M84でJ・シーフ「モノクローム」展、モノクロ写真35点

【銀座新聞ニュース=2021年4月4日】Art Gallery M84(中央区銀座4-11-3、ウインド銀座ビル、03-3248-8454)は4月5日から5月15日までジャンルー・シーフによる写真展「Monochrome」を開く。

アート・ギャラリー・エムハッシー(Art Gallery M84)で4月5日から5月15日までジャンルー・シーフによる写真展「Monochrome(モノクローム、白黒写真)」に出品される作品(C)The Estate of Jeanloup Sieff/G.I.P.Tokyo)。

フランスを代表する写真家、ジャンルー・シーフ(Jeanloup Sieff、1933-2000)の作品の中から、没後20年記念として「G.I.P.Tokyo」コレクションの中でも秘蔵と言われているジャンルー・シーフのファッション、ポートレート、ヌード、Torsi Torses Nus(トルシー・トルセー・ヌス)などから選んだ購入可能なオリジナルプリント約35点を展示する。

いずれも希少性の高いゼラチンシルバープリントによるモノクローム作品で、「ゼラチンシルバープリントの銀塩粒子、バライタ印画紙の微妙なトーンによる力強い格調高いシーフスタイルの表現はまさにモノクロ写真芸術」としている。また、「シーフ固有の力強い垂直画面と広角レンズの巧みな表現、時代が経過しても古臭さを感じない作品」がみられるという。

ジャンルー・シーフは1933年11月30日パリ生まれ、両親はポーランド人で、1945年から文学(2週間)、ジャーナリズム(10日間)、写真(パリ・ヴォージラール校にて1カ月)、スイスのヴェヴェーの美術上級学校にて7カ月)の短期在籍で学び、1954年に哲学のバカロレアを取得、この間、1950年に写真雑誌「フォトレヴュー」に投稿、初めて掲載された。

1954年にフリーのジャーナリストとして写真撮影をはじめ、同年に「マグナムフォト」に参加(1959年まで)、1955年にフランス「エル」誌の写真リポーターとしてデビューし(1958年まで)、世界各地でルポルタージュ写真を撮影し、1959年に「ニエプス賞」を受賞した。

1958年に「決定的瞬間」を求めるアプローチに共感できず、「保存された瞬間(Moments Preserved)」に共感し、1959年にフリーの写真家として、スイスの雑誌「レアリテ」に参加、1959年から1961年まで「ジャルダン・デ・モード」と契約、1961年から1965年までアメリカ・ニューヨークに在住し、アメリカの「ルック」をはじめ、「グラマー」や「エスクァイヤー」、「ハーパス・バザー」などに掲載し、ヨーロッパでも「ヴォーグ」をはじめ、「ツイン」や「クイーン」などと契約し、初めての広告写真「ロジー(Rosy)」を制作した。

1966年にパリに戻り、スタジオを開設、1970年代から1980年代には個人的な作品の方向性を見つけ、モノクロ写真と広角レンズを多用して、立体的な感じの風景、ヌード、ファッションを探求し、透明で乾いたエロチシズムを感じさせる作品で注目された。1972年にリヨンのフランス写真財団委員に任命され、フランス財団(旧名はローマ賞)の審査員、1980年にフランス写真財団理事を辞職し、「旅ジャーナル」シリーズのアートデレクションも辞退した。1984年にイタリア・パレルメでカプチン会修道院のカタコンブを発見、1980年にシュバリエ芸術文化賞顕彰、1984年にフランスのレジオン・ドヌール・シュバリエ勲章を受賞した。

1990年から1991年にかけて 第2次世界大戦の戦場地ソンムの写真ミッションに参加し、1991年に第1回写真航海巡船プロジェクトの名誉招待作家となり、1992年に第1次世界大戦(1914年から1918年)の戦地、ヴェルダンでの写真レポートを完了し、2000年9月にがんのため活動中に急逝した。1967年に「ノヴァ」掲載ファッション写真がロンドンアート・ディレクターズ・クラブ銀メダル、1980年にシュバリエ芸術文化賞、1984年にフランスのレジョン・ドヌール・シュバリエ勲章、1992年にフランス文化省写真家芸術賞などを受賞した。

開場時間は10時30分から18時30分(最終日は17時)まで。入場料は500円。日曜日は休館。