丸善丸の内で池田満寿夫、草間彌生、村上隆ら現代美術展

【銀座新聞ニュース=2021年11月29日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)は12月1日から7日まで4階ギャラリーで「世界が認めた作家たち-現代美術コレクション展」を開く。

丸善・丸の内本店で12月1日から7日まで開かれる「世界が認めた作家たち-現代美術コレクション展」のフライヤー。

画家、彫刻家、陶芸家、映画監督の池田満寿夫(1934-1997)、作家の草間彌生さん(1929年生まれ)ら、日本を起点に、世界のアートシーンに影響を与えている現代美術家たちの版画作品を展示販売する。

今回、出品するのは、池田満寿夫、草間彌生さんのほか、イラストレ-ターのKYNE(キネ)さん、美術家、版画家の篠田桃紅(とうこう、1913-2021)、現代美術家、ポップアーティスト、映画監督、有限会社カイカイキキの代表取締役、村上隆さん、多摩美術大学名誉教授の李禹煥(りー・うーふぁん)さんら。

ウイキペディアなどによると、池田満寿夫は1934年2月23日に旧満洲国奉天(現遼寧省瀋陽)生まれ、1945年8月に万里の長城の張家口で終戦を迎え、12月に母の郷里長野市に帰国、1951年に第1回全日本学生油絵コンクール(毎日新聞社主催)でアトリエ賞、東京藝術大学を3度受験するも不合格、1955年に11歳年長の下宿の娘・大島麗子と結婚した(その後、離婚せず)。

1957年に第1回東京国際版画ビエンナーレ展公募部門で入選、1960年に詩人の富岡多恵子(1935年生まれ)さんと同棲し(約8年間)、第2回東京国際版画ビエンナーレ展招待出品で文部大臣賞(1962年に第3回で東京都知事賞、1964年に第4回で国立近代美術館賞)、1961年に岩波書店「世界」にカットが採用され、以後、岩波書店「図書」、「朝日ジャーナル」をはじめ新聞各紙にカットが掲載され、第2回パリ青年ビエンナーレ展で版画部門優秀賞を受賞した。

1965年に第6回リュブリアナ国際版画ビエンナーレ展で入賞(1969年も)、1966年に中国系アメリカ人画家リラン・ジーさんと出会い、その後、ロサンゼルスで同棲を始め(1968年から1979年まで)、第1回クラクフ国際版画ビエンナーレ展で入賞(1970年も)、第33回ベネチア・ビエンナーレ展版画部門で国際大賞、1967年に芸術選奨文部大臣賞、ドイツへ留学、ヨーロッパ各地の工房で版画を制作、1970年に第17回アメリカ国内版画展(ブルックリン美術館)で入賞した。

1977年に「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞、1979年に映画「エーゲ海に捧ぐ」で初監督、イタリアロケでバイオリン奏者の佐藤陽子さんと出会い、恋愛関係に発展し(佐藤陽子さんは1973年から1979年まで外務省の岡本行夫=1945-2020=と結婚)、1981年に映画「窓からローマが見える」を監督し、1982年に東京から熱海市海光町へ転居、1983年に静岡県下伊豆町の岩殿寺窯で初めて作陶、テレビドラマ「大奥」の演出を担当した。

1986年に国立国会図書館新館ロビーに大型タピスリー・コラージュ「天の岩戸」を設置、埼玉県狭山市新庁舎に陶壁を設置、熱海市下多賀にガス窯と電気窯を備え、版画用プレス機も設置した「満陽工房」を開設した。1987年にテレビドラマ「必殺仕事人ワイド 大老殺し 下田港の殺し技珍プレー好プレー」に出演、1989年に相模鉄道6000系「アートギャラリー号」のデザインを手がけ、1993年に増穂登り窯の敷地内に自ら考案した薪窯「満寿夫八方窯」を築窯、1997年に最後の陶作品「土の迷宮」シリーズを焼成し、3月8日に急性心不全により死去、享年63歳。

草間彌生さんは1929年長野県松本市生まれ、1945年に大戦下に疎開してきた画家たちが立ち上げた「第1回全信州美術展覧会」に16歳で入選、松本高等女学校(現長野県松本蟻ヶ崎高校)を卒業、京都市立美術工芸学校(現京都市立銅駝美術工芸高校)の4年生最終課程に編入して日本画を学び、翌年卒業、絵画技法を身につけるも、旧弊な日本画壇に失望し、松本の実家で毎日数十枚以上を描いた。

1957年にアメリカにわたり、ニューヨークを中心に活動、ハプニングと称される過激なパフォーマンスを実施し、ベネチア・ビエンナーレにも参加し、1960年代には「前衛の女王」の異名をとり、平和・反戦運動にも携わった。1968年に自作自演の映画「草間の自己消滅」で第4回ベルギー国際短編映画祭に入賞、第2回アン・アーバー映画祭で銀賞、第2回メリーランド映画祭でも受賞した。

