お江戸日本橋亭で元旦から演芸会、神田紫、立川談幸ら

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【銀座新聞ニュース=2012年12月26日】永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル、03-3245-1278)で1月1日から1月3日まで「お江戸日本橋亭初春演芸会」を開催する。

永谷商事が1月1日から3日まで「お江戸日本橋亭」で開催する「お江戸日本橋亭初春演芸会」に出演する神田紅さん。

2010年から永谷商事が主催している元旦から行う演芸会で、9時と11時の2部制で開いている。前座以外はすべて真打(真打級)が出演する。

1月1日9時からは前座に続いて、1999年に真打に昇進し、2011年に11代目を襲名した桂文治(かつら・ぶんじ)さん、1999年に真打に昇進した桂歌助(かつら・うたすけ)さん、1989年に真打に昇進した神田紅(かんだ・くれない)さん、1987年に真打に昇進した立川談幸(たてかわ・だんこう)さんが出演する。

11時の第2部は前座い続いて、2007年に真打に昇進した三笑亭夢花(さんしょうてい・ゆめはな)さん、1981年に真打に昇進した10代目土橋亭里う馬(どきょうてい ・りゅうば)さん、1989年に真打に昇進した日本講談協会会長の神田紫(かんだ・むらさき)さん、1979年に真打に昇進した三遊亭鳳楽(さんゆうてい・ほうらく)さんが出演する。

永谷商事が1月1日から3日まで「お江戸日本橋亭」で開催する「お江戸日本橋亭初春演芸会」に出演する三遊亭鳳楽さん。

1月2日9時から前座に続いて、1993年に真打に昇進した桂小文治(かつら・こぶんじ)さん、1990年に真打に昇進した滝川鯉昇(たきがわ・りしょう)、2010年に芸能生活30周年を迎えた「色物」で春風亭美由紀(しゅんぷうてい・みゆき)さん、三遊亭鳳楽さんが出演する。

11時の第2部は前座に続いて、1988年に真打に昇進した三遊亭小円楽(さんゆうてい・こえんらく)、1989年に真打に昇進した3代目桂伸治(かつら・しんじ)さん、神田紅さん、1978年に真打に昇進した9代目春風亭小柳枝(しゅんぷうてい・こりゅうし)さんが出演する。

1月3日9時は前座に続いて、2000年に真打に昇進した5代目春風亭柳好(しゅんぷうてい・りゅうこう)さん、立川談幸さん、2008年に真打に昇進した神田阿久鯉(かんだ・あぐり)さん、1981年に真打に昇進した三遊亭好楽(さんゆうてい ・こうらく)さんが出演する。

11時の第2部は前座に続いて、桂歌助さん、1982年に真打に昇進した6代目立川ぜん馬(たてかわ・ぜんば)さん、1977年に真打に昇進し、1992年に3代目を襲名した神田松鯉(かんだ・しょうり)さん、1980年に真打に昇進した昔昔亭桃太郎(せきせきてい・ももたろう)さんが出演する。

入場料は2000円。

ポーラ銀座で木村貴史らユニット「プランティカ」展

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【銀座新聞ニュース=2012年12月26日】ポーラ・オルビスホールディングス(中央区銀座1-7-7、ポーラ銀座ビル、03-3563-5517)が運営するポーラミュージアムアネックス(ポーラ銀座ビル3階、03-3563-5501)は12月19日から2013年1月27日まで華道ユニット「プランティカ(plantica)」による「プランティカ・ノマディック(plantica_nomadic)」を開催している。

ポーラミュージアムアネックスで2013年1月27日まで開催されている華道ユニット「プランティカ(plantica)」による「プランティカ・ノマディック(plantica_nomadic)」に展示されている作品。

「プランティカ(plantica)」は華道家の木村貴史(きむら・たかし)さんを中心におおくりただひさん、ぜんちそんさんの3人で2007年に結成したユニットで、生け花をもとにして、現代的な花のディスプレイやアレンジを手がけており、今回は「植物」をテーマにしている以外は、制約がなく、布にプリントされた花なども華材にした作品を展示している。

