丸善丸の内・日本橋で加賀九谷焼展、吉田美統、山本篤、針谷絹代ら

【銀座新聞ニュース=2021年9月5日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)と丸善・日本橋店(東京都中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は9月8日から14日まで「第3回現代加賀九谷焼作家展」を開く。

丸善・丸の内本店と丸善・日本橋店で9月8日から14日まで開かれる「第3回現代加賀九谷焼作家展」の丸善・丸の内本店のフライヤー。

丸善ジュンク堂書店と現代加賀九谷焼実行委員会(加賀九谷陶磁器協同組合、九谷焼伝統工芸士会)が共催するイベントで、日本の色絵陶磁の代表的な「九谷焼(くたにやき)」は江戸時代前期、九谷村(現石川県加賀市)で生まれ、360年を超える歴史と、現代に続くさまざまな絵付け様式がある。

今回は丸の内本店4階ギャラリー・特設会場と日本橋店3階ギャラリー・特設会場で、次世代を担う若手作家たちの多彩な作品と、揺るぎない重鎮の作品を幅広く展示販売する。

また、日本橋店3階ギャラリーで8日から14日まで「九谷細密工芸のこれから」を開く。「緻密で美しい繊細なラインが織り成す可憐な世界」(丸善)の作品について、福島武山さんの一門、弟子の九谷焼作家12人が制作した細やかな絵付け作品を展示販売する。

丸の内本店側の出品者は今回は石川県陶芸協会理事長、九谷焼技術保存会会長、九谷焼振興協会会長で、石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会相談役、「九谷焼釉裏金彩」の重要無形文化財保持者(人間国宝)の吉田美統(みのり)さん、加賀九谷理事長で、同連合会副理事長、九谷焼伝統工芸士会会長の山本篤さん、その兄で、加賀九谷陶磁器協同組合理事長で、石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会副理事長の山本長左さん。

2016年に第39回伝統九谷焼工芸展で技術賞を受賞した九谷焼伝統工芸士の宮本直樹さん、2003年に現代美術展で最高賞を受賞した九谷焼伝統工芸士の山口義博さん、「加賀陶苑」代表取締役で、九谷焼伝統工芸士の山本芳岳さん、2012年に日本伝統工芸石川支部展で金沢市長賞を受賞している高聡文(としふみ)さん、山本篤さんの子息で九谷焼伝統工芸士の山本高寛さん。

九谷焼伝統工芸士の前田昇吾さん、2017年に石川県伝統産業技術奨励賞を受賞している山本浩二さん、山本芳岳産の子息で2018年に石川県伝統産業技術奨励賞を受賞している山本秀平さん、九谷焼伝統工芸士の清水一人さん、伝統工芸士の針谷絹代さんの13人。

日本橋店側の出品者は日本伝統工芸士会副会長、石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会相談役の福島武山さん、日本現代工芸美術家協会評議員、石川県美術文化協会理事、小松美術作家協会会長、金沢学院大学名誉教授、九谷焼伝統工芸士の浅蔵五十吉さん、2012年に伝統九谷焼美術展で大賞を受賞した山中國盛さん。

丸善・丸の内本店と丸善・日本橋店で9月8日から14日まで開かれる「第3回現代加賀九谷焼作家展」の丸善・日本橋店のフライヤー。

2019年に創造美術展で、最高賞、大賞を受賞している日本伝統工芸士の福田良則さん、2021年に伝統九谷焼工芸展で技術賞を受賞した九谷焼伝統工芸士の三代仲田錦玉さん、2014年に伝統九谷焼工芸展で大賞を受賞し伝統工芸士の宮本雅夫さん、2020年に第22回日本伝統工芸士会作品展で大船渡市長賞を受賞した九谷焼伝統工芸士の堀江祐夫子さん、2015年、2016年に改組された新第2回日展、新第3回日展で入選し、2017年に第40回伝統九谷焼工芸展で保存会技術賞を受賞した北出太郎さん。

2017年に第40回伝統九谷焼工芸展で石川県陶磁器商工業協同組合理事長賞を受賞した伝統工芸士の苧野(あさの)直樹さん、2019年に第66回日本伝統工芸展で入選した伝統工芸士の木戸優紀子さん、石川県加賀市にある工房で器などを制作している道場(どうば)八重さん、2113年に築窯し、食器を制作している弦巻玲子さんの12人。

「九谷細密工芸のこれから」に出品する12人は福島武山さん、伝統工芸士の三代仲田錦玉さん、林美佳里さん、架谷(はさたに)庸子さん、吉村茉莉さん、福島武山さんの娘、福島礼子さん。

吉田純鼓さん、今川朋実さん、早助千晴さん、勝亦秀彰さん、村松道浩さん、大岩千珠さん。

ウイキペディアなどによると、九谷焼は石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器で、大聖寺藩領の九谷村(現石川県加賀市)で、良質の陶石が発見されたのを機に、加賀藩の命により、藩士の後藤才次郎(1634-1704)を佐賀・有田へ技能の習得に赴かせ、帰藩後の明暦初期(1655年ころ)、藩の殖産政策として、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりとされる。

しかし、約50年後(18世紀初頭頃)突然、廃窯となり、窯跡は加賀市山中温泉九谷町にあり、1号窯、2号窯と呼ばれる2つの連房式登窯と、19世紀に再興された吉田屋窯の跡が残っており、この間に焼かれたものは、現在「古九谷(こくたに)」と呼ばれている。

古九谷の廃窯から、約1世紀後の1807年に加賀藩が京都から青木木米(1767-1833)を招き、金沢の春日山(現金沢市山の上町)に春日山窯を開かせたのを皮切りに、数々の窯が加賀地方一帯に立った。これらの窯の製品を「再興九谷」という。

同じ頃、能美郡の花坂山(現小松市八幡)で、新たな陶石が発見され、今日まで主要な採石場となった。これらの隆盛を受け、それまで陶磁器を他国から買い入れていた加賀藩では、1819年に磁器を、1820年に陶器を、それぞれ移入禁止にした。

1832年ころに小野窯に陶匠として招かれる、寺井村(現能美市寺井町)生まれの九谷庄三(1816-1883)は能登の火打谷(現志賀町)で、「能登呉須」と呼ばれる顔料を発見し、後の九谷焼に多大な影響を与え、1840年ころに故郷に戻り、寺井窯を開いた。ヨーロッパから入った顔料を早い時期から取り入れ、彩色金欄手(さいしょくきんらんで)を確立し、庄三風と呼ばれる画風は後にヨーロッパに輸出される九谷焼の大半に取り入れられることになる。

明治時代に入り、九谷焼は主要な輸出品となり、1873年のオーストリア・ウィーン万国博覧会などの博覧会に出品されると同時にヨーロッパの技法も入り込んだ。1872年ころから型押しの技術が九谷焼にも取り入れられ、1892年ころから、獅子を始めとする置物の制作が盛んとなり、大正時代になると型が石膏で作られるようになり量産化が進んだ。

また、明治維新による失業士族の授産施設として1872年に誕生した金沢区方開拓所製陶部は、砂子吉平(生没年不詳)、初代諏訪蘇山(1851-1922)らの参加を得て成果を上げ、1876年には「石川県勧業場」と名を改めた。1887年に金沢工業学校(現石川県立工業高校)が開校し、次代の陶芸家が育成されるようになった。

現在、九谷焼は陶器と磁器があり、上絵付けを九谷でしたものを「九谷焼」と呼んでいる。陶器は原料が陶土(粘土)で、温かみがあり、全体に厚くぽってりした感じで、指ではじくと、鈍い音がする。一方の磁器は原料が陶石(石の一種)で、白く堅い感じがあり、薄くて軽くて丈夫で、指ではじくと「チン」と金属質の音がする。

また、茶わんの「わん」の漢字は「苑」の「草かんむり」のない字と「皿」を合わせる、「石」と「宛」を合わせる、「土」と「宛」を合わせる、「木」と「宛」を合わせる4種類があり、「皿」を合わせた「わん」は基本的にフタがない茶碗をさし(後世にはフタ付もある)、「抹茶わん」などに使われている。「石」の茶わんはフタ付の磁器、「土」の茶わんは素焼きでフタ付の器、「木」は木製のフタ付の漆器をさしている。

8日から12日まで11時、14時、16時の1日3回、九谷焼豆皿・コースターの本格絵付け体験会を開く。作家が事前に線描きを行った素地に、各工房独自の釉薬を使って彩色する(テーマは華・鳥)。その後、九谷に持ち帰り、窯元にて最終的に仕上げ、焼成したものを店頭で渡す。定員は各回とも6人で、制作時間は約1時間30分、費用は1万1000円(税込、材料費一式、焼成代込)。事前予約制(03-6214-2001)だが、空きがある場合は当日でも申し込みも可能。

指導する作家は8日と11日は宮本雅夫さん、9日は山中國盛さん、10日は堀江祐夫子さん、12日は北出太郎さん。

開場時間は丸の内本店が9時から21時、日本橋店が9時30分から20時30分(最終日はいずれも15時)、入場は無料。