差別を越え、宇宙計画を達成した3人の女性を描いた「ドリーム」(223)

【ケイシーの映画冗報=2017年10月5日】1957年10月、旧ソ連のスプートニク1号が、世界初の人工衛星として打ち上げられました。アメリカは、自国の宇宙計画がトラブル続きだったことにくわえ、ライバルであるソ連に先を越されたことで大きなショックを受けました。宇宙ロケットの技術はそのまま核弾頭ミサイルに直結するためです。

現在、一般公開中の「ドリーム」((C)2016 Twentieth Century Fox)。制作費が2500万ドル(約25億円)、興行収入が2億2932万ドル(約229億3200万円)。

アメリカの宇宙開発は大きく動き、翌1958年に有人機による宇宙往復を目指す「マーキュリー計画」を発表しますが、1961年4月、ソ連が今度はボストーク1号によって有人宇宙飛行を成功させます。またしても、ソ連に先を越されたアメリカは、さらに宇宙開発へ邁進することになるのです。

本作「ドリーム」(Hidden Figures、2016)で、1961年4月、アメリカ南部ヴァージニア州ハンプトンにあるアメリカ航空宇宙局(NASA)のラングレー研究所に、3人の女性技術者が赴任してきます。数学の天才であるキャサリン(演じるのはタラジ・P・ヘンソン=Taraji P.Henson)は宇宙特別研究本部でロケットの飛行についての計算をおこない、マネジメント担当のドロシー(演じるのはオクタヴィア・スペンサー=Octavia Spencer)は管理部門へ、エンジニアのメアリー(演じるのはジャネール・モネイ=Janelle Monae)は技術部門へと配属されます。

しかし、それは、科学技術の最先端にあるはずのNASAにも残る深刻な差別に直面することにもなりました。キャサリンは職場から彼女の使えるトイレまで往復1.6キロの移動を強いられ、ドロシーは自身の昇進を出自によって断られます。メアリーも彼女の通うことのできない学校の学位を求められ、仕事に制約が生じていました。

そう、彼女たちは黒人だったのです。アメリカ南部に色濃く残る人種隔離の習慣もさりながら、近代的なはずの職場でも厳しい環境にさらされていたのです。

キャサリンに検算のために回されてくる書類は“機密”ということで墨塗りだらけ。ドロシーの昇進をはばむのは白人女性の管理職、そしてメアリーの仕事に欠かせない学位は、白人のみ入学できる学校でしか取得できないのです。

こうしたハードルを彼女たちは自力で突破していきます。キャサリンは限られたデータから、アメリカの宇宙ロケットが失敗続きであることを読み取り、上司であるハリソン(演じるのはケビン・コスナー=Kevin Costner )の信頼を得て、トイレ事情もハリソンがハンマーを振るって“改善”してしまいました。

ドロシーはNASAに納品後も不調続きだったIBMのコンピュータを独学で使いこなし、その担当者に抜擢(ばってき)されました。メアリーの学位取得もなんとか裁判所の許可が下り、学校に通えるようになります。

やがて、アメリカによる初めての地球周回軌道への打ち上げ実験となりますが、その直前に重大なトラブルが発生します。予定通りの発射が厳命されるなか、その解決はキャサリンに託されるのでした。

ここ数回、本稿では実話に基づいた作品を取り上げてきましたが、本作もそのカテゴリーに分類されるでしょう。原題の「Hidden Figures(隠された姿)」というように、これまで知られてこなかった、アメリカの宇宙開発の初期に貢献した3人の黒人女性に光を当てたものです。

こうした近現代史の扱った作品ですと、登場人物の苦心や苦悩に焦点を当ててしまい、必要以上の刻苦勉励を称揚する重苦しい苦労譚となってしまうことがあります。

とくに女性蔑視や人種差別となると、より沈鬱(ちんうつ)な作風が懸念されてしまいますが、この主人公の女性陣は決して陰にこもるような人生を送らず、むしろ自身に迫る人生のハードルを飛び越えることに前向きに立ち向かっていきます。

