大丸有で打ち水、行幸通りで盆踊りや縁日、鎌倉橋洗いも

【銀座新聞ニュース=2017年7月27日】環境省や大手不動産会社の三菱地所(千代田区大手町1-6-1、大手町ビル、03-3287-5100)などで構成される「大手町・丸の内・有楽町 夏祭り2017実行委員会」は7月28日から8月16日まで大手町、丸の内、有楽町地区で「大手町・丸の内・有楽町 夏祭り2017」を開く。

7月28日から8月16日まで開かれる「大手町・丸の内・有楽町 夏祭り2017」で28日に行幸通りで催される1000人による打ち水(画像は2016年の会場風景)。

毎年夏に恒例となっている丸の内など「大丸有地区」で開かれる夏祭りで、13年目を迎える「打ち水」をはじめ、盆踊りや「縁日」も開く。

28日17時30分から行幸通りなどで「丸の内デ(de)打ち水」を実施する。「大丸有地区」で働くおよそ1000人がビル内の施設でためた雨水をろ過した中水800リットルを使って、道路にまいて温度を下げる。

「打ち水」は、江戸時代の庶民の知恵「打ち水」がヒートアイランド現象に対してどのような効果を持つのか、決められた時間にみんなでいっせいに打ち水をして、その効果を検証する、という壮大な社会実験として、2003年から国や地方自治体が中心となって「打ち水大作戦」としてスタートした。「大丸有地区」では2017年で13年目を迎える。雨水や2次利用水、飲用できない下水再生水などを活用している。

26日17時30分から「大手町ファーストスクエア夏まつり-納涼テラス-打ち水」を行う。

31日17時30分から有楽町駅前広場の有楽町イトシア前広場(「有楽町 爽 ハッピースクエア(HAPPY SQUARE)」)で「有楽町駅舞広場打ち水ウィーク2017」を実施する。

8月2日12時30分から東京サンケイビルで「東京サンケイビル夏祭り2017打ち水」を行う。

8月4日17時30分から大手町川端縁道(大手町ビル脇)で「大手町川端縁道打ち水」を実施する。

16日15時30分から東京国際フォーラム1階「地上広場」で「集まれ!キッズ(KIDS)打ち水」を実施する。

7月28日18時から21時まで行幸通りに高さ5メートルの「祭やぐら」を設置して「東京丸の内盆踊り2017」を開く。従来は丸ビル1階マルキューブと丸ビル外構部に設置してきたが、2016年から行幸通りにやぐらを設置し、浴衣姿の総勢100人の踊り手が「丸の内音頭」などを披露する。当日は、一般の人も参加でき、東京駅丸の内駅舎もライトアップされる。

会場には丸の内地区に店を構える飲食店15店の屋台やキッチンカーも登場し、タピオカドリンク、かりとろ揚げたこ焼き、四川風唐揚げ、焼きそば、かき氷、お好み焼き、地鶏炭火焼などをワンコイン(500円)で味わえる。

当日は14時から21時まで丸ビル8階の丸ビルコンファレンススクエアで、浴衣を持参すると着付けを無料サービスする。また、税込2000円で浴衣のレンタルもある。

ウイキペディアによると、丸の内音頭は1932年に西条八十(さいじょう・やそ、1892-1970)作詞、中山晋平(なかやま・しんぺい、1887-1952)作曲で制作され、日比谷公園での盆踊り大会で披露された。盆踊りの定番曲「東京音頭」の原曲とされている。

歌詞には丸の内、三宅坂、数寄屋橋などの地名が織り込まれていたが、その後、レコード会社が「隅田」や「武蔵野」などを入れ、東京一円のご当地ソングとして売り出した。「丸の内音頭」のレコードはビクターから発売され、A面は元芸妓の藤本二三吉(ふじもと・ふみきち、1897-1976)、B面は三島一声(みしま・いっせい、1889-1974)が歌った。

1933年に東京市民すべてが歌えるように「東京音頭」と改題され、内容も改詞され、芸者の小唄勝太郎(こうた・かつたろう、1904-1974)と三島一声が歌い、爆発的に流行し、その後も時代を越えたロングヒットとなり、1971年の段階で2000万枚以上を売り上げているといわれている。

1975年と1976年に、丸の内の祭「グランマルシェ」の催しのひとつとして取り入れられたが、それ以後は長らく行われていなかった。日比谷公園の開園100周年を迎えた2003年以後、毎年8月に「日比谷公園丸の内音頭大盆踊り大会」が開かれ、そこで丸の内音頭が歌われてきた。

8月4日17時45分から22時まで大手町仲通りと大手町川端縁道で「大手町縁日2017」を開く。約35メートルのテーブルカウンターを設置し、ヨーヨーや金魚すくいなど、大手町で働く人たちが懐かしい縁日の雰囲気を味わえる。また、丸の内朝大学のウクレレクラスの春学期受講メンバーがハワイアン音楽を演奏する。

4日16時から鎌倉橋で「鎌倉橋 橋洗いプロジェクト」が実施される。

鎌倉橋は本橋左岸下流側に、江戸城建設の際に相模国鎌倉からの材木を荷揚げした河岸があり、「鎌倉河岸」と呼ばれた。付近の町は「神田鎌倉町」と名付けられ、本橋も「鎌倉橋」と称した。現在の橋は1923年の関東大震災の復興事業で架け替えられたコンクリート製アーチ橋で、1929年4月25日に完成し、欄干には1944年11月にアメリカ軍による爆撃と機銃掃射を受けた際の銃弾の跡が残っている。

日本橋川に架かり、大手町1、2丁目から内神田1、2丁目に通じる橋で、外堀通りにあり、長さは30.1メートル、幅22.0メートルのコンクリ-ト橋とされている。