「プランティカ」はファッションの大手メゾンのレセプションパーティーをはじめ、歌舞伎の装花やテレビ番組の空間演出を手がけ、表参道ヒルズ、東京ミッドタウン、BMW、フィアットカフェなどでインスタレーションを行なっている。また、マカオのホテルの館内装花をディレクションなども担当している。

ポーラミュージアムアネックスで現在、開催中の華道ユニット「プランティカ(plantica)」による「プランティカ・ノマディック(plantica_nomadic)」に展示されている作品。

木村貴史さんは1981年生まれ、2007年に「プランティカ」を結成し、2009年にユニクロのCMに出演し、注目される。最近の仕事としてナイキのパブリックアイコンやグリーンディレクションなどを手がけている。

開場時間は11時から20時まで、入場は無料。

リンツがガレット、フェーヴでチョコプレゼント、福袋も

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【銀座新聞ニュース=2012年12月25日】スイスのチョコレート・菓子メーカーのリンツ&シュプルングリー(Lindt&Spruengli AG)の日本法人、リンツ&シュプルングリージャパン(中央区銀座7-6-12)は2013年1月2日から1月20日まで「リンツ ショコラ カフェ銀座店」(中央区銀座7-6-12、03-5537-3777)などで「ガレット・デ・ロワ」を販売する。また、1月2日から1月4日の3日間、福袋を販売する。

2013年1月2日から20日まで「リンツ ショコラ カフェ銀座店」などで販売される「ガレット・デ・ロワ」。フェーヴが当たると、チョコのプレゼントも。

リンツは2012年から「ガレット・デ・ロワ」を販売しており、2013年の「ガレット・デ・ロワ」はチョコとオレンジを組み合わせ、バターを使ったチョコ風味のパイ生地、中にはカカオの香りのダークチョコのガナッシュとオレンジ風味のアーモンドクリームがはさまれている。オレンジピールのデコレーションがほどこされ、幸運の「フェーヴ」にはローストマカダミアナッツを使用している。

店内でガレット・デ・ロワを注文して食べる場合は、自ら1ピースを選べ、ローストマカダミアナッツが入っていた場合は、スタッフが王冠を載せて祝福し、チョコのプレゼントがもらえる。

一方、福袋はトリュフやさまざまな種類のタブレットチョコ、リンドールも入っている。

ウイキペディアによると、「ガレット・デ・ロワ」とはフランスで「公現祭」(キリスト教では1月6日)の日に食べられる菓子で、一般的なものは紙の王冠がのった折りパイにフランジパーヌ(アーモンドクリーム)が入ったパイ菓子をいう。中にはフェーヴ(feve、ソラマメ)と呼ばれる陶製の小さな人形がひとつ入っている。

公現節に家族で切り分けて食べ、フェーヴが当たった人は王冠を被り、祝福を受け、幸運が1年間継続するといわれる。名称の「ロワ」(王たち)とはフランス語で「ロワ・マージュ」(rois mages)と呼ばれる東方の3博士を指している。

伝統的には、家族が集まった中で一番小さい子どもをテーブルの近くに呼び、目隠しをして大人の誰かが切り分け、この子どもに誰に配るかを指名させる。フェーヴが当たった者は次の週末の会食の際にガレット・デ・ロワを自作するか購入して皆に供した。

この際、前回王冠を手にした者は、この者が男性であった場合は女王を、女性であった場合は王を家族の中から選ぶ。子どもを喜ばせるため、しばしばこの女王か王は子供が選ばれる。この行事はだいたい1月一杯の間行われる。元々フェーヴは本物のソラマメだったが、1870年に陶製の人形が使われるようになり、現在ではプラスチック製のフェーヴもある。

ガレット・デ・ロワは1月1日の14時に売り出されるのが慣習になっており、フランス人はこれを食べないと1年が始まらないとされている。

ガレット・デ・ロワの起源は、古代ローマのサートゥルヌス(ローマ神話の農耕神)の祭典サートゥルナーリア(農神祭、12月17日から23日まで開催される)にさかのぼる。サートゥルナーリアの饗宴では豆をひとつ入れたケーキが供され、豆が当たった出席者を宴の王とする習慣があった。