とくに夫に先立たれ、3人の娘を育てながら激務に追われるキャサリンは、つねに活発な日常を送っており、いわゆる“お涙頂戴”ではないことも印象的です。

CM界出身で、本作が長編作2本目となる監督・脚本(共同)のセオドア・メルフィ(Theodore Melfi)は、
「私たちスタッフ・キャストが一つにまとまったのは(中略)、すばらしいことをなし遂げるために協力したストーリーを伝えるためだった。(中略)人が平等の条件で協力すると、何か素晴らしいことが起きるものなんだ。この女性たちは、宇宙開発競争を変えた本物の隠れた人たちだった」(パンフレットより)と語っています。

事実、2017年のアカデミー賞で主要3部門にノミネートされ、受賞こそなりませんでしたが、作品賞で2強とされた「ラ・ラ・ランド」(La La Land)や受賞作「ムーンライト」(Moonlight)に比べても、決して見劣りすることのない良質な作品となっています。次回は「アウトレイジ 最終章」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。

編集注:ウイキペディアによると、「マーキュリー計画」1959年から1963年にかけて実施された、アメリカ初の有人宇宙飛行計画で、人間を地球周回軌道上に送り、安全に帰還させることを、旧ソ連よりも先に達成することを目標としていた。

計画は、空軍から事業を引き継いだ新設の非軍事機関アメリカ航空宇宙局(NASA)によって実行され、20回の無人飛行 (実験動物を乗せたものを含む)、および「マーキュリー・セブン」と呼ばれるアメリカ初の宇宙飛行士たちを搭乗させた6回の有人飛行が行われた。

宇宙開発競争は、1957年にソ連が人工衛星スプートニク1号を発射したことにより始まったが、この「事件」により、NASAが創設され、当時行われていた宇宙開発計画が文民統制の下で推進されることになった。

1958年、NASAは人工衛星エクスプローラー1号の発射に成功し、次なる目標が有人宇宙飛行となった。しかし、初めて人間を宇宙に送ったのは、ソ連で、1961年4月に史上初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリン(Yuri Alekseyevich Gagarin、1934-1968)の乗るボストーク1号が地球を1周した。

この直後、5月5日にアメリカ初の宇宙飛行士アラン・シェパード(Alan Bartlett Shepard Jr.、1923-1998)が搭乗するマーキュリー・レッドストーン3号が弾道飛行を行った。8月にはソ連はゲルマン・チトフ(Gherman Stepanovich Titov、1935–2000)を飛行させ、1日間の宇宙滞在に成功した。

アメリカが衛星軌道に到達したのは1962年2月20日で、ジョン・グレン(John Herschel Glenn Jr.、1921-2016)が地球を3周した。マーキュリー計画が終了した1963年の時点で両国はそれぞれ6人の飛行士を宇宙に送ったが、アメリカは宇宙での総滞在時間という点で依然としてソ連に後れを取っていた。

マーキュリー宇宙船を設計したのは、マクドネル・エアクラフト社であった。円錐の形状をした船内は完全に与圧され、水、酸素、食料などの補給物資を約1日間にわたり飛行士に供給した。打ち上げはフロリダ州ケープ・カナベラル空軍基地で行われ、発射機にはレッドストーンミサイルまたはアトラスDミサイルを改良したロケットが使用された。

計画名は、ローマ神話の旅行の神メルクリウス (Mercurius、マーキュリー) からつけられた。マーキュリーは翼の生えた靴を履き、高速で移動すると言われている。計画の総費用は16億ドル (2010年の貨幣価値で換算、約1600億円) で、およそ200万人の人間が関わった。

この後の2人乗りの宇宙船を使用するジェミニ計画では、月飛行で必要となる宇宙空間でのランデブーやドッキングが実行された。アポロ計画が発表されたのは、マーキュリーが初の有人宇宙飛行を成功させた数週間後のことだった。