インド、ついに40万超、各国から救援物資、日本も支援を(68)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2021年5月18日】5月に入った。インドでは、ミッドサマーだ。夕刻の浜の散歩以外、冷房室にこもる毎日だが、今日は土曜日でウィークエンドロックダウン(都市封鎖)、外気に触れることなく、こもりっぱなしに終わりそうだ。

ロシア製ワクチン「スプトニークⅤ」は、アメリカのファイザー製と並んで、有効性の高い人気商品。民主主義国家でありながら、社会主義の経済政策に準じた初代ネルー首相(Jawaharlal Nehru、1889-1964)時代から、ソ連との関係は深く、軍事面でも緊密で、近年ややアメリカ寄りになったが、信頼関係は損なわれていない。血栓の副反応が懸念される、英国製のコビシールド(Covishield)より、期待が持てるかもしれない。

カレンダーは新しい月に変わっても、インドの惨状は変わらない。1日の感染者数は40万人超、死者も3500人以上(累計1920万人、実質陽性者350万人)と、TSUNAMI(ツナミ)級第2波の勢いは止まらない。

実数は、公表データをはるかに超えて新規ミリオン超、死者も、自宅で亡くなる人が数えられていないため、ミリオンに達しているとの説もあるほどだ。

まこと凄まじいとしかいいようのない、未曾有の事態に直面して、私自身ジャーナリストとしての機能が麻痺し、1週間は何も書く気がしなかった。阿鼻叫喚のカオス地獄を目の当たりにして、甚だしく狼狽し、どっぷり落ち込んでいるただの弱い人間がいた。

コロナ戦に突入してから1年以上、これまで辛抱強く持ちこたえてきたが、あまりに想像を絶する現実を前に、ひしひしと無力感を覚え、脱力感から何も手につかなかった。

それから、昨年4月に帰国するはずだった私が、便が欠航になってインドに居残る羽目を余儀なくされたのは、伝える使命があるからだと気づいた。私は、終息の日まで、発信し続けなければならない。どんな悲惨な現実であろうと、第3者の客観的な目で観察し、事実をありのままに書き留め、伝える義務がある。

やっと、スマホの白いテキスト画面に向かう気力を取り戻した。そして、今、こうして世界最悪の感染大爆発を起こしている、インドの実態を誇張することなくありのままに、ご報告しているわけである。

当オディシャ州首相、ナビーン・パトナイク(Naveen Patnaik)は、コロナ征伐において辣腕発揮、私見では、彼が中央でコロナ指揮をとっていたら、現在のような大混乱は免れたと確信する。ちなみに、オディシャ州は新規数が1万人超に達した時点で、5月5日から19日まで2週間のロックダウンが決まった。

第1局面での好戦に気をよくして敵を甘く見て、大敗戦に追い込まれたインドの実相をつぶさにお伝えしているわけだ。

インド参謀司令本部は、コロナ戦の舵取りを誤り、膨大な死者を招いた。ロジスティクス、兵站(へいたん)も尽きた。合同戦の仲間、連合軍に至急支援を仰ぐしかない。司令室は混乱状況だ。

中央当局は、地方に散らばる軍隊に責任転嫁しようとしている。今後の指揮は、地方に任せた。各自が作戦を練って、敵に立ち向かえばいい。兵站もいずれ、連合軍から届くから、各州軍に分けてやる。よきに取り計らえ、はっはっはっ、司令官の傲慢な高笑いが私の耳元にまで聞こえてきそうだ。

世界最多を更新し続けて暴走する巨象インド、わが愛する第2の祖国で、新型コロナウイルス患者が酸素不足でバタバタ息絶えていく。治療を受けられるのはまだいい方、病床不足で門前払い、列をなす救急車の中で、あるいはタクシーや自家用車の中でなすすべもなく、愛する家族の一員が喘ぎ死んでいくのを見守る近親者が泣き叫ぶ声が悲痛だ。火葬場は遺体の山、集団火葬のみならず、スペースがなくて公園が焼き場代わりになっている。

伴侶を亡くして1年半に満たない私は、感情移入してしまって涙が止まらない。こんな事態が訪れようとは3月初めの時点では、誰も予想していなかった。1月16日から早々と、ワクチン接種は開始されていたし、2月の時点では日当たり感染者数は1万人台にとどまっていた。政府は、コロナ戦における勝利宣言すら公表しようとしていた矢先だった。