リンツ&シュプルングリーは菓子職人のダーフィート・シュプルングリー(David Sprungli-Schwarz)がスイス・チューリッヒの小さなパティスリーのパティシエを経て、1836年にその店のオーナーとなり、1845年に自家製チョコの製造をはじめ、息子のルドルフ(Rudolf Sprungli-Ammann)とチューリッヒのオールドタウン、マルクトグラッセに小さな菓子店を開いたのがはじまりとされている。当時人気だったイタリアのレシピを使って、チョコを作り、2年後に工場を設置した。

一方、チョコ職人として知られていたロドルフ・リンツ(Rodolphe Lindt)は1879年に「コンチングマシン」という精練装置を発明し、口どけなめらかなチョコを生み出し、「チョコならスイス」という名声を確立した。1892年にルドルフ・シュプルングリーが第一線を退き、事業を2人の息子に委ね、弟のダーフィート・ロベルト(David Robert)が2つの菓子店を引き継ぎ、兄のヨハン(Johann Rudolf)はチョコ工場を継承した。

1899年にリンツとシュプルングリーが合併し、20世紀初頭はスイスチョコ産業の開花期であり、輸出においてもめざましい発展をとげ、「リンツ&シュプルングリー社」は1915年には生産量の75パーセントを世界20カ国に輸出していた。しかし、1920年から1945年には世界的な保護貿易政策のあおりと不況の波を受け、赤字に陥り、第2次世界大戦では砂糖とカカオの厳しい輸入規制により、売り上げが低迷した。

1947年にイタリア、1950年にドイツ、1954年にフランスとライセンス契約を結び、1972年に独自に開発した製法を使った製品を生み出し、品質を維持しながら効率をあげることに成功し、1994年にキルシュバーグに親会社「チョコレートファブリケン・リンツ&シュプルングリー」を設立、現在、工場がスイス、ドイツ、フランス、イタリア、アメリカ、オーストリアにあり、世界100カ国で販売している。

価格はガレット・デ・ロワがホールで3600円、1ピース600円。福袋は3000円と5000円がある。

銀座店の営業時間は平日が11時から21時(12月29日と1月2日から1月4日は19時)、土・日曜日、祝日が11時から20時。12月30日から2013年1月1日が休み。

日本橋三越で東海道五十三次等山下清展、甥の山下浩がトーク

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【銀座新聞ニュース=2012年12月25日】日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は12月27日から2013年1月14日まで新館7階ギャラリーで「生誕90周年記念 山下清展」を開催する。

日本橋三越で12月27日から2013年1月14日まで開催される「生誕90周年記念 山下清展」に展示される「長岡の花火」(1950年、貼絵、(C)清美社)。

画家の山下清(やました・きよし、1922-1971)の生涯を代表的な貼絵を中心に紹介し、遺作「東海道五十三次」や一般初公開の貼絵作品、鉛筆画、油彩、水彩画など約150点を展示する。

会場は第1章「少年期の山下清そして放浪」、第2章「芸術家としての挑戦」、第3章「初のヨーロッパへの旅と遺作・東海道五十三次」と分けて披露する。

ウイキペディアなどによると、山下清は1922年3月10日東京府東京市浅草区田中町(現東京都台東区日本堤)生まれ、1925年の3歳の頃に重い消化不良で命の危険に陥り、軽い言語障害、知的障害の後遺症を患う。脳出血で父親が1932年に他界し、母親が再婚したが、1934年に夫が不在の間に母親が子ども3人を連れて木賃宿へ逃れるも生活困窮により、社会福祉施設「隣保館」へ移り、同年5月に千葉県東葛飾郡の知的障害児施設「八幡学園」へ預けられる。

この学園で「ちぎり絵」に出あい、1937年秋に早稲田大学で展覧会を開き、1938年にも早稲田大学で「特異児童労作展覧会」を開き、12月に東京市京橋区銀座(現中央区銀座)の画廊で初めて個展を開いた。1940年に八幡学園を出て、放浪の旅をし、1942年に21歳の時、八幡学園の職員により無理やり徴兵検査を受けさせられたが、兵役免除となる。

