一風堂銀座等で夏季限定の博多細つけ麺

【銀座新聞ニュース=2017年6月2日】「博多一風堂」などを運営する「株式会社力の源ホールディングス」(福岡県福岡市中央区薬院1-10-1、092-762-4445)は6月1日から7月17日まで「一風堂銀座店」(中央区銀座4-10-3 、セントラルビル、03-3547-1010)などで「博多細つけ麺」を販売している。

7月17日まで「一風堂銀座店」など国内46店で販売中の「博多細つけ麺」のフライヤー。

「博多細つけ麺」は、冷水で締めることで、「ザクザクとした食感」が楽しめる博多の細麺と、「博多絹ごしとんこつスープ」にオリーブの実とオリーブオイルを加えたつけダレを合わせたメニューで、好みによって辛みそと数種の辛味スパイスを混ぜ合わせた特製辛みそを付けることができる。国内46店舗で販売している。

ウイキペディアによると、つけ麺の発祥には諸説あるが、1955年に東京・中野の大勝軒の山岸一雄(やまぎし・かずお、1934-2015)が開発・商品化したという説が定説になっている。山岸一雄が17歳の時に務めた店で、残ってしまった麺を、スープとしょう油を湯のみ茶碗に入れ浸して食していた賄食がベースとされている。

山岸一雄は、親の従兄弟であり、「兄貴」と慕っていた坂口政安(さかぐち・まさやす)さんと一緒に修業し、1年後に坂口政安さんが独立し、「大勝軒」(中野店)を立ち上げた際、山岸一雄も行動を共にした。後に、坂口政安さんが別の場所に本店(代々木上原店)を構えたため、山岸一雄が中野店の店長を任され、この賄食を食していた。

それを見ていた客の関心を惹きつけ、試食してもらうと好評価を得たことからさまざまな試行錯誤の末、冷やし中華の甘酸っぱさを参考に酢と砂糖で調味し、麺の量は見栄えよくするためラーメンの3割増にして、「もりそば」として完成させた。

こうして1955年に生まれた「特製もりそば」が最初のつけ麺とされる。3年後には坂口政安さんの本店からもつけ麺と同様の「つけそば」が独自開発されて商品化された。ただし、「つけ麺」という名称については、1973年頃に「元祖つけ麺大王」が最初に使用されたとされる。1970年代後半につけ麺ブームが発生し、呼称として「つけめん」や「もりそば」あるいは「つけそば」、さらに「中華盛り」などの呼称も存在した。

1970年代から1980年代初頭にかけて、ハウス食品が「つけ麺」を発売し、これは冷たい「タレ」につけて食べるもので、大勝軒の「もりそば」とは異なっている。平成に入り、山岸一雄が弟子を取るようになり、1990年代中盤頃から同店で修業後に、のれん分けで独立したラーメン店主が類似のつけ麺を供したことが影響して、2000年頃から関東圏、特に東京都内にはつけ麺を提供する店が増えた。

同じころに埼玉県川越市の店で、具材に「自家製極太麺」や「魚粉」あるいは「濃厚つけだれ」を使用した個性的なつけ麺が登場し、これが火付け役となり2000年代中頃からつけ麺ブームが始まり、「濃厚魚介豚骨系」、「魚介豚骨系」、「豚骨魚介系」、「極太つけ麺」と呼称された。

2000年代後半から、定番化した大勝軒系や濃厚魚介豚骨系以外にも、店主の創意工夫により他の料理に使う食材を取り入れて新たな味を模索する動きがあり、エスニック風のカレー風味やトマトや乳製品を使ったイタリアン風などのメニューが生み出された。

2010年5月に新横浜ラーメン博物館がつけ麺に関する調査を基にして、つけ麺は「ラーメン」というジャンルとして確立したものと結論付け、ブームではなく「食文化」として定着した、との見解を示した。

営業時間は11時から2時(金・土曜日、祝前日3時、日曜日、祝日が1時)。「博多細つけ麺」は麺200グラムで780円、つけ替玉セット(麺は2個)で980円。