・ミーツ・ウエスト(EAST meets WEST)形象の未来-日本現代アート」に出品される家出隆浩さんの「景」。

今回、「酉福(ゆうふく)ギャラリー」(港区南青山2-6-12、アヌシー青山、03-5411-2900)の協力により、イスラム芸術の粋、ペルシャじゅうたんの中でも、イラン最後の王朝「パーレビ朝」時代(1925年から1979年)に織り上げられたビンテージの作品を、日本の現代アートと融合させた、古今東西の美を紹介する。日本の作家11人の独創的な作品を集め、金属、ガラス、陶器、磁器、漆器、墨などの数々を展示販売する。

今回、出品するのは1947年京都府京都市生まれ、1965年に京都市工芸指導所専科を修了し、1978年に京都工芸美術展大賞、1984年に日展特選、1985年にイタリア・ファエンツァ国際陶芸展グランプリの陶芸家、深見陶治(ふかみ・すえはる)さん、1953年愛知県瀬戸市生まれ、1972年に愛知県立瀬戸窯業高校を卒業、1974年に同校窯業専攻科を修了、1979年に中日国際陶芸展で大賞(1986年も)、1992年に朝日陶芸展でグランプリ、1998年に国際陶磁器展美濃陶芸部門でグランプリ、同年に第5回スイス・ニヨン国際磁器トリアンナーレでグランプリ(ポワゾン・ドール賞)などを受賞した陶芸家の長江重和(ながえ・しげかず)さん。

同じく朝倉隆文さんの「不定詞ノ記憶」。

1958年島根県生まれ、2001年に田部美術館茶の湯造形展で大賞、2002年にエネルギア美術で大賞、2006年にパラミタ陶芸大賞展で準大賞などを受賞した陶芸家の三原研(みはら・けん)さん、1962年生まれ、東京デザイナー学院を卒業、1993年に日本金工展で文化庁長官賞、1995年に日本伝統工芸展で日本工芸会総裁賞、2014年に日本伝統工芸展で文部科学大臣賞、2016年に紫綬褒章などを受章した、鍛金作家の家出隆浩(いえで・たかひろ)さん。

陶で彫刻する杉谷恵造(すぎたに・けいぞう)さん、1959年東京都生まれ、1983年に東京芸術大学美術学部工芸科を卒業、1985年に同大学大学院美術研究科漆芸専攻を修了、2003年に第14回タカシマヤ文化基金タカシマヤ美術賞、2012年に第18回MOA岡田茂吉賞で大賞などを受賞した漆を現代アートの素材として用いる田中信行(たなか・のぶゆき)さん、1974年生まれ、東京芸術大学を卒業、七宝(しっぽう)という技法で、一枚の銅板を正確に折って作品を制作する彫刻家の武山直樹(たけやま・なおき)さん。

1978年神奈川県横浜市生まれ、2000年に多摩美術大学美術学部絵画日本画科を卒業、2002年に同大学大学院修士課程を修了、2012年、2014年に日展の特選を受賞、日展の正会員の日本画家、朝倉隆文(あさくら・たかふみ)さん、1986年東京都生まれ、2012年に多摩美術大学美術学部工芸学科ガラスプログラムを卒業、2014年に富山ガラス造形研究所造形科を卒業、金沢卯辰山工芸工房に入所、ガラスと陶土を組み合わせた素材を用いて制作するガラス作家の津守秀憲(つもり・ひでのり)さん。

1988年神奈川県生まれ、2010年に玉川大学芸術学部ビジュタルアーツ学科を卒業、卒業時に学部長賞、2013年に広島市立大学大学院を修了、在学時の2012年に広島カザル(KAZARU)展で広島市長賞、2013年に第21回三菱商事アート・ゲート・プログラムで入選、2種類以上の鉄系金属を1000度で熱してつくる「ダマスカス鋼」を使って、金属を折り重ね、地層や木目のように積層させてつくる造形作家の加藤貢介(かとう・こうすけ)さん、1987年山口県生まれ、倉敷芸術科学大学芸術学部工芸・デザイン学科ガラス造形コースを卒業、富山ガラス造形研究所を卒業、現代ガラス大賞展で特別賞などを受賞、板ガラスを気泡や不純物が入らないよう1枚ずつ貼り合わせ、その後1ミリずつ研磨し彫刻していくガラス造形作家の米元優曜(よねもと・まさあき)さん。