日本橋三越で開催される「生誕90周年記念 山下清展」で初めて公開される「ソニコンロケット」(1959年ころ、貼絵、増田屋コーポレーション所蔵)。

映像記憶力がすぐれており、「花火」をはじめ行く先々の風景を多くの貼絵に残している。ただ、旅先ではほとんど絵を描くことがなく、八幡学園や実家に帰ってから記憶を基に描くというスタイルで、「サヴァン症候群」であった可能性が高いといわれている。

1953年にアメリカの雑誌「ライフ」が放浪中の山下清を探し、1954年に鹿児島で発見され、弟の山下辰造(やました・たつぞう、1928-2003)が迎えに行き、放浪生活が終わり、1957年から母、辰造らと世田谷に住む。その後、「日本のゴッホ」とか「裸の大将」と呼ばれ、1956年の東京大丸の「山下清展」を始め、全国巡回展が約130回開かれ、観客は500万人を超えた。

1961年に約40日間のヨーロッパ旅行に出発し、各地の名所を絵に残した。晩年は、東京都練馬区谷原に住み、「東海道五十三次」の制作を志し、東京から京都までのスケッチ旅行に出掛けた。およそ5年の歳月をかけて55枚の作品を遺している。1971年7月12日に脳出血のため49歳で死去した。

12月29日13時と15時に山下清作品管理事務局代表で山下清の甥にあたる山下浩(やました・ひろし)さんによるギャラリートークを開く。入場者は自由に参加できる。

山下浩さんは1960年東京都生まれ、山下清の弟山下辰造の長男で、中央大学法学部を卒業、1971年に山下清が亡くなるまで同居し、山下清から貼絵の指導を受け、1995年に「山下清鑑定会」を設立、山下清の作品および著作権の管理と作品鑑定を行っており、lこれまでに「山下清作品集」を刊行している。

開場時間は10時から19時(12月31日は18時、最終日は17時30分)まで。1月1日は休み。入場料は一般、大学生800円、中学、高校生600円。小学生以下無料。

山野楽器で幸田浩子がミニライブ

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【銀座新聞ニュース=2012年12月24日】山野楽器銀座本店(中央区銀座4-5-6、03-3562-5051)は12月28日18時30分から7階イベントスペース「ジャムスポット (Jam Spot)」で幸田浩子さんによるミニコンサートを開催する。

山野楽器銀座本店で12月28日にミニコンサートを開く幸田浩子さん。

ソプラノ歌手の幸田浩子(こうだ・ひろこ)さんが11月21日に5枚目のCDアルバム「ワルツの夢-幸田浩子・イン・ウィ-ン」(2940円)を発売したのを記念してミニコンサートを開く。終了後にサイン会を開く。

「ワルツの夢-幸田浩子・イン・ウィ-ン」はオーストリア・ウィーンにあるオペラの劇場「フォルクスオーパー」のオーケストラの演奏で録音されているアルバムで、オスカー・シュトラウスのオペレッタ「『ワルツの夢」より『扉を開けて」」(フランツィの歌)やジーツィンスキー「ウィーン、わが夢の街」など11曲が収録されている。

ウイキペディアなどによると、幸田浩子さんは大阪府豊中市生まれ、1997年に東京芸術大学声楽科を首席で卒業、同大学大学院を修了、その後、オペラ研修所第11期を修了、文化庁派遣芸術家在外研修員としてイタリア・ボローニャへ2年間留学、2000年にウィーン・フォルクスオーパーと2年間の専属契約を結んだ。

2000年代前半にドイツから発売されたCD「ブルスキーノ氏」や「レクイエム」、「ニーベルングの指環」などの録音に参加、第14回五島記念文化財団オペラ新人賞、2008年に初のソロアルバムを発売、8月に第38回エクソンモービル音楽賞洋楽部門奨励賞を受賞した。

山野楽器各店で「ワルツの夢-幸田浩子・イン・ウィ-ン」を購入すると、先着順で招待券をもらえる。