危うげで不器用な生き方をした勇将を中心に描いた「関ヶ原」(221)

【ケイシーの映画冗報=2017年9月7日】意外に知られていないのですが、中世戦国期の日本は、世界一の軍事大国でした。

8月26日に一般公開された「関ヶ原」((C)2017「関ヶ原」製作委員会)。

当時の近代兵器であった種子島銃(火縄銃)の国内保有数は20万梃から50万梃といわれ、太閤秀吉(豊臣秀吉=とよとみ・ひでよし、1537?-1598)がおこなった「文禄・慶長の役」(ぶんろく・けいちょうのえき、1592年から途中休戦をはさんで1598年までの戦役)いわゆる「朝鮮出兵」で日本海を渡った軍勢は、それぞれ約15万名という多数で、敵前への上陸戦(敵地に上陸したときから戦う)としては350年後のノルマンディー上陸作戦(1944年6月6日に連合軍によるドイツ占領下の北西ヨーロッパへの侵攻作戦で、6日だけで15万6000人が参加)まで史上最大の規模だったといわれています。

このように「軍事強国」であった当時の日本における最大の闘いが、本作でメインに据えられている「関ヶ原の戦い」でした。

26日、27日の最初の週の興行収入は3億9587万円、動員が31万2431人で、ランキング1位だった。最終的な興行収入は30億円が見込まれている。2週目の9月2日、3日は動員21万3600人、興収2億7130万円で、2週連続1位となった。

太閤秀吉の重臣である石田三成(いしだ・みつなり、演じるのは岡田准一=おかだ・じゅんいち)は、秀吉が没したあとも、亡き主君に忠義を尽くす一本気な人物で、歴戦の武将である島左近(しま・さこん、演じるのは平岳大=ひら・たけひろ)もそんな一面に惹かれ、三成と主従の関係を結びます。
その一方で秀吉亡きあと、急速に勢力を拡大していく徳川家康(とくがわ・いえやす、演じるのは役所広司=やくしょ・こうじ)は、自身が天下人となるべく、硬軟とりまぜた、さまざまな策を講じていました。

窮地を救ったことから三成の家来となった伊賀の忍びである初芽(はつめ、演じるのは有村架純=ありむら・かすみ)からの情報で、家康の企みを察した三成は、戦いだけは避けようと奔走しますが、経験豊富で老獪な家康は三成への反対勢力を自分に集め、決戦の機会をうかがっています。やがて、家康と三成はお互いの軍勢を率いて決戦の地、関ヶ原へと至るのでした。

監督・脚本の原田真人(はらだ・まさと)は、関ヶ原の映画化について、25年前から構想があったそうです。最初は作家司馬遼太郎(しば・りょうたろう、1923-1996)の小説を原作としながらも、三成の盟友である島左近を主人公に考えていたようです。

それからいくつかのアイディアを経て、「三成は意固地なまでに、正義を主張した。利を追い求めるのではなく、倫理観を持って戦っていた。今の日本には、1万人の石田三成が必要じゃないか」(9月1日付・読売新聞夕刊)という原田監督の評価により、最終的には三成を主人公に定めての映画化となっています。

たしかに戦国という乱世にありながら、三成は終生、最初に仕えた秀吉から離れることはありませんでした。それは、劇中で名だたる名将が、状況の変化や家康のたくみな交渉術に揺れ動くのと好対照となっています。

こうした三成の人物像は、演じた岡田准一による「自分の信じたもの、愛した人、想っている人、そして豊臣秀吉への想いを真っ直ぐに、美しく貫いた人だと捉えました」(パンフレットより)という感覚がそのまま表現されたともいえるでしょう。

以前にも記しましたが、群雄割拠の戦国時代は、「忠臣は二君に仕えず」や「飛び道具とは卑怯(ひきょう)なり」といった現在では一般的な武士のイメージはありませんでした。

戦場での命のやりとりが常であったわけですから、戦いの強さだけではなく、状況を冷静に判断することで自分の立場を優位にしたり、大名の間では細作(さいさく、スパイ)も重用されていました。

劇中でも、初芽が諜報戦で仲間の伊賀忍びと戦うことになりますが、同郷といっても、雇われ兵である忍びにとっては、働きが第一なのであって、役目の上では朋輩でも仕留めることができる非情さを求められていたのです。

こうした戦場でのリアリズムに徹したことで、関ヶ原の戦いに勝利する家康に対し、三成とともに乱世を生きる左近や初芽は、どこか危うげで、この時代にそぐわないいわば不器用な生き方をしているように描かれています。

歴史作品では、融通の効かない官僚的な武将として描かれることの多い三成ですが、本当に無能なら大名となって秀吉を支えたり、勇将と名高く、20歳ほど年長の左近を召し抱えることもできなかったはずです。

もちろん、本作のような三成と左近の出会いがあったかどうかは、定かでありませんし、初芽という人物も原作小説では三成の愛人として登場する架空の人物です。しかし、史実かどうかは別として、魅力的な存在としてスクリーンで活躍しています。

個人的に映画も小説も、史実に忠実であるよりも、作品が面白く、また登場人物が魅力的であることの方が重要だと信じています。創作物は歴史書ではないのですから。次回は「ダンケルク」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。