不思議な統一感の見せ場で、日本的な緊張感に満ちた「武曲」(215)

【ケイシーの映画冗報=2017年6月15日】本作「武曲 MUKOKU」は邦画でも珍しい“剣道”を主軸とした作品となっています。世界的に知られている剣道ですが、日本の柔道や空手のようにオリンピック競技への採用が取り沙汰されることがありません。

現在、一般公開されている「武曲 MUKOKU」((C)2017「武曲 MUKOKU」製作委員会)。

いくつかの要因があるようですが、その一つに「試合の応援を拍手のみ」としていることがあるとされています。スポーツに観客の応援は欠かせないので、スポーツ性を重視するオリンピックにはふさわしくないということで、ぎゃくに剣道はスポーツ性より、武道の精神性を重視しているといえるのかもしれません。

剣道5段という技量を持つ谷田部研吾(やたべ・けんご、演じるのは綾野剛=あやの・ごう)は、剣を握ることはめったになく、酒びたりの自堕落な生活を送っていました。研吾は剣道の師でもあった父親に、致命的な一撃をあたえたことから、自分を見失っていたのです。

ラップ音楽のボーカルとして活動している高校生の羽田融(はだ・とおる、演じるのは村上虹郎=むらかみ・にじろう)は、あることがきっかけで剣道をはじめることになります。

剣道の達人で研吾の師匠である光邑(みつむら)師範(演じるのは柄本明=えもと・あきら)によって天性の剣の才能を見いだされた融にも、研吾のような暗い過去がありました。台風によって発生した濁流にのまれ、生死をさまよったというもので、平静の生活でも突然その記憶が頭をもたげてくるのでです。

光邑師範によって接点の生まれた研吾と融は、お互いの感情だけでは説明できない衝動によって、その距離を縮めていきます。やがて、それは秋の夜、台風の瀑布(ばくふ)の中で沸点へと達するのでした。

剣道しか知らず、剣道によって人生を狂わされてしまった研吾と、ラップ音楽に夢中になっていても、過去の“死線”の記憶にとりつかれている融というキャラクターには、演技という一面だけではなく、肉体も含めた“説得力”が欠かせなくなってきます。

剣道初段という融役の村上に対して、未経験者だったという研吾役の綾野は、2カ月におよぶ過酷なトレーニングによって、自身の肉体に剣道家の説得力を宿しています。

監督の熊切和嘉(くまきり・かずよし)によれば、綾野は「すごい“筋肉演技”をしているんですよ。(中略)各シーンで活用させてもらいました」(パンフレットより)ということなので、肉体の鍛練による表現力はかなりのものだったようです。

個人的に剣道の達者な方を何人か存じあげていますが、“手首が細く、二の腕がガッシリしている”という共通点があります。研吾役の綾野と融役の村上、いずれもその特徴が出ており、両者の「演技者として基礎のある肉体」には好感を持ちました。

スポーツにかぎらず、記憶や生い立ちなど、ひとりひとりに異なった背景があり、人生があります。そこに付け焼き刃ではない“演技としての表現”を盛り込まなければ、映画にかぎらず、どこかギクシャクした、観客から見て違和感のあるものとなってしまうのです。

そのたしかな映像表現を堪能させてくれるのが、本作のクライマックスとなる研吾と融による10分間にもおよぶという、豪雨の中の“果たし合い”のシーンです。

練成に練成を重ねながら、剣道について気持ちを込められない研吾に対し、経験は浅いながらも良き指導と天性の資質で打ち合っていく融。鍛えていながらすさんだ生活と精神が剣筋に見える研吾と、基本に忠実ではあるもののどこか粗削りな融の剣。

出自も年齢も人生もことなる両者が、“剣道”という1点で交錯することで、不思議な統一感をみせるこのクライマックスは、ハリウッドのアクション大作とはことなった、じつに日本的な緊張感に満ちた、すばらしい映像となっています。

こうした良作は、他の作品へも影響をあたえていきます。原作を手がけた芥川賞作家の藤沢周(ふじさわ・しゅう)は映画の公開と同時期に「武曲」の続編を出版しているのですが、「不思議なもので、書いているうちに谷田部研吾はなんとなく綾野剛さん、羽田融はなんとなく村上虹郎さんになっていったんですよ(笑)」(同上)といったような“化学変化”をコメントしています。

なお、タイトルの「武曲(むこく)」という耳慣れない表現ですが、原作小説には冒頭に「【むこく】北斗七星の中の二連星」という記述があります。“武=剣”の研吾、“曲=音楽”という融。この両者にによる感情と剣の絶妙な応酬を存分に描いた本作のクライマックスは、一見の価値ありです。次回は「ハクソー・リッジ」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。