山咲木で瀬戸内の寒風須恵器展、松川広己、三浦雅人ら

【銀座新聞ニュース=2021年4月2日】公益財団法人「寒風陶芸の里」(岡山県瀬戸内市牛窓町長浜5092、0869-34-5680)は4月3日から10日までの8日間、ギャラリー山咲木(中央区日本橋人形町2-16-2、ユウビル、03-6661-6865)で「寒風須恵器展2021」を開く。

「寒風陶芸の里」が4月3日から10日までギャラリー山咲木(やまさき)で開く「寒風須恵器展2021」のフライヤー。

「寒風須恵器(さぶかぜ・すえき)」の「須恵器」は古墳時代(3世紀中ごろから7世紀頃)中期から平安時代(794年から1185年)にかけて作られていた陶質の土器で、岡山県瀬戸内市に現存する「国史跡・寒風古窯跡群(さぶかぜこようせきぐん)」からは、およそ1400年前、飛鳥時代(592年から710年)のものとみられる須恵器が多数出土しており、日本六古窯のひとつである「備前焼」のルーツとされている。

この「寒風須恵器」について、陶芸家の末廣学さん、松川広己さん、三浦雅人さん、三浦裕二さんらの作品を展示販売する。

会場では、飛鳥時代、都の役人が使っていたとされる硯(すずり)や、祭器を再現した作品、また現代の暮らしに溶け込む器や花器などを出品する。また、「寒風須恵器」の歴史や創作プロジェクトについて紹介するコンテンツなどを展示する。

さらに、会期中、陶芸家が直接、特徴的な焼成方法や、寒風須恵器の魅力について話すトークギャラリーを開く。

ウイキペディアによると、須恵器は平安時代には「陶器」と書いて「すえもの」や「すえうつわもの」と読まれていたが、それが古墳時代に遡るかは未詳で、現代の陶器(とうき)と混乱を避けるため、現代の考古学用語としては須恵器が一般化している。

「寒風須恵器展2021」に出品される作品。

須恵器の起源は朝鮮半島(特に南部の伽耶=から)とされ、初期の須恵器は半島のものと区別が付きにくいほど似ているが、用語としては日本で制作された還元焔(かんげんえん)焼成の硬質の焼物だけを須恵器という。朝鮮半島のものは、普通名詞的に陶質土器と呼ばれるか、伽耶土器・新羅土器・百済土器などもう少し細分した名で呼ばれている。

縄文土器から土師器(はじき)までの土器は、日本列島古来の技法である「輪積み(紐状の粘土を積み上げる)」により成形され、野焼きで作られていた。このため焼成温度が800度から900度と低く、強度があまりなかった。

また、酸化焔焼成(酸素が充分に供給される焼成法)となったため、表面の色は赤みを帯びた。それに対し、須恵器はまったく異なる技術(轆轤=ろくろ=技術)を用いて成形し、窖窯(あながま)と呼ばれる地下式・半地下式の登り窯を用いて1100度以上の高温で還元焔焼成されることで強く焼締まり、従来の土器以上の硬度を得た。

基本的には釉薬(ゆうやく)をかけないが、釉のかかったものも見られる。これらの多くは窯の燃焼中、燃料(薪)の灰が製品に付着し、高熱で融解して偶然生じた「自然釉」とみられている。

寒風古窯跡群は岡山県瀬戸内市牛窓町長浜にある須恵器窯の遺跡で、国の史跡に指定されている。瀬戸内市内には古墳時代から平安時代にかけての須恵器窯跡が点在し、「邑久古窯跡群」と呼ばれており、中四国地方最大の須恵器生産地であった。

邑久古窯跡群の中で寒風古窯跡群は最南端に位置し最大級のもので、標高50メートルから60メートルの丘陵の南西斜面に位置する。操業期間は7世紀の飛鳥時代を中心とした約100年間で、焼かれた須恵器は奈良の都に税金として納められた。

昭和初頭、地元の郷土史研究家である時実黙水(ときざね・もくすい、1896-1993)は遺跡周辺の須恵器を大量に採取、研究誌を発表し、ここに遺跡があることが認知されるようになった。1978年に遺跡の磁気探査とトレンチ調査が行われ、1986年2月5日に国の史跡に指定された。遺跡の保存と公開のため瀬戸内市教育委員会により2005年から2008年にかけて発掘確認調査が行われている。

須恵器は、主に蓋、坏(つき)、高坏、平瓶(ひらか)、皿、甕、鉢などで、特殊なものとして、陶棺(陶製の棺桶)や寺院の屋根に飾られる鴟尾(しび)、官衙などで使用される硯などの陶器も製造された。

末廣学さんは1966年大阪府生まれ、1985年に備前陶芸センターを修了、森陶岳さんに師事し、1993年に全長20メートル半地下式登り窯を築窯して独立し、1995年に東銀座で初個展を開いている。

松川広己さんは1958年愛知県西尾市生まれ、1979年に武蔵野美術短期大学美術科を卒業、美濃・松山祐利(1916-2006)、信楽・神崎紫峰(1942-2018)に師事、1990年に岡山県瀬戸内市に開窯、2008年に陶芸文化振興財団奨励賞、2013年に寒風鴟尾(しび)再現プロジェクトに参加している。

三浦雅人さんは1969年東京都青梅市生まれ、1992年に法政大学を卒業、1994年に愛知県立窯業高等技術専門校を修了、備前・猪俣政昭さんに師事し、2004年に瀬戸内市牛窓町に穴窯を作り、2005年に初窯を焚き、2015年から毎年、岡山高島屋の寒風展に出展している。

三浦裕二さんは1980年岡山県都窪郡生まれ、2000年に備前陶芸センターを修了、同年から2007年まで木村素静(そじょう)さんに師事し、現在、岡山県瀬戸内市にて築窯中。

3日と4日の13時から17時まで出品者が在廊する。

開場時間は11時から18時(最終日17時)まで。