1973年に体調を崩し日本へ帰国、入院し、1978年に処女小説「マンハッタン自殺未遂常習犯」を発表、1983年に小説「クリストファー男娼窟」で第10回野性時代新人文学賞を受賞、1993年にベネチア・ビエンナーレに日本代表として参加、2000年に第50回芸術選奨文部大臣賞、2001年に朝日賞、2002年に紺綬褒章、2006年に旭日小綬章、ライフタイムアチーブメント賞、高松宮殿下記念世界文化賞、2009年に文化功労者、2013年に東京都新宿区に個人美術館を建て、2014年に安吾賞、2016年に文化勲章を受章している。

KYNEさんは1988年福岡県生まれ、2006年頃から福岡を拠点に活動している。

篠田桃紅は1913年中国の関東州大連生まれ、5歳頃から父に書の手ほどきを受け、女学校時代以外はほとんど独学で書を学び、1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家と交流を持つが、1956年にアメリカにわたり、抽象表現主義絵画が全盛期のニューヨークで作品を制作し、ボストン、シカゴ、パリ、シンシナティなどで個展を開いた。

文字の決まりごとを離れた新しい墨の造形を試み、その作品は水墨の抽象画=墨象と呼ばれ、アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得るが、乾いた気候が水墨に向かないと悟り、1958年に帰国し、以後は日本で制作し、各国で作品を発表した。

1974年に増上寺の大本堂、ロビーのために壁画を、道場のために襖絵を、エレベータ内部のためにステンレスエッチングを制作、1977年にワシントン駐米日本大使館公邸のために壁画を制作した。1979年に随筆集「墨いろ」(PHP研究所)で第27回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。

和紙に墨、金箔、銀箔、金泥、銀泥、朱泥といった日本画の画材を用い、限られた色彩で多様な表情を生み出し、万葉集などを記した文字による制作を続けるが、墨象との線引きは難しいとされ、近年はリトグラフも手掛けた。1993年に皇居食堂のために絵画を制作した。

2000年代に入り、新潟県新潟市や岐阜県関市に篠田桃紅の名を冠するギャラリーが相次いで開館した。2014年5月に沼津市役所特別応接室に1966年に納入した壁画「泉」が、30年以上存在が忘れられた状態から再発見されたことが報じられた。2015年に「一〇三歳になってわかったこと」(幻冬舎)が45万部を超えるベストセラーになった。2021年3月1日、老衰のため東京都青梅市の病院で死去した。

村上隆さんは1962年東京都板橋区生まれ、1986年に東京藝術大学美術学部日本画科を卒業、1988年に同大学大学院美術研究科修士課程を修了、1993年に同大学大学院博士後期課程を修了、博士号を取得、1994年にロックフェラー財団のACCグラントを得て、「PS1.ART PROJECT」の招待を受けニューヨークに滞在、1998年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校美術建築学部客員教授、2001年にアート制作、映像制作や所属アーティストマネイジメントなどを企画・運営・販売する芸術事業の総合商社「有限会社カイカイキキ」と起業、事業部としてアニメスタジオ「STUDIO PONCOTAN(スタジオ ポンコタン)」を立ち上げた。

2002年より若手アーティスト向けのアートイベント「GEISAI(ゲイサイ)」を継続的に開いている。2005年にニューヨークで個展「リトルボーイ展」を開き、2006年に「リトルボーイ展」がキュレーターに送られる世界で唯一の賞、ニューヨークの美術館開催の最優秀テーマ展覧会賞を受賞、同年に「リトルボーイ展」に対して芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した。2008年に「GQ MEN OF THE YEAR 2008」を受賞、2013年に映画「めめめのくらげ」を監督している。2016年に「村上隆の五百羅漢図展」について、平成27年度(第66回)芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。

李禹煥さんは1936年韓国慶尚南道生まれ、1956年にソウル大学校美術大学を中退、来日し、1961年に日本大学文学部哲学科を卒業、1969年に「事物から存在へ」が美術出版社・芸術評論募集で入賞、1977年に第13回現代日本美術展で東京国立近代美術館賞、1979年に第11回東京国際版画ビエンナーレで京都国立近代美術館賞、1979年に第1回ヘンリー・ムーア大賞展で優秀賞、1990年に韓国文化省より文化勲章花冠、1991年にフランス文化省より芸術文化勲章シュヴァリエを授与されている。

1994年に日本文化デザイン賞、2001年に世界文化賞の絵画部門賞、2002年に上海ビエンナーレでユネスコ賞、2002年に紫綬褒章、2006年に第47回毎日芸術賞、2007年にフランス政府よりレジオンドヌール勲章、2009年に旭日小綬章を授与している。2010年に香川県直島町に李禹煥美術館を開館、2015年に釜山市立美術館敷地に李禹煥ギャラリー(Space LeeUFan)を開館している。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)。