マハラシュトラ州(Maharashtra)で既に二重変異株が見つかっていたにもかかわらず、専門家のまだパンデミック(世界的流行)は終わっていないとの意見に耳を貸さず、大型宗教行事や政治集会の許可と、緩和政策は続いた。

第2波大爆発の発火点となったのは、4月1日にウッタラカント州(Uttarakhand)の聖地ハリドワール(Haridwar)で始まった巨大宗教行事・クンブメーラ(Kumbh Mela、350万人もの巡礼者がガンジス川で沐浴儀式、4月30日まで)とも言われるが、西ベンガル(West Bengal)州議選でのマスクなしの政治集会も追い打ちをかけた。

クンブメーラに関しては、大密集を懸念する声を制するように、モディ(Narendra Damodardas Modi)首相自ら象徴的宗教行事と黙認、西ベンガル州議選では、ノコノコと現地入りして応援演説、マスクなしの支持者による大集会を催した。

コロナルールをまったく無視した失策がまもなく、大きなぶり返しウェーブを巻き起こすことになる。しかも、第1波と違って変異株、それもふたつの変異が起こる二重株という感染力が強く、ワクチンも効きにくいとされる厄介種。一旦火がついたら、あとは速かった。あっというまに第1波の9万人台にかろうじてとどまっていた最多記録を超えて10万人突破、臨界点を越したら20万人、アメリカの日当たり新規30万人を追い越すのに、3日とかからなかった。そして今、40万人超、一体、最多数はどこまで伸びるのか、空恐ろしい限りだ。

コロナを甘く見て、嘗め切ったモディ政権の大失策で、Facebook(フェイスブック)では、「Modi resign(モディ・リザイン、モディ退陣)」を呼びかけるキャンペーンも始まり、一時削除されたことから、言論統制疑惑も持ち上がった。

第1波が膨大な人口の割に比較的抑制に成功したのに気をよくしたインド政府は、ワクチン外交と浮かれまくって、周辺国にワクチン6000万回分や、多数の酸素ボンベをばらまいた。本国は抑制されたから、大量のストックは不要と大盤振る舞い、のちのディザスターへとつながるのである。

なんという浅はかな決断だったろうか。まったく信じ難い失策、過去のスペイン風邪(1918年から1920年にかけ全世界的に大流行したH1N1亜型インフルエンザの通称)の教訓や、近々(きんきん)の欧米の第2波・第3波を見ても、早晩第2波がやってくることはわかっていたろうに、甘く見積もって他国優先の愚策を冒してしまったのである。

確かに、第1波は、欧米に比べ、人口比率から見た累計数や、致死率も低かったため、過信してしまったのだと思うが、仮にも一国の政府ともあろうものが専門家の意見を無視しての暴走は、許さざるべきものでない。13億5000万人の尊い命がかかっている、ワクチンや酸素、医薬品のばらまきはまこと浅慮というほかはない。私も、モディ・リザインのコールに率先して加わりたいくらいだ。

相変わらず首都圏のデリー(Delhi)はじめ、赤信号点滅州で酸素欠乏(闇値で15倍、日本円にして約6万円も)や、ワクチン不足が相次ぎ、1日からの18歳から44歳への接種もままならないという膝元の無防備を招いてしまった。

そんな中、アメリカはじめの欧米主要国から、ワクチンの原材料や、医薬品・各種医療機器が届いているが、近々、ロシアから500万回分のワクチン「スプトニークⅤ」が到着予定になっている。

中国ですら、支援リストに名を連ねているが、日本の名はない。日本もワクチンは輸入に頼っているし、関西の医療危機で、感染症部門が脆弱なだけに、とてもそんな余裕はないのかもしれない。個人や民間企業でできる支援があったら、考慮していただきたいと思うが。

インドの未曾有の危機は、本国だけにとどまらない、世界的大危機だからである。変異株の流行は欧米から、アジアに移行しているし、対岸の火事と見過ごして欲しくない。人は移動するし、インド株もそれに伴って蔓延のリスク大である。

現に日本では、既に21例のインド株が見つかっている。地球運命共同体、全世界の人類がパンデミックという前代未聞のクライシスに瀕している。人種問わず、倒産や失職、事業不振で喘いでいる。自殺者や精神疾患者も増えるだろう。目に見えない手強い敵を相手に、人類は疲弊している。

地球的規模の大危機だけに、国・人種を問わず、一致団結しての合同戦が必要になる。自国のみの利害にこだわっている場合でない。21世紀の、誰もが予想だにしなかった新ウイルス対抗戦に、世界がひとつになって立ち向かう必要がある。

