北九州市事務所で移住セミナー、葉月けめこが街を語る

【銀座新聞ニュース=2017年6月19日】福岡県北九州市(福岡県北九州市小倉北区城内1-1、093-582-2525)は6月24日に北九州市東京事務所(千代田区有楽町2-10-1、東京交通会館6階、03-6213-0093)で移住セミナー「第7回北九州ライフセミナーin有楽町」を開く。

北九州市の夜景。

今回は「もっと知ろう!夏の北九州市」をテーマに、2016年に世界文化遺産に登録された「戸畑祇園大山笠(とばた・ぎおん・おおやまがさ)」や日本3大カルスト台地の一つである平尾台など、北九州市の夏の魅力を解説する。「北九州の逆襲」著者で、放送作家、作詞家の葉月(はづき)けめこさんを招いて「北九州市ってどんなまち?」をテーマにトークセッションも行う。

13時から15時がセミナーで、「北九州市ってどんなまち?」で、葉月けめこさんが登壇し、説明する。さらに、「北九州市の今年の夏はここがアツイ!」や「北九州市に行くなら・・・」について解説する。15時から17時まで個別相談会を開く。

北九州市によると、市の人口は2004年が100万136人、2007年が98万7230人、2009年が98万2805人、2011年が97万4287人、2013年が96万8122人、2014年が96万3259人と減少傾向にある。

ウイキペディアによると、北九州市は福岡県の北部にある政令指定都市で、関門海峡に面し、九州島最北端に位置する。4大工業地帯の1つ、北九州工業地帯において、1963年に門司市、小倉市、戸畑市、八幡市、若松市の5市による新設合併により誕生し、3大都市圏以外で初の政令指定都市となった。2017年5月現在、人口は九州地方では福岡市に次ぐ2位である。グローバル創業・雇用創出特区として、福岡市とともに国家戦略特別区域に指定されている。

令制国においては、現在の門司区、小倉北区、小倉南区の全域と、八幡東区の東半分は「豊前国(企救郡)」に属し、八幡東区の西半分と、八幡西区、若松区、戸畑区の全域は「筑前国(遠賀郡、鞍手郡)」に属した。645年には今の和布刈神社付近に「文字ガ関」が置かれたといわれ、門司の地名由来となっている。古代に九州地方を統括していた大宰府への第1の関所の位置付けである。

1871年8月29日の廃藩置県により、豊前国は小倉県に、筑前国は福岡県となった。しかし、1876年8月21日の府県合併により、小倉県は分割されて大半の地域が福岡県と合併し、それ以降、現在の市域全体は福岡県に属するようになる。

この豊前国と筑前国とも、山口市に拠点を置く西日本最大の大名であった大内氏の時代には、この大内氏により守護されており、文化圏の枠組みでは、九州よりも本州や瀬戸内海岸の文化の影響が強い。また、この界隈の基礎となった官営八幡製鉄所の建設には、明治の長州閥が深く関わっており、歴史的にも豊前と長州の2地域は密接である。

1889年の市町村制施行により、それぞれが町制を敷き、大正時代に門司市、小倉市、戸畑市、若松市、八幡市が成立した。当時より5市(場合によっては下関市、中間市を含めた7市)の合併が提起されたが、1963年に5市合併が実現した。

「北九州」という名称は、この地域を運行していた西鉄路面電車(2000年11月全線廃止)の路線の総称として「北九州線」が、西鉄設立の1942年から用いられていた。市内にある北九州市立大学の前身である北九州外語大学(当時、1953年から2000年まで「北九州大学」)が1950年以来「北九州」を冠していたほか、1923年から国定教科書において八幡市、戸畑市の工業地帯が「北九州工業地帯」と表記されていた。

北九州市は昔から交通の要衝であり、重化学工業で栄えた都市で、古くから筑豊地方、京築地域、遠賀地方、福岡市周辺はもとより、山口県の下関市、宇部市、山陽小野田市、美祢市、大分県の中津市、宇佐市などの地域との関係が歴史的・文化的に密接であり、北九州市を中心にこれら3県に跨がる関門都市圏を形成している。

また、響灘に面していることもあり、今の市域全体が古くから軍事の要衝ともなっていた。関門海峡では1185年に壇ノ浦の戦いがあり、明治期には西日本最大の要塞であった「下関要塞」の一部として指定され、主だった山や小倉城址、今の若松区の海岸地帯などは一般人の出入りが禁止・制限された。

さらに小倉には陸軍の造兵廠が置かれ、1945年に長崎に投下されたプルトニウム型原子爆弾の最初の投下目標となった。大東亜戦争後はそれらの施設や民間の建物などがアメリカ軍に接収され、今のNHK北九州放送局も米軍向け放送を一時行っていた。現在でも市内の一部には軍事都市の名残をとどめる史跡が存在する。

戸畑祇園大山笠は、福岡県北九州市戸畑区にて毎年7月第4金曜日から日曜日の3日間で行われる祭りで、博多祇園山笠、小倉祇園太鼓とともに福岡県夏の3大祭りの一つとされ、競演会には毎年10数万人の観衆が訪れる。1980年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。

江戸時代の1802年に戸畑地区に疫病がまん延した際に、神社に祈祷したところ成功を収め、このことを喜んだ村人たちが1803年に須賀大神(すさのおの・みこと)に対し感謝の意を表した祝い山笠を作り、奉納した行事が始まりとされている。大東亜戦争のため、1938年から1946年までの間は中断されたが、1947年に再開された。

戸畑区内の4地区(「東大山笠」が中本町周辺から高峰、浅生地区、「西大山笠」が西戸畑(戸畑駅北側)、東戸畑(幸町、千防)地区、「中原大山笠」が沢見、中原地区、「天籟寺大山笠」が天籟寺、大谷、鞘ヶ谷地区)の氏神さま(飛幡八幡宮、恵美須神社、中原八幡宮、菅原神社)を中心に展開し、高校生以上の大人が担ぐ「大山笠」と中学生が担ぐ「小若山笠」の全8基による山笠行事の総称である。

女人禁制の祭りであり、7月に入ると各地区の神社に設置される拠点「宿」もすべて男性のみで運営され、昼山から夜山へと姿を変える祭りは全国にも例がなく、戸畑祇園大山笠の見どころの一つとなっている。2016年11月30日にユネスコの無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」を構成する行事のひとつとして正式に登録された。

平尾台は福岡県北東部に位置する、北九州市小倉南区、行橋市、田川郡香春町、京都郡苅田町、同みやこ町に跨る標高370メートルから710メートル(貫山)、台上面積約12平方キロメートルの結晶質石灰岩からなるカルスト台地で、東北部の一帯はカルスト地帯ではなく、花崗閃緑岩からなる。小倉南区の地名でもあり、国の天然記念物に指定されている。半自然の草原景観を守るために、毎年3月頃に野焼きが行われる。

葉月けめこさんは福岡県北九州市戸畑区生まれ、結婚後、夫の転勤に伴い、上京し、作詞家として活動し、インディーズのアイドルユニットやロックバンド、ミュージカルなどへの歌詞を提供し、2016年に劇団青春座春公演「若戸大橋物語」の脚本、2017年の秋公演「戸畑祇園ヨイトサ!」の脚本を担当する。

時間は13時から17時で、定員が30人、参加費は無料。事前申し込みを優先する。「北九州市に移住・定住するための北九州市公式情報サイト北九州ライフ」の第7回北九州ライフセミナーin有楽町ページ内の北九州市電子申請フォームから申し込む(http://www.city.kitakyushu.lg.jp/page/kitakyushulife/topics/2017/062401.html)。