ミッドナイト・エンジェル(2)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2021年12月10日】結局、女は4番手のウリエルをパスして、5番、6番ならまだしも、よりにもよって、最下位のお茶引きホスト、サタンを選んだ。

なんでと、蓮は唖然とした。ホスト選びもどこか上の空で、さりげなく店内を見回したり、探るような視線を這わせたりと、まるで、誰かを探している風情だ。ホスト遊びには興味がなく、雨宿りの気紛れのような感じすらした。

客の嗜好に口出しはできず、蓮もヘルプとして、飲み物の給仕や灰皿替えを、補助椅子に座って受け持った。

店の嫌われ者で最低ランクのホストのヘルプをするのは屈辱だったが、浮世離れした美女は、サタンが滅法気に入った様子だった。客あしらいの下手なサタンもいつになく、弁舌滑らかに新参姫の相手をしている。

「3大天使に振られちゃったから、対抗措置として、あなたを選んだけど、正解だったわ」

「ありがとうございます」

「それにしても、面白い趣向ね。天使もいれば、最大の敵のサタンまでいる」

「関西一の売れっ子ホストだったオーナーのアイディアです」

蓮はつい、口を差し挟んだ。

「京都でのホスト時代、パニック障害のお客さんがいて、社長の接待で回復したらしいです。で、いつか独立したら、癒し系のホストクラブを田舎町に作ろうと、考えていたらしいです」

「そう。その社長さんは、今日はこちらに見えてないの」

「さあ、今日はどうだか。雨が降っていますから」

サタンがお株を奪われまいと、会話の主導権を自分に取り返そうとする。久々についた客だ、何とか次の来店へと漕ぎ着けて、指名へと繋げたいところだろう。万年ビリから脱する万に一つの機会かもしれなかったから。

この謎めいた妙齢の美姫(びき)は、常連の太客が束になってかかってもかなわないような、優雅でラグジュアリアスな雰囲気を備えていた。怜悧な美貌は、ミカエルだって、ガブリエルだって、仕事を忘れてメロメロにしそうだ。現にサタンはとうに魔力にかかったように、うっとりしていたし、蓮自身も、憧憬が募るばかりだった。

が、ヘルプがホストの担当客に向かって直接話しかけることはタブーなので、蓮はしょうがなしに引っ込んだ。

サタンの奴め、謹慎が解けたら、いびってやると、内心毒づいた。トップ2人が不在の今こそ3番手の自分の恰好の出番なのに、飛び切り魅惑的な姫の接待をできないのは、歯痒かった。

サタンはすっかり調子に乗っている。

「雨、なかなか止まないわね」

女は頬に垂れてきた長い髪を掻きき上げると、小さなため息をついて、ジンのグラスを空けた。

「もう一杯、何か飲み物はいかがですか」

「そうね。白ワインを頂こうかしら」

蓮がワイングラスを手に戻ると、サタンが救われたような顔をして、こちらを見た。

「エンジェルズがいつ、オープンしたかって、訊かれたんですけど」

クラブ史に疎いサタンは、生え抜きの蓮をちらと仰いで助言を求めたのだ。ったく、てめぇの働く店の創業年くらい、覚えとけっていうんだ。そんなだから、いつまでたっても、どん尻から這い上がれないんだ。出来の悪い後輩の愚鈍ぶりにイラついたが、堂々と口出しできる権利を移譲されたような気もして、ほくそ笑んだ。

「5年前です。初期はホストも3名しかいなかったんですよ。ミカエルとガブリエルとラファエルの、3大天使のみ。ミカエルとガブリエルは何度も辞めて、今の顔ぶれに落ち着いたのが3年前。癒し系のホストクラブとして、雑誌に取り挙げられ、人気が出て繁盛し始めたんです」

「そういえばさっき、あるお客さんがきっかけだったと言ったわね」

「ええ、社長が京都でのホスト時代、パニック障害のお客さんがいたらしく、店で発作を起こされたのを、親身になって介抱したらしいです。それがきっかけで指名され、以降も献身的にフォローし続けて、回復まで持ち込んだとか」

「へえ、なるほどぉ、それが天使クラブのアイディアに繋がったわけかあ」

サタンが大仰な相槌を打って、横槍を入れる。蓮は黙れと言わんばかりに睨みつけて、口出しを封じると、続けた。

「社長は、ホストに転身する前、芸能界で結構売れてたバンドの1メンバーだったんです。そのグループのボーカルがパニック障害で続けられなくなって、解散を余儀なくされた。だから、この病気に関しては、予備知識があったんです」

懲りずに、サタンがまた差し出がましい口をきいた。

「芸能人にパニック障害って、多いですよね。やっぱり生半可でないストレスがかかるからかなあ」

サタンの知ったかぶりを無視して、続ける。女性は口を挟まず、じっと聞き役に徹していた。好感の持てる静がな物腰に、滑舌が進んだ。

「で、バンドを辞めた後、俳優に転向することも考えたらしいんですけど、芸能界に向いてないと思って、足を洗ったらしいです。今38歳ですが、渋いイケメンで、年配客には、隠れファンが多いんですよ」

一見客にペラペラと、内輪話を洩らしてしまったのは、女性の雰囲気に呑まれたせいかもしれない。

オーナーの素性をあからさまにするのはタブーのような気もしたが、既に社長は雑誌のインタビューに答えて、ユニークなクラブを始めた動機として、公けにしていたので、問題ないだろうとも思った。

蓮は、社長とその女性が単なる客とホストの関柄を超えた仲だったろうと想像していたが、さすがにそれは口にすることははばかれた。

ところが、サタンがいけしゃあしゃあと言ってのけたのだ。

「社長、その人のこと、好きだったんじゃないかな。そこまでの思い入れがないと、癒し系のクラブで、悩める姫たちを救おうなんて発想、普通思いつかわないでしょう」

お前、憶測でものを言うなよとサタンのしたり顔をこづいてやりたくなったが、のろまな駄目ホストにしては珍しく、的を得た指摘ではっと胸をつかれるものがあった。

「私、そろそろ帰るわ」

女がだしぬけに立ち上がった。サタンは矢庭に、落胆の色を露わにした。

「まだ制限時間までに30分もありますよ。もう一杯だけ飲んでいかれませんか」

「今夜は京都に宿を取ってあるの。あまり遅くなると、列車がなくなるから」

「そうですか。残念だなあ。また、次に寄られる機会があれば、ぜひ」

女はちょっと考え込むような顔つきをした後、

「そうね、いつかまた」

と煙に巻くように投げて、黒いシルクのショールをふわりと頭上にまとった。送り指名を受けた蓮がエントランスまでエスコートすると、差し出したビニール傘を退けて、そぼ降る雨の中に飛び出した。

ショールが雨糸を梳くように舞って、優雅な墨一色の闇に溶け込みそうな後ろ姿の幻想的な美しさに吸い込まれ、蓮は取り憑かれたようにその場に佇んでいた。

ひととき後、入れ替わりに現れた社長は、ずぶ濡れで、顔は血の気が失せて真っ青だった。

「今そこで、過去の亡霊を見たよ。目の錯覚だったのかもしれない」

とっさにタオルを手渡した蓮に、意味不明の独りごちるようなつぶやきを洩らした。
(「ミッドナイト・エンジェル」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げており、「インド発コロナ観戦記」とは別に、短編など小説に限定してひとつのタイトルで掲載します。本人の希望で画像は使いません)