2020年(13.パラレルインドへ<真鍋翔子再び3>)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2021年3月30日】私は期待と不安を胸に、小松空港(石川県)から上海経由のムンバイ行き便に乗り込んだ。機内は快適でほとんど揺れを感じない安定飛行で、14時間後に西インドの巨大港湾都市の国際空港にたどり着いた。9カ月前、降り立った元の世界の空港がどうだったか、はっきり覚えていなかったが、モダンな商都空港に何ら違和感は感じなかった。

タクシーで予約されたファイブスター・ホテルへと向かう。前もそうだった記憶があるが、渋滞で目的地に着くまで、2時間近くかかった。しかし、滞在先の5つ星ホテルは素晴らしく、前回自費で泊まった中級ホテルをはるかに凌ぐ快適さで感激した。

が、改めてホテル名をチェックして、ああ、ここは従業員が5人感染したホテルだったと気づいて、喜びが冷めた。とはいえ、ウイルスが蔓延していた元の別世界のこと、今私が紛れ込んだこのパラレルワールドは、何の問題もなく、平和なのだから、恐れるにはあたらなかったが、どうも気色が悪かった。

しかし、翌早朝の国内便でアウランガバードに発つことになっていたし、帰途2泊するだけの短期宿泊日程だったので、長時間の移動で疲労が極限に達していた私はすぐ眠りについて、目覚めると、もうチェックアウトだった。

アジャンタ・エローラ遺跡見学の拠点であるアウランガバードには、午前10時過ぎに着いた。滞在日程は4日しかない。全行程1週間のハードスケジュールだった。

予約されたホテルは、前回の安宿と違って、ムンバイほど立派ではないが、プール付きのスターホテルで、びっくりしたことには、レセプションのマネージャーが、アルンそっくりだった。アルン・カプールは、元の世界では、日本人御用達の旅行代理店のオーナーで、アジャンタ遺跡に同伴、インド訛りながらも、なかなかうまい日本語で案内してくれたのだ。

パラレルワールドでは、スターホテルの有能マネージャーというわけかと驚いたが、もちろん、顔だけそっくりのもう1人のアルンにとっては、私は初対面の日本人旅行者でしかなく、事務的にチェックイン手続きし、最後に流暢な英語で、
「こちらは初めてですか。どこかでお見かけしたような記憶があるんですけど」
と、まじまじ覗き込むように見据えたので、ぎくりとした。
「いいえ、初めてです」
と否定の返事をし、曖昧に笑って誤魔化すと、
「ソウデスカ、デハ、ゴユックリ」
と片言の日本語で返し、私を唖然とさせた。
「日本人のお客様から以前、教えてもらった日本語です」
茶目っ気たっぷりにウインクした顔が人懐っこくて、もう1人のフレンドリーで親切だったアルンを彷彿させた。

ホテルに併設されたトラベルエージェンシーの車でランチもそこそこに、エローラに向かった。とにかく、日数が限られているのだから、1分も無駄にできない。
向こうの世界で見たのと寸分たがわぬ壮大な寺院遺跡、一枚岩から掘り起こされたカイラーサナータ寺院の威容に、改めて圧倒される。

写真を撮りながらじっくり見学していると、30代の同胞と思われる男性とすれ違った。同国のよしみで軽く会釈し、あっと思い当たった。元の世界で、遺跡見学中にうっかり落とした母の形見の紫水晶のペンダントを拾ってくれた人だ。

もちろん、相手に心当たりはあろうはずもなく、ただ無表情で会釈し返されただけのことだった。せっかく拾い上げてもらったペンダントなのに、帰りの飛行機の中で紛失してしまったことが悔やまれてならない。

あのひどく揺れて恐怖で人心地もつかなかったときに違いない。留め金が緩かったので、体が烈しく揺らいだとき、もがれ落ちたと思われる。気が動転していて気づかなかったのだ。あの時点で既にパラレルワールドに飛んでいたとしたら、紫水晶は元の世界に置き去りにされた可能性が高い。

お金では買えない、貴重な母の遺品をなくしてしまった過失は、私を苦しめた。未来永劫に返ってこないと思うと、自分の不注意が情けなく、自責の念に駆られて、今でも喪失の傷は疼く。

我に返って気を取り直し、取材のポイントを細かくチェックしていく。あっという間に日が落ちて、その日の取材は終わった。明日はいよいよ、アジャンタだ。個人的な嗜好から言えば、私はアジャンタの仏教石窟寺院の方が、川沿いの馬蹄形の断崖に開ける壮大な自然と相まって、より素晴らしいように思う。国宝級の壁画が中に遺されているのだ。

第1窟の、通称ブラックプリンセスの艶かしさと神々しさがない混ぜになった壮麗な肖像、目に焼き付いて離れなかった壁画、漆黒の肌の女神との再会、が待っている。ワクワクする気持ちを抑えられず、やっぱり来てよかったと思った。別の世界でまた、感動の遺跡にまみえようとは、神から賜った2度目の機会がありがたく、奇しき因縁というか、運命的なものを感じた。

そして、予定通り、4日間の取材をフルに満喫し終えた私はムンバイに戻り、翌日には感動が冷めないうちにと執筆、一気呵成に書き上げて編集長に送信してしまったのだ。

次の日の帰国便に乗り込んだ私は、海外取材の重責を果たし終えた満足感で、肩の荷が降りた安堵感でリラックス、行き同様安定飛行を楽しんでいた。

心配した機体の揺れはほとんどなく、飛行機は無事、空港に着陸しようとしていた。シートベルト着用のアナウンスが入る。私はまったく何の違和感も抱かず、着陸体勢に身を委ねていた。

車輪が地を打って、腰にガツンとした振動が伝わった。無事、戻ってきた。喜びの反面、私はこれから死ぬまで、篠崎玲子として、本来の自分が所属しない並行世界で暮らしていかねばならぬ覚悟を前に、むしょうに寂しかった。おばあさんの家は、住めば都で居心地よかったが、主が戻らない以上、天涯孤独、よそ者がインサイダーの振りして何食わぬ顔で生きていかねばならないことを思うと、孤独極まった。

そのとき、何かがおかしいと、異変に気づいた。機内がざわめき、悲鳴があがった。滑走路を走る機体は加速度をつけて暴走、止まる気配がなかった。着陸失敗だ。私の恐怖は頂点に達し、次の瞬間、ものすごい衝撃を覚え、失神した。

目覚めたとき、自分が果たして死んだのか、それとも、まだ生きているのかわからなかった。
「もしもし」
声をかけられて、我に返った。助かった、私は生きている、と安堵するまもなく、CAが何やら用紙を手渡す。1枚目の紙の、「検疫局」の一語が真っ先に目に飛び込む。

「お客様、マスクの着用をお願いいたします」
マスク入りのパックを渡される。ああ、私は絶望感に苛まれた。また戻ってきてしまったのだ、得体のしれないウイルスが蔓延する元の地獄に。が、紛れもなく、私が所属するこの世界に。喪失したアイデンティティは回復されたのだ。

ダブルの私に脅かされることのない、元の住処、真鍋翔子は私一人だ、キャッシュカードも使える、正真正銘の実家には、姉思いの本当の弟がいる、私のふるさとも、名をかたらなくても、ありのままの私を受け入れてくれるだろう。仕事仲間、友人、親族、あるべき場所に戻ったのだ。

安堵が大きすぎるあまり、私はさめざめと泣いた。周囲に不審に思われようとも、涙を止めることができなかった。マスクが流れ込むしょっぱく温かい液でぐしょ濡れになった。

私は、パックからもう1枚、新しいマスクを取り出すと、つけ替えた。周りは、マスク、マスクの総勢で、異様な雰囲気と緊張に包まれていた。マスク不要の平和な並行現実が一瞬懐かしくなったが、二度と戻りたいとは思わなかった(「2020年」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げており、「インド発コロナ観戦記」とは別に、短編など小説に限定してひとつのタイトルで掲載します。本人の希望で画像は使いません)。