パラの木村選手の一言に泣いたよ、オリパラ、直に見れず残念(339)

【tamaoのOL独り言=2021年9月23日】オリンピック、パラリンピックが終わって、あっという間にお彼岸ですね。オリンピック中にはなかなかコロナ感染者が減らなかったですが、ここ数日はちょっとだけ落ち着いたようです。

我が家の萩がようやく咲きました。遅いと思ってたけど、お彼岸に咲くって誰が教えたんでしょうね?

そうはいっても、また「緊急事態宣言」(以下宣言)が解除されたら、感染者は増えるのではないでしょうか?小学生、中学生も家庭内感染で増えているとか。ワクチンもまだ接種できないでしょうから。

総理大臣が変わるのであれば、内閣も代わるでしょうし、宣言はどうなるのか?来月まで持ち越しなんでしょうか?

パラリンピックで、すごく印象的だったこと、書かせて頂いていいでしょうか?それは競泳の木村敬一選手の話です。木村選手は視覚障害なのですが、男子100メートルバタフライで金メダルを獲得しましたね。その表彰式で、国歌の「君が代」が流れた時に、急に泣き出したんです。

その時も、もらい泣きしましたけど、後で国歌は金メダリストの特権、それでなければ勝ったことを実感できないと言ったそうな。うう、泣けますね。今でも。

パラリンピックのメダルは、オリンピックと違ってメダルの側面に円形のくぼみがあるそうです。金メダルが1つ、銀メダルが2つ、銅メダルは3つ円形のくぼみによってわかるそう。

パラリンピックの選手は視覚障害だけではないので、他にもあるのかもしれません。でも、きっと競技に出ているアスリートにしてみれば、メダルの色は関係ないかもしれませんね。どの選手も一生懸命取り組んでいて、その場に居なくても伝わってきました。でも、直に見れたらもっと感動しただろうなぁ。

東京オリンピック、パラリンピック、それだけは残念でした。オリバラを振り返って、施設の費用などの見直しをしていますが、今後はパラリンピックの選手にも使えるようにしてもらいたいですね。そして、宣言が解除されたら、見に行きたいですね(敬称略、中堅企業に勤めるOLのタマオさんが日常の生活について思っていることを不定期に書きます。注書きは著者と関係ありません)。

編集注:ウイキペディアによると、木村敬一選手は1990年滋賀県栗東市生まれ、先天性疾患による網膜剥離で、2歳のときに全盲になり、10歳のときに水泳を始め、2003年に小学校卒業と同時に上京し、筑波大学附属視覚特別支援学校(当時筑波大学附属盲学校)に入学し、同校水泳部で頭角を現し、高等部在籍中の2008年に北京パラリンピックに出場した。

2009年に日本大学文理学部に入学、健常者の水泳同好会に入会、大学4年時に出場した2012年ロンドンパラリンピックでは旗手をつとめ、卒業後、同大学大学院文学研究科教育学専攻博士前期課程へ進学、日本大学文理学部教授の野口智博コーチ(元400メートル自由形日本記録保持者)に師事し、2016年リオデジャネイロパラリンピックに出場、2018年にリオ大会で金メダルを争ったアメリカのブラッドリー・スナイダー(Bradley Warren Snyder、1984年生まれ)を指導したコーチに師事するため、単身でアメリカにわたりトレーニングを行っている。

当時、アメリカの住居の近くに巨人に復帰した(2017年はシカゴ・カブスに所属)上原浩治選手の自宅があり、上原選手の妻がさまざまなサポートを買って出て、自宅のホームパーティーに招かれることもあった。

2020年東京パラリンピックでは100メートルバタフライ(S11クラス)で初となる金メダルを獲得、100メートル平泳ぎ(SB11クラス)で銀メダルを獲得した。

過去のパラリンピックでは2008年の北京で100メートル自由形5位、100メートルバタフライ6位、100メートル平泳ぎ5位。2012年ロンドンで100メートル平泳ぎ銀メダル、100メートルバタフライ銅メダル、100メートル自由形5位、50メートル自由形5位。

2016年リオデジャネイロで50メートル自由形銀メダル、100メートル平泳ぎ銅メダル、100メートルバタフライ銀メダル、100メートル自由形銅メダル、200メートル個人メドレー 4位。2020年(2021年)東京で100メートルバタフライ金メダル、100メートル平泳ぎ銀メダル、200メートル個人メドレー5位。

2021年3月26日に東京ドームで行われたジャイアンツとDeNAベイスターズの試合前に始球式を務めた。現在、東京ガス人事部に在籍。日本パラリンピアンズ協会(PAJ)理事。