お好み焼PRサポーターに「STU」今村美月、滝野由美子、土路生優里

【銀座新聞ニュース=2017年9月30日】一般財団法人「お好み焼アカデミー」(広島県広島市西区商工センター7-4-5、 082-563-2222)はこのほど、「お好み焼PRサポーター」に「STU48」のメンバー3人が就任したと発表した。

このほど「お好み焼PRサポーター」に起用された「STU48」の左から今村美月さん、滝野由美子さん、土路生優里さん。10月10日に就任式を開く。

2017年に瀬戸内地区に誕生した女性アイドルグループ「STU48」の今村美月(いまむら・みつき)さん、滝野由美子(たきの・ゆみこ)さん、土路生優里(とろぶ・ゆり)さんが「お好み焼PRサポーター」に就任し、10月10日「ジュージューの日」に広島県庁で「お好み焼PRサポーター」就任式を開く。

広島県を代表するソウルフード「広島お好み焼き」を、「STU48」の3人に若者女子目線で広くPRしてもらうのが目的で、3人はおいしい広島お好み焼の焼き方を学ぶため、お好み焼アカデミーが用意した「おいしい焼き方・テクニカルレッスン」にチャレンジし、その動画をウエブ(WEB)にて紹介する。また、ひろしまアンテナショップ「たう(TAU)」や全国のお好み焼アカデミーの会員店舗などにPRポスターを配布する。

お好み焼アカデミーとウイキペディアによると、お好み焼きは記録上では、日本における粉物料理の起源が、安土桃山時代の千利休(せんの・りきゅう、1522-1593)が好んだというお茶菓子「麩の焼き」にあるとされるが、直接的には、大正時代あたりに子どものおやつとして親しまれていた「一銭洋食」が広島お好み焼きの前身とされている。

小麦粉を水で溶いて薄く焼き、ネギや削り節などを乗せて食べる「一銭洋食」は、ソースを塗れば「洋食」と呼ばれた時代、駄菓子屋や屋台で食べる素朴な味わいが庶民や子どもに楽しまれた。全国的にも昭和初期には文字焼から発展した「もんじゃ焼き」や「どんどん焼き」など地域性のあるコナモン文化が庶民の味として根付きはじめ、戦後、関西では「混ぜ焼」が流行し関西一円に定着したといわれている。

現存するお好み焼き屋で最古とされる店は、浅草の「風流お好み焼 染太郎」で1938(昭和13)年ころの創業で、大阪でも同じ時期に「以登屋」(その後閉店)が開店しており、大阪で初めて客に自由に焼かせる「お好み焼き」を紹介したとされる。以登屋は芸者や花柳界の粋人、船場の旦那衆などを対象とした高級店で、市中の洋食焼きが10銭程度であった時代に1円50銭し、染太郎では、創業当時の価格は1枚5銭だった。

広島は戦前の東京で誕生したお座敷料理のお好み焼きをはじめ、戦後に広まった混ぜ焼き式のお好み焼きの影響も受けなかった地域のひとつで、戦災からの復興過程で1950年頃に発生した屋台街(後のお好み村)において、鉄板1枚で調理できることから、戦前の「一銭洋食」をベースに独自の発展を遂げ、後に「広島風お好み焼き」と呼ばれる料理になった。

日本全国に約1万6000店のお好み焼き店があり、大阪府、兵庫県、広島県の3府県で全国の4割を占める。広島県内には1600件以上のお好み焼き店があり、広島市内は約800件が集中している。広島のお好み焼きは、生地を鉄板上で薄く伸ばし、その上にキャベツやもやし、豚バラ肉などをのせて焼そばや卵を重ねていく重ね焼きになっている。

お好み焼アカデミーは「オタフクホールディングス」の代表取締役社長の佐々木茂喜(ささき・しげき)さんが中心になってお好み焼きを世界に広く普及させるために2014年に設立された一般財団法人で、「10月10日」をお好み焼きの焼く音「ジュージュー」との語呂合わせで「お好み焼きの日」と設定した。

「STU48」は秋元康(あきもと・やすし)さんのプロデュースにより、第1期生オーディションを経て2017年3月に誕生した瀬戸内7県を拠点とするアイドルグループで、5月3日に広島市で指原莉乃(さしはら・りの)さんを除くメンバー32人がお披露目され、2018年1月31日にキングレコードからシングルを発売し、メジャーデビューする予定だ。

今村美月さんは2000年広島県生まれ、滝野由美子さんは1997年山口県生まれ、土路生優里さんは1999年広島県生まれ。

注:「滝野由美子」の「滝」は正しくは旧漢字です。名称などは原則として現代漢字(常用漢字)を使っています。