ウイキペディアによると、パーレビ朝はカージャール朝ペルシア帝国が英国とソビエト・ロシアによる干渉に苦しむ中、ペルシア・コサック旅団の軍人レザー・ハーン(Reza Shah Pahlavi、1878-1944)が1921年にクーデターを起こし、1925年に「レザー・シャー」として皇帝(1925年12月15日から1941年9月16日)に即位し、カージャール朝に代わって成立したのがパーレビ朝だ。

1935年に国号を「ペルシア」から「イラン」に改称し、第2次世界大戦(1939年から1945年)で、レザー・シャーは英ソによる支配からの脱却をめざして、親ナチス・ドイツ政策に転換したが、逆にイラン進駐を招いて失脚し、1941年9月16日に息子の第2代皇帝モハンマド・レザー・シャー(Mohammad Reza Shah Pahlavi、1919-1980)が即位した。

1951年にモハンマド・モサッデク(1882-1967)が首相に就任し、1951年から1954年のアーバーダーン危機で英国との関係が悪化し、アングロ・イラニアン石油会社(AIOC)を国有化し、1953年にはソ連・イラン合同委員会をつくり、親ソ政策を推進した。

このことはアメリカからの反感を買い、1953年に英国のMI6とアメリカのジョン・フォスター・ダレス国務長官(John Foster Dulles、1888-1959)と弟のアレン・ウェルシュ・ダレスCIA長官(Allen Welsh Dulles、1893-1969)の協力のもと、アジャックス作戦(TPAJAX Project)でモサッデク首相を失脚させ、親米英的なモハンマド・レザー・シャーが権力を回復し、1955年には反共軍事同盟「中央条約機構(CENTO)」に加盟し、西側陣営に加わった。

モハンマド・レザー・シャーは、「白色革命」と呼ばれる石油利潤を元にした工業化と近代化を進めたが、原油価格の下落と急速な近代化の失敗から経済危機を招いた。ルーホッラー・ホメイニー(Ayatollāh Ruhollah Khomeinī、1902-1989)は、白色革命を批判しなかったが、皇帝の独裁的な性格を非難して抵抗運動を呼びかけ、反皇帝運動が激化し、1964年にホメイニーは国外追放を受け、亡命した。1979年にホメイニーを指導者としてイラン革命が勃発すると、モハンマド・レザー・シャーはエジプトに亡命してパーレビ朝は崩壊し、「イラン・イスラム共和国」が成立した。

サンモトヤマは1955年に茂登山長市郎(もとやま・ちょういちろう、1921年生まれ)さんが有楽町で創業、1964年に銀座に移転し、グッチ、エルメス、ロエベなどのヨーロッパのブランドに加え、アジアにも目を向け、現在は「古今東西の美の融合」をテーマに、ファッションからインテリアまで紹介しているセレクトショップという。

1983年にインドのカシミールショールの文様に出会い、ペルシャじゅうたんの取り扱いをはじめている。1991年に茂登山長市郎さんが会長に、茂登山貴一郎(もとやま・きいちろう)さんが社長に就任した。

2014年に「個人の生活を楽しみながら時間を謳歌する」をコンセプトに、アートを紹介するサロン「アート・ライブラリー」をオープンし、北欧家具、ペルシャじゅうたん、骨董品、インテリアなどのほか、卓越した職人技と新しいデザイン感覚を併せもったアートな作品も紹介している。

開場時間は11時から19時(日曜日は18時)まで。