ワクチン分配を巡って、争っている場合でない。ましてや、コロナ征伐に成功した国が、これを好機とばかり、弱っている国々をしり目に、勢力拡大行為に走るのは、世界共同体の一員としてルール違反、断じて許さざるべきものでない。

日印友好の歴史ははるか、奈良時代(710年から794年)に遡る。インド人僧・菩提遷那(ぼだいせんな、704-760)が東大寺の盧舎那仏(るしゃなぶつ)の開眼供養の導師を務めたときから、明治期の岡倉天心(1863-1913)とタゴール(Rabindranath Tagore、1861-1941、1913年にノーベル文学賞を受賞した国民的詩人)の交友まで、在留邦人の私としても、日本からの温かい支援を期待したい。

物的支援のみならず、精神面でのサポート、同じ地球家族の一員を温かく見守る目、収束を祈るパワーが届けば、倒れた巨象はむくりと立ち上がるかもしれない。

●観戦記こぼれ話/最終回は?

昨年4月13日から連載開始した「インド発コロナ観戦記」も、1年以上たった今回で68回に達した。大体5日から6日に1度くらいの割で送っていたことになるが、当初の予定では、50回まで連載したら目処がつくだろうから、日本に帰ろうと思っていた。最終回は、帰国(隔離)ルポにするつもりだった。

あにはからんや、思惑を外れて、50回に達しても、帰国の目処は立たなかった。亡夫の1周忌が昨年12月初旬に行われたこともあって、年内帰国を見合わせ、来春に延期することにしたのだ。そうするうちに、日本は2度目の緊急事態宣言、春の帰国が危ぶまれ、再延期を余儀なくされた。

そして、ご覧の通り、今度はインドが第2波突入、変異株で水際対策も強化され、にっちもさっちもいかなくなった。

多分今年いっぱいは無理だと諦めているが、仮に来春戻るとして、2022年3月までに連載が何回になるだろうかと概算すると、約120回、もし奇跡的に母子で帰国できたとしたら、最終回は、亡き伴侶が夢でもう一度福井に行きたいと訴えてきた私の郷里に戻り、日本海に遺灰を撒布する儀式のレポートになるはずだ。

今回はいわば、観戦記の山場、TSUNAMI級第2波で揺らぐ在住者の思いをありのままに伝える、ややエモーショナルなルボという意味でも、折り返し点の山、中盤クライマックスだ。ちなみに、来春の帰国がまた延び、夏もしくは秋になる場合、翌9月と仮定して、150回程になる。

第3波もあるだろうから、終息の日まで発信予定、まだ当分連載は続くので、読者の皆様におかれましては、引き続きご愛読の程切にお願い申し上げる次第である。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は2020年3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

2021年5月6日現在、世界の感染者数は1億5565万5853人、死者は325万2119人、回復者数は9197万0391人です。インドは感染者数が2107万7410人、死亡者数が23万0168人、回復者が1728万0844人、アメリカに次いで2位になっています。

ちなみにアメリカの感染者数は3260万4495人、死亡者数が58万0061人(回復者は未公表)、ブラジルの感染者数は1500万3563人、死亡者数が41万6949人、回復者数が1328万5589人です。日本は感染者数が62万2693人、死亡者数が1万0625人、回復者が54万3228人(ダイヤモンド・プリンセス号を含む)。インドの州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。

また、インドでは2020年3月25日から4月14日までを「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日までを「ロックダウン2.0」、5月1日から17日までを「ロックダウン3.0」、18日から31日を「ロックダウン4.0」、6月1日から6月末まで「アンロックダウン(Unlockdown)1.0」、7月1日から「アンロックダウン2.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン/アンロックダウン」と総称しています。

ただし、インド政府は2020年5月30日に感染状況が深刻な封じ込めゾーンについては、6月30日までのロックダウンの延長を決め、著者が住むオディシャ州は独自に6月末までの延長を決め、その後も期限を決めずに延長しています。この政府の延長を「ロックダウン5.0」と分類しています。2021年3月から第2波に突入するも、中央政府は全土的なロックタウンはいまだ発令せず、各州の判断に任せている。マハラシュトラ州や首都圏デリーはじめ、レッドゾーン州はほとんどが州単位の、期間はまちまちながら、ローカル・ロックタウンを敷いている。編集注は筆者と関係ありません)。