現実の恐ろしさを描きながら希望も与える、上質の「モーリタニアン」(328)

【ケイシーの映画冗報=2021年11月11日】2001年の9月11日、世界中を震撼させた「アメリカ同時多発テロ事件」が発生しました。「戦争以外ではじめて国土を攻撃された」アメリカは、「テロとの戦い」を宣言し、国外ではアフガニスタンやイラクに大規模な戦力を展開する一方で、国内では新たに国内の治安と安全を保持するための国土安全保障省を設立させます。

現在、一般公開中の「モーリタニアン 黒塗りの記録」((C)2020 EROS INTERNATIONAL, PLC.ALL RIGHTS RESERVED.)。ウイキペディアによると、制作費は1400万ドル(約14億円)。

未知の脅威に即座に対応してみせたわけですが、当時、アメリカ政府で活動されていた方にうかがったところ、
「過剰に反応しすぎで、国土安全保障省は、百害あって一利なし。既存の政府機関で対処できるのに“迅速に対応しました”というポーズにすぎない。9.11以降のアメリカはすべてが過剰反応だ」とコメントされました。

本作「モーリタニアン 黒塗りの記録」(The Mauritanian)は、そんなアメリカの“過剰な反応”にフォーカスした作品で、ドキュメンタリー色の強い作風となっています。

2001年の11月、アフリカ北西部のモーリタニアで暮らすすモハメドゥ(演じるのはタハール・ラヒム=Tahar Rahim)は、現地の警察官に連行されます。アメリカ同時多発テロに深く関わったという“疑い”でした。アメリカに引き渡されたモハメドゥには、「テロに関与した」という自白を引き出すため、高圧的かつ強引な取り調べがなされますが、モハメドゥは懸命に耐え続けました。

2005年、アメリカのニューメキシコ州で人権派の女性弁護士として活動するナンシー(演じるのはジョディ・フォスター=Jodie Foster)が、この案件を無報酬で引き受けました。4年にわたって不当に監禁されているモハメドゥの存在は、見逃せない事案だったのです。

一方、アメリカ政府はモハメドゥの起訴を、軍事検察官のスチュアート中佐(演じるのはベネディクト・カンバーバッチ=Benedict Cumberbatch)に担当させることにします。テロ事件で友人を喪ったスチュアートには、モハメドゥを“テロ事件に関する死刑第1号”とすることが、政府から強く求められていました。

ナンシーとスチュアート中佐は、対決する立場ではありましたが、“真実を希求する”という部分では共通していました。やがて両者はモハメドゥへの過剰な“アメリカ政府の意向”に直面します。起訴も弁護も関係なく、政府の方針はもう確定していたのです。果たしてモハメドゥは自由を取り戻すことができるのか。

モハメドゥ・ウルド・スラヒ(Mohamedou Ould Salahi、1970年生まれ)によって獄中から出版された手記「グアンタナモ日記(Guantanamo Diary)」が本作の原作です。映画化には作中ではモハメドゥと対立するスチュアート中佐を演じたベネディクト・カンバーバッチが、この原作を知って、企画の実現化に大きく寄与したのだそうです。

「モハメドゥの人間性とユーモアと類い稀な忍耐力に加え、これほどの経験をくぐり抜けた人間の精神の不屈さについて圧倒された。彼のストーリーはあまりに痛ましく、心をかき乱されるものだった」と。

プロデューサーも兼任したカンバーバッチの演じる軍事検察官と対決する、女性弁護士役のジョディ・フォスターは、実話に基づく作品ということについての意識を、こう述べています。
「何より難しいのは、正しく語りたい、すべての当事者に対してフェアでありたいと思うこと」

エンターメイメントとしては、敵と味方が明確で、“悪は滅びる”や“正義は必ず勝つ”といったハッピー・エンドが定石ですが、現実世界は決して、この原則に忠実ではないのです。

「戦争とは正義と正義のぶつかり合い」という表現があります。ここに通じるコメントをフォスターが続けます。
「なぜなら私は、真の実話というのは、悪者がいない物語だ、と信じているの。それぞれが自分にできる最善のことをやろうとしている人間たちの集まり。でもそんな人間たちが恐怖によって導かれている」(いずれもパンフレットより)

劇中、モハメドゥに加えられる“通常でない尋問”という名の拷問も、関係者たちは極端に過剰な解釈であったとしても「自分の職務に忠実であっただけ」なのです。

古今東西、一個人では到底できないような残虐・暴虐行為は無数になされています。そうした事象の多くが権力や政府といった、実際に行使する人々よりも上位の存在によって求められ、当事者たちはそれに従っただけというのが実情となっています。

こうした現実を正面から描いた本作は、現実の恐ろしさを感じさせながら、希望も与えてくれる、映画という表現方法を存分に活用した、上質に仕上がった一作といえるでしょう。次回は「カオス・ウォーキング」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。