むごたらしい情景も表現して戦争を描いた「ハクソー・リッジ」(216)

【ケイシーの映画冗報=2017年6月29日】喜劇王チャールズ・チャップリン(Charles Chaplin、1889-1977)の「殺人狂時代」(Monsieur Verdoux、1947年)のセリフ「1人を殺せば犯罪者だが、100万を殺せば英雄となる」は、冷酷ではありますが、人間社会の本質をとらえた警句として知られています。

現在、一般公開されている、武器を持たず衛生兵として多くのアメリカ軍人を助けたアメリカ兵の視点で沖縄戦を描いた「ハクソー・リッジ」((C)Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016)。制作費は4000万ドル(約40億円)。

その一方で、献身的な行為もまた、世の中にはあふれています。まさに自身の「危険を顧みず」という事例もまた、無数に存在します。

そうした事例のなかに「第2次大戦中の激戦地で、たったひとりのアメリカ兵が75人もの将兵を救出した」という実話を映画化したのが本作「ハクソー・リッジ」(Hacksaw Ridge、2016年)です。

主人公のデズモンド・T・ドス(Desmond Thomas Doss、1919-2006) は宗教上の理由から兵士として武器をとることなく戦場を駆けめぐり、その献身的な行動から、戦闘によらず、アメリカ軍で最高の名誉である名誉勲章を受けたという希有な人物です。

ヴァージニア州の片田舎に住む若者ドス(演じるのはアンドリュー・ガーフィルド=Andrew Garfield)は、第2次世界大戦(1939年から1945年)の激化からアメリカ軍に志願することを決意します。

第1次大戦(1914年から1918年)に参加して戦場を知る父親トム(演じるのはヒューゴ・ウィーヴィング=Hugo Weaving)には強く反対され、恋人のドロシー(演じるのはテリーサ・パーマー=Teresa Palmer)と離れてしまうという苦しみを断ち切って陸軍に入り、新兵としての訓練に明け暮れるドスでしたが、大きな問題に直面してしまいます。

「銃を手にしない」ことを固く誓ったドスは、「銃を手に戦う」軍隊の規律を乱す存在として孤立してしまい、軍法会議で軍を追われる寸前まで追い詰められますが、それを覆させたのは、当初は入隊に反対した父のトムであり、恋人ドロシーの協力でした。

銃を持たない衛生兵として、仲間とともに沖縄の激戦地である“ハクソー・リッジ”(のこぎり崖、日本名は前田高地)に向かうドス。「6度攻撃し、6度撃退された」という過酷な戦場は、150メートルもの切り立った崖の上にありました。戦艦の艦砲射撃にも耐え抜いた日本軍が待ち構える最前線に突入していくアメリカ軍。両軍の将兵が入り乱れての凄惨な戦いのなか、ドスはたったひとりで「命を救うこと」に全力で向かっていくのでした。

監督のメル・ギブソン(Mel Gibson)は、カーアクション映画の傑作「マッド・マックス」(MAD MAX、1979年)の主演でスターダムに駆け上がり、映画監督としても「ブレイブハート」(Braveheart、1995年)でアカデミー監督賞(作品賞ほか計5部門受賞)に輝いていますが、この10年ほどは、私生活でのトラブルなどから仕事上では不遇となっていました。本作でアカデミー作品賞ほか6部門にノミネートされ、録音賞と編集賞に輝いています。

「観客を本物の戦闘のさなかにいると思わせ、その地獄と恐怖を感じさせたい」(2017年6月23日付読売新聞夕刊)というギブソン監督は、本作のはげしい戦闘シーンでも極力CGの視覚効果にたよらず、俳優やスタントマンのすぐ近くで爆発させ、炎を燃え上がらせたそうです。

それだけではなく、戦闘が終わった後も重傷者はうめきながら這いずり、戦死体の周辺にはネズミが姿を見せるといったむごたらしい情景も隠さずに表現されています。

「戦闘シーンをできるだけリアルにしたのは、すべての観客に“こんなところは絶対イヤだ!”と思ってほしかったからだ」(「映画秘宝」2017年8月号)と語っており、主人公ドスを単純な戦場のヒーローにしていません。

ドスは幼少期のできごとから心に傷を負っており、独房のなかで激昂することもあれば、呵責のない戦争の実情に恐怖をおぼえたりもします。完全無欠のヒーローではなく、地に足のついたキャラクターとなっています。

こうした意識をギブソン監督は強く持っており、作中では敵軍となる日本軍にも配慮があったそうです。
「日本兵の描き方にも注意し、彼らに敬意を払うようにしたつもりだ。沖縄は彼らの土地だろ?そこを守る為に戦うのは崇高な行為だからだよ」(前掲書)
ハリウッド製にかぎらず、作中に日本軍が登場したり、日本の関わった戦争を扱った作品となると、日本では歴史認識や状況理解などに関して、一定のアレルギー反応が見られることが少なくなくありません。

こうした部分について、個人的には、「作品を制作するサイド」に裁量を任せるのが第一義だと考えています。娯楽がメインであるほとんどの映画作品は、イデオロギーの表明のために作られているわけではないのですから。

次回は「ジョン・ウィック:チャプター2 」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。

編集注:ウイキペディアによると、沖縄戦は1945年3月26日から6月23日まで沖縄諸島を舞台にして、日本とアメリカ・英国連合軍が戦った、日本としては最後の戦争で、連合軍の作戦名は「アイスバーグ作戦(Operation Iceberg、氷山作戦)」で、琉球語では「ウチナー(沖縄)いくさ(Ucinaaikusa)」という。

戦力は日本側が11万6400人、連合軍が54万8000人(うち上陸部隊が18万3000人)で、損害が沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月の発表によると、日本側の死者・行方不明者は18万8136人(沖縄県外出身の正規兵が6万5908人、沖縄出身者が12万2228人、うち9万4000人が民間人)で、日本側の負傷者数は不明とされた。アメリカ軍側の死者・行方不明者は1万4006人、英国軍の死者が82人、アメリカ軍の負傷者7万2012人だった。

英国は英太平洋艦隊として戦艦2隻、空母4隻、巡洋艦5隻、駆逐艦15隻の機動部隊を沖縄戦に派遣し、同艦隊は、先島諸島方面を担当した。沖縄戦では陸海空において日米の大兵力が投入され、使用された銃弾・砲弾の数は、アメリカ軍側だけで271万6691発、ほかに砲弾6万18発、手榴弾39万2304発、ロケット弾2万359発、機関銃弾3000万発弱が発射された。残された不発弾は、2015年でも23トンにのぼり、陸上自衛隊などによる処理